アリエナイ理科シリーズの有害図書指定問題~司法運用の現実と表現の自由~
ゆっくりしていってね!!!
いきなりだけど、中学生の時の私を魅了して、大学進学でも化学専攻の道を進ませた本、アリエナイ理科シリーズというのがあるのだわ。いまでも大事に持っているコレね!
この本がなかったら、私は大学進学時に化学を選んでいなかった。
めっちゃ思い入れが深いのだわ。
けれど、このシリーズはもともと各地方公共団体による有害図書指定を受けやすくて、執筆陣の代表であるくられさんは、自らそれをネタにして「有害図書指定 最高金賞受賞」というポスターを作ったりしているわ。
「バカに嫌われ続けて20周年」のキャッチコピーが端的に言って最高。
さて。今年2月にも鳥取県で『アリエナイ医学事典』など3冊が有害図書指定を受け、それ自体は「またか~!」って話だったんだけど、Amazonが取り扱いを停止したことで急激に大きな問題となったわ。
完全なる表現規制であり、「表現の自由」「知る権利」を侵害する大きな問題ね……。(もっとも、Amazon取り扱い停止がなくても、「有害図書指定」自体がそう)
でも、体感的な話になっちゃうけど、いわゆるTwitterの表現の自由界隈では、この『アリエナイ理科』は一瞬話題になったものの、アニメやマンガ規制の話に比べると、どーしても若干反応が鈍かったのよね。
また、界隈の人かどうかはともかく、Twitterでは「ヤバイ薬や武器になりうるものを製造できる知識はよくない!(規制はやむを得ない)」という旨の意見も散見されたわ。
毒物劇物などの物質の規制はともかく、「知識」を規制するのは、「学問の自由」すら危うくなるわ。
第一、アリエナイ理科に書いてあることは、それこそ大学の科学の教科書を読めば分かっちゃうことなのよ。『マクマリー有機化学』とかの方が1000倍くらいヤバイわよ。
もちろん、普段の興味関心の対象(アニメ、マンガ)の優先順位が高いのは当たり前でしょうし、「これも言及してるんだからあれも言及しろ」式に責めるつもりは全くないわ。
だって、私にもそんな全方位対応は無理だし。
けれど、本記事を機会に少し視野を広げてもらって、アニメ・マンガ文化に限定されない「表現規制」問題にも目を向けて頂ければ幸いよ!
それでは、今回問題となっている「有害図書指定」を行っている「条例」のお話から始めましょう。
条例とは何か?
前提知識を得てもらうために、「条例とは何か?」について整理しておくわね。
「条例」は、地方公共団体ごとに個別に作っているルールね。働きとしては法律と同じようなもので、違反した場合の罰則も設けることができるわ。有害図書指定は、だいたい「青少年保護育成条例」の中に含まれているわね。
ただ、地方公共団体が個別に作っているから、パッと見は似たような条例であっても、かなり違うこともあるわ。
たとえば、まず名前が違うわね。
大阪府で有害図書指定のルールを含んでいるのは「大阪府青少年健全育成条例」だけど、兵庫県は「青少年愛護条例」、宮崎県は「青少年の健全な育成に関する条例」、静岡県は「青少年のための良好な環境整備に関する条例」よ。
そして規制内容、規制違反の判定基準、さらには違反した場合の罰則も統一されていないわ。
たとえば、北海道の青少年健全育成条例には、「有害図書類の指定及び販売等の禁止等」以外にも、「古物等買受売却等の制限」とか「入れ墨(タトゥー)の禁止」とかもあったりするのだわ。
一方で、長野県には有害図書指定を行うルールそのものが存在しないし、また有害図書指定のルールが存在しても、
①有害図書指定の対象 (絵画や写真は含む?)
②有害図書の指定方法 (個別指定、包括指定、団体指定など)
②有害図書に選定する基準 (何をどこまでやったらアウト?)
③有害図書に指定した対象への対応 (指定するだけ? 販売規制もする?)
これらはすべて地方公共団体ごとに異なるわ。後追いした地方公共団体については、参考にはするでしょうから一致する時もあるけどね。
詳細は文部科学省のこのへんのページを見てもらえれば分かるけれど、まあバラバラよ。
もちろん、「だから条例は横の統一性がなくてクソ」という話ではなくて、そもそも「条例」ってそういうモンなのよ。各地方公共団体が作っていいものなのだわ。
「全国で名称や規制内容が統一されているルール」は、みなさんとって一番なじみ深い「法律」よ。(政令や省令などを含む公的なルールを「法令」と呼ぶけど、細かくは書かないわ。以後も、細かいお話は分かりやすく直しているわ)
憲法・法律・条例については、形式上は、憲法>法律>条例という上下関係が存在するわ。「憲法に違反する法律は無効である」(憲法81条)、「法令(憲法・法律などを含む)に違反する条例は無効である」(憲法94条および地方自治法14条)ってやつね。
くられさんも、動画で次の図をあげてそういう説明なさっていたわね。
ただ、このピラミッドの上下関係というのは、形式的には絶対遵守が求められるのだけど、現実には一切守られていないのよね。
この「現実」の話をまず皆さんに知って頂きたいから、「有害図書指定」の話とはちょい距離があるんだけど――細かく書かせてもらうわね!
法の「現実」の話:日本は法治国家なのか?
このあたりは問題に詳しいとつげき東北さんにお話を伺い、データも頂いたのでそれを交えて紹介させて頂くわね。
「憲法や法律で決められている事なら、ちゃんと守られてるんじゃないの? 日本だって法治国家でしょ?」と思うかもしれないけど、実運用はそうなっていないのよ。
実際、裁判で「法律がそもそも憲法違反じゃないか?」とか「その条例は、憲法・法律の範囲を逸脱している!」と主張したところで、たいてい負けちゃうわ。
青少年保護育成条例にある有害図書指定も、「表現の自由」「知る権利」を侵害しているとされているけれど、最高裁判決では「合憲」とされたしね(この判決は後ほど改めて具体的に詳述するわ)。
日本社会では、あまり「お上」が判断を間違えたことにできないから、どうにかこうにか「説明」を作り上げて「いや、これはギリギリセーフのやつ。こういう風に法文を解釈すれば、形式上、守られていることになります」という辻褄合わせをやっちゃうのよ。――何なら、辻褄が合っているとは思えないこともあるわ。
例えば、明らかに法律の範囲を超えた条例について、その是非を争った事例では、次のような「説明」がなされたわ。
法律より厳しくする「上乗せ条例」や、規制していないものを規制する「横出し条例」は、論理的には憲法94条に違反しているとしか読めないわ。
例えば、「うちの県ではラーメンを食べてはいけないことにします! 健康に悪いから!」って条例で定められても、明らかに法律の範囲外よね。自由権の侵害でもあるし。
でも、そういった内容であっても、「厳格に守ると条例制定権が"過度に"制限される」という「説明のみ」で、別にやってもOKってことになっちゃうの。とても理不尽に感じるけれど、日本の司法はその程度なのだわ。
過度かどうかの判断は、まあ……その時にその事件を担当した裁判官の気分などによるわね。そこはもう色々よ。
比較的最近だと、香川県のネットゲーム条例(未成年のゲーム時間を1日60分までとする条例)も、「いやそれも合憲」ってことになったわね。その時の「説明」はこんな感じ。
それがアリなら、もはやどうとでも言えるじゃないの!?
――要はこうよ。
「"法律>条例"という話になっているが、何ら守られていない。ただ守っていることにする説明(しばしば「学説」と呼称される)が生み出されるだけである」と覚えておけば良いわ。
まあ、ピラミッドもクソもないのよ。
もっと具体例が必要であれば、公務員にサービス残業が発生していて給与法が守られていない(財産権が侵害されている)とかもそうね。これは「違憲の可能性がある」という議論の余地もなく、ひたすらシンプルに違法なんだけど、「まあ、別にいいかな」と……。
法治国家とは一体何なのかしら?
もちろん、たまには裁判で勝てる時もあるんだけど、途方もない時間がかかったり、「判決」で賠償金の支払い等が命じられても実行されなかったりするわ。
前者の例としては、薬害エイズ問題があるわね。1989年に訴訟を起こしたけど、和解が成立したのは7年後の1996年。
後者に関しては、たとえば殺人事件で賠償金支払いが命じられても、ほとんど支払われないという実態が挙げられるわ。
仮にざっくり殺人による賠償金が3000万円(だいたいの相場額)だったとして、回収率平均が13.3%なら、400万円くらいね。サラリーマンの年収1年分くらいかしら。
自分の子供が殺されたら、どんな金額でも遺族は納得とはいかないだろうけど、裁判で命じられた額から9割引きされるのは流石に酷いわよね……。
しかも、弁護士さんを雇って何回も面談したり裁判所に通ってという手間も発生するわ。回収額と手間によっちゃトータルでは赤字よ。つーか、基本は赤字くらいに思っていたほうがいいわ。
まあ、被告人に「支払い能力がありません」と示されたら基本的に終わりだからこうなってるんだけど、裏を返せば「国が命令を実行させられなかった」ということでもあるから、国家が権利を守るために支払っても良いはずよ。その後は、国家が主体となってその被告人からの取り立てを頑張ればいいのだわ。
こういう仕組みに変えたって別に憲法上の不都合は生じないけど、現状では、遺族の皆さんが、失意のどん底の中で、赤字になる可能性も正直かなり高いけど、そこは気合を入れて何とか自分で頑張ってね!――という制度設計になっているわ。
以上が、間違いのない憲法・法律・条例の「現実」よ。日本の司法運営ってのはこうなの。
では、話を有害図書に戻して、まず「有害図書指定の制度を活用したら、青少年の犯罪や非行が減るのか?」ってところから見ていきましょう。
有害図書指定の効果のなさ
とりあえず、「有害図書指定のおかげで、犯罪や非行が減少した」などの青少年の健全化効果は、これまで一切確認されていないわ。
この条例の「目的としていたはずの効果のなさ」については、上智大学名誉教授である福島章さんの『マンガと日本人―“有害”コミック亡国論を斬る』で、データをもとに徹底的に検証されたうえで主張されているわ。
この検証が可能だったのは、ある意味では地方公共団体ごとにバラバラにやってくれたおかげでもあるわね。
有害図書を排除する条例は、1950年に岡山県が最初に導入したんだけど(「図書による青少年の保護育成に関する岡山県条例」という名前だったわ)、当初からしばらくの期間は、
・岡山県条例をほぼそのまま真似た都道府県
・内容をちょっと変えてやった都道府県
・全くやらなかった都道府県
これらが別々に、かつ同時期の日本国内であったから、比較が容易だったのよ。
加えて時間的にも、
・すぐ導入した都道府県
・そこそこ待ってから導入した都道府県
・かなり時間が経ってから導入した都道府県
これらもあったから、分析する側としてはラッキーよね。
まあ、有害図書指定を未だにやっていない長野県が"修羅の国"と化しているのか、また逆に厳しい有害図書指定条例を早期に作った都道府県は安全になっているのかというと、全くそんなことはなかった訳よ。
よって、「有害図書指定に犯罪や非行を防ぐ良い効果あり!」という仮説は科学的には支持されなかったわ。
じゃあ、もうやめなさいよ……。
有害図書指定は一応「合憲」判決
この有害図書指定については、「表現の自由」および青少年の「知る権利」を侵害していて、その効果についても科学的根拠がないことから、憲法学者の通説でも違憲だと判定されているわ。
けれど、最高裁判所は合憲だと判示したのよ。
それが明らかになったのが、岐阜県青少年保護育成条例最高裁判決(1989年判決, 全文はこちら)よ。本件は表現の自由界隈の人なら押さえておきたいわね。
全文は上のリンクからご興味のある方にだけ読んで頂ければ良いとして、ここでは批判的な観点から本件を紹介・考察している論文を引用させて頂きましょう。
カギカッコで最高裁判所の見解が示されているけれど、これ、何か内容が変だと思わないかしら?
なぜ、「科学的にその関係が論証されているとはいえない」のに、「害悪を生ずる相当の蓋然性があること(=害悪が生じる確率が高いこと)」が分かるの?
「有害図書が害悪を生ずる蓋然性」はちゃんとデータ取って統計解析しないと分からないはずでしょう? そして、科学的知見では、どちらかというと「相当の蓋然性があるとは言えない」方を支持しているのだわ。
では、何を理由に「蓋然性」を判断しているのかっていうと、「社会通念」よ。実際の判決文から引用するわね。
うん。このnoteを読んで下さる方なら、もうツッコミを入れたいでしょうけど、まず私が「ちょっとすげえな」と思った点から言うわね? ポイントはこの文章よ。
「性的な逸脱行為や残虐な行為を容認する風潮の助長」
……分かるかしら?
「性的な逸脱行為や残虐な行為の助長」ではなく、「性的な逸脱行為や残虐な行為を容認する風潮の助長」になってるのよ。
あの、「風潮」ってどうやって計測してんの?
何らかのアンケート調査を継続的に実施していて、その中で「別に強姦くらいしてもいいと思う」に丸をつける人の割合とかが多くなるってこと? それも原因は「有害図書」で確定だとして?
「助長している」と言うためには、数量的に前後を比較して、なるほど増えていると確認しないといけないわよね。そんな確認は絶対にやってないでしょう、あなた。
そして、次の問題が「社会通念」よ。(引用文では「社会共通の認識」という言葉が使われているけれど、一般的には「社会通念」という言葉が民法などでも使われる法律用語よ。)
「青少年の健全な育成に有害であることは、既に社会共通の認識になつているといってよい。」
社会通念は、裁判官の判決が変わるくらい重要な要素なんだけど、「何が社会通念であり何が社会通念でないのか」に関して、特にルールは存在しないわ。
たとえば、「少なくとも~という規模で世論調査を行って、その回答をする人の割合がN%を超えること」みたいな仕組みはないのよ。裁判官には、それがたしかに社会通念である証拠を示す義務もないわ。
つまり、まあ、裁判官さんの気分次第ね。
仮に「血液型占いは正しいというのが社会通念になっている」と書いても別に許されるわ。ある調査によれば、今も3割くらいの人が信じているらしいし。
3割じゃ少ないと思う?
いやでもそこの値は別に決まってないし、さらに言えば、そもそも調べる必要すらないから。(挙証責任はないのよ!)
もちろん、司法判断から一切「社会通念」という概念をなくすのは無理でしょう。これを使わないと合理的に解決できない事案もあるわ。
でも、「青少年に有害な影響を与えるか?」のような話なら、社会通念よりも科学的な知見を優先すればいいはずよ。「この物質は人体に有害か?」を考えるにあたって、「大丈夫だというのが社会共通の認識である」なんて言われても困るわよね。フツーに致死量とか調べてくれよって思うでしょう。
なお、アメリカであった青少年に対するゲーム規制の州法(条例)については、「青少年に悪影響があるとする科学的証拠が欠如しており、表現の自由、知る権利を侵害しているから違憲である」として廃止に追い込んでるわ。
その裁判を担当したケネリー判事は、当該ゲーム規制州法について「これ以上ある?」ってレベルでボロクソに非難していて、めっちゃ面白いわよ。次のnote記事でその素晴らしい判決文の訳をご紹介させて頂いているから、お時間のある方は読んでみてね。(記事の後半のほうよ!)
ともあれ、日本の司法運営は残念ながらガバガバなのよ……。
鳥取県の「有害図書指定」の問題
さて。すっげぇ長い説明をしちゃったけど、ようやく「アリエナイ理科」シリーズについてのお話をして、最後にさせて頂くとましょう。
鳥取県で『アリエナイ医学事典』『アリエナイ工作事典』『裏グッズカタログ2022』が有害図書に指定されたわ。
ここで鳥取県が特殊なのは、有害図書になった本はネットでも売ってはいけないと決めていることよ。書店での陳列はともかく、ネットまで手を伸ばしている地方公共団体には今のところ他に存在しないわ。
よって、鳥取県が規制すると、Amazonだろうが楽天だろうが販売を取りやめざるを得ないわ。「鳥取県にだけ売らないようにする」なんて対応は困難だし、鳥取県に売っていない本でも鳥取県が有害図書指定することは可能よ。
三才ブックスさんは、アリエナイ理科シリーズの有害図書指定を受けて、公式ページにて「鳥取県で本を販売することが、もはやリスクといえる事態です。」と書いていたけれど、残念ながら鳥取県で販売しなくてもリスクは変わらないわよ。
また、三才ブックスの編集長さんは、次の記事で本件について見解を述べていらっしゃるわ。
編集長さんは「システムが正しく機能しているのか」と問いかけていらっしゃるけれど、ここまで読んで下さっているなら容易に察しがつく通り、「正しく機能」もクソも、最初からシステム自体が壊れてるのよ。
「システム」と呼べるほど系統立てられた秩序は、日本の司法には存在しない。
残念ながらこれが現実よ。もし三才ブックスさんが鳥取県に対して訴訟を起こし、その違憲性を主張しても岐阜県青少年保護育成条例違反事件の「最高裁判例」が参照されて負けるだけでしょう。
今のところ私にできるのは――ほぼ間違いなくまた有害図書指定を食らうと予想される、過去のアリエナイ理科シリーズの電子版をDVD収録した『ラジオライフ2022年10月号』を宣伝して、三才ブックスさんならびに薬凶教室の皆さんを応援することくらいね。
「アリエナイ理科」の初期のシリーズは、紙媒体で中古を買おうとすると超プレミア価格になってるから、上の雑誌(Kindle電子版は駄目よ! DVDが付属していないわ!)を買うのをお薦めするわ。
それも早めにね。繰り返すけど、これも有害図書指定を受けそうだから。
今回は以上!
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