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「性的対象化」論とは何か?~日本人フェミニストにすら人気のない概念~

ゆっくりしていってね!

今回は、表現物を道徳的に非難する時に用いられる概念のひとつとしての「性的対象化」(Sexual Objectification, なお訳語には他に性的モノ化、性的客体化などがある)をご説明するのだわ。

意味合いとしては「性的モノ化」が分かりやすいから、以下ではこれに統一するわね。


簡単に説明しておくと、「性的モノ化」とは、「(尊重されるべき主体的な人格を持った)人間を、性的な目的で用いるモノのように扱う行為・表現」を指すわ。これが道徳的に悪いと言いたいのよ

……え? 抽象的でピンとこない? 

でしょうね。そうだと思うわ。

読者さんがお使いの脳ミソは正常よ。現時点では分からなくて当然。

もちろん、「人間をモノ扱いするのは良くないよね!」という一般論程度なら、日本人も漠然と共感・理解を示せるでしょう。イメージとしては奴隷とかそんなんよね。ムチで叩かれて重たい石とかを運ばされてる感じ? そいつは道徳的によろしくないわね。

だけど、実際に西洋社会で問題視されている性的モノ化表現は次のような感じよ。まずは雰囲気をつかんでもらいましょう。


「広告におけるモノ化された女性たちのコラージュ」(ジェーン・ギルモア)


もちろん、女性ばかりではなく、男性バージョンもあるわ。


Hunkvertising: The Objectification of Men in Advertising


……この時点で、日本のネット界隈フェミニストが嫌っていて叩きたい表現(例:萌え絵)とミスマッチを起こしている気配はあるわね?

さて。こういったモノ化表現は、次のような特徴を持ち、それが道徳的な問題を生じさせることがあると、この概念の権威であるヌスバウムさんは分析しているわ。

注記:ヌスバウム論文の中に上の画像が使われている訳ではないので、実際に氏がこれらの画像を見たときにすべてをモノ化表現と評価するかは不明である。後に説明するが、氏はモノ化表現の道徳的問題があるかどうかについては、「全体的な文脈による」(depending upon overall contexts)としている。画像一枚では判断を留保するかもしれない。

まあ、そのモノ化の特徴ってのは、知ってる人は100回は見ているこの7つね。

1 .道具性(instrumentality)。ある対象をある目的のための手段あるいは道具として使う。
2.自律性の否定(denial of autonomy)。その対象が自律的であること、自己決定能力を持つことを否定する。
3.不活性(inertness)。対象に自発的な行為者性(agency)や能動性(activity)を認めない。
4.代替可能性(fungibility)。(a)同じタイプの別のもの、あるいは(b)別のタイプのもの、と交換可能であるとみなす。
5.毀損許容性(violability)。対象を境界をもった(身体的・心理的)統一性(boundaryintegrity)を持たないものとみなし、したがって壊したり、侵入してもよいものとみなす。
6 .所有可能性(ownership)。他者によってなんらかのしかたで所有され、売買されうるものとみなす。
7.主観の否定(denial of subjectivity)。対象の主観的な経験や感情に配慮する必要がないと考える。

"Obectification"(MARTHA C. NUSSBAUM, 1995)


ヌスバウムさんは、これらの特徴を挙げたのち、「モノ化とは何かといえば、人間をこれらの方法の一つまたは複数で扱うことである。」(What objectification is, is to treat a human being in one or more of these ways.)とまとめているわ。ここで実質的に「モノ化」を定義したと言ってもいいでしょう。

ふむふむ、なるほどね?

じゃあ、ある表現物の「性的モノ化」としての道徳的な悪さを考えるなら、この7つの特徴を基準にして、それに該当するかどうかを考えればいい。そして、該当すれば悪い、該当しなければ、少なくとも「モノ化」という意味で悪くはない。そのように判断できる――と思うんだけど。


残念ながらそうはいかない。

ヌスバウム論文の曖昧性


というのも、ヌスバウムさんは続けて次のように述べているのよ。

モノ化とは何かといえば、人間をこれらの方法の一つまたは複数で扱うことである。しかしながら、これらの特徴に一つでも該当すれば人間をモノ化したとみなす十分条件を満たしたと言えるのか、それとも、(十分条件を満たしたと言うには)いくつかの特徴の集まりが必要なのか? 私はこの質問には答えたくない。その使用法があまりにも不明瞭であるためである。全体として、「モノ化」は比較的緩やかなクラスター用語である。「モノ化」が適用されるかどうかは、これらの特徴のどれか一つで十分とされる場合もあるが、複数の特徴が存在する場合が多い。

What objectification is, is to treat a human being in one or more of these ways. Should we say that each is a sufficient condition for the objectification of persons? Or do we need some cluster of the features, in order to have a sufficient condition? I prefer not to answer this question, since I believe that use is too unclear. On the whole, it seems to me that “objectification” is a relatively loose cluster-term, for whose application we sometimes treat any one of these features as sufficient, though more often a plurality of features is present when the term is applied.

"Obectification"(MARTHA C. NUSSBAUM, 1995)

この「私はこの質問に答えたくない」(I prefer not to answer this question)は非常に大きな問題を抱えているわ。

だって、上の文章から論理的に導かれるのは、「7つのうちの1つの特徴に明らかに該当したとしても、それだけでモノ化が起きたと言える十分条件は満たしていないかもしれない」、すなわち「どれかの特徴に該当しても、モノ化とは言えないかもしれない」ってことよね。

例えば、一つ目の「道具性:ある対象をある目的のための手段あるいは道具として使う。」を満たした表現物があったとしましょう。ここでは全人類の解釈が完全一致して「この表現物は、人間を道具として扱っているという特徴に当てはまる」と言えるくらいにはっきりしたと仮定するわ。

でも、「モノ化」とは言えない可能性をヌスバウムさんは残している訳よ。この可能性を、私たちはどう扱うべきなの? ヌスバウムさんは「答えたくない」として、完全にブン投げているわ。

しかも、直前の「モノ化とは何かといえば、人間をこれらの方法の一つまたは複数で扱うことである。」という説明と整合性が取れない。7つの特徴のうち、1つでも該当すれば「モノ化」と言える設定にしないと、この説明はシンプルにウソになっちゃう。

「十分条件とは言えない」方を採用するなら、定義文も正確に「モノ化とは、人間をこれらの方法(7つの特徴)の一つまたは複数で扱った場合に、その具体的内容によっては該当するかもしれない何かである」と誠実に書くべきよ。

この人、具体例を何か一つでも思い浮かべて可能性を残したのかしら? 「道具性に該当するが、モノ化ではない例」って何? 

そして、さらに問題が続くわ。

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