コーヒー嫌いな私が、奇跡の一杯と出会うまで
「好きを仕事に」とはよく聞く言葉。でも、思いもよらないものが仕事になることもありますよね。コーヒーが苦手だった会社員の藤原裕樹さんは、彼女とアメリカに行ったことで、コーヒー沼にどっぷりハマり、副業として「KEMARIYA COFFEE ROASTER」というマイクロロースター(小規模焙煎所)を開業するまでに。会社員との二足のワラジを履く藤原さんの話を、子育て仲間でもある女性ライターが聞き書きします。第1回はコーヒーとの出会いについてです。
昔はコーヒーが飲めなかった
人生において、コーヒー習慣が始まるタイミングは三つあると言われています。一つが学生の受験勉強時、一つが社会人になった時、もう一つが結婚した時。
私が初めてコーヒーを飲んだのは、受験の時でした。でも当時はコーヒーが大嫌い、というか苦手で、飲んだら頭が痛くなるほど。だから飲むとしても、自宅ではせいぜいカフェオレ。カフェに行っても、わざわざミルクティーやチャイを飲んでいました。
社会人になった時に缶コーヒーを飲めるようになりましたが、それは眠気覚ましとしか考えていなくて、別に好きではありませんでした。
飲めるようになったのは「第3の波」のおかげ
20代後半の時に「サードウェーブコーヒー」が流行りだしました。アメリカで2000年頃から始まったコーヒー文化の「第3の波」のことで、日本では2015年にブルーボトルが上陸したことで広まりました。おしゃれなカフェで、センスのいい店員さんが高品質の豆を使って一杯ずつ丁寧にハンドドリップで淹れてくれる。そんな店でコーヒーを飲めば「コーヒーに詳しそうとか、格好いいって思われるんじゃないか」という、20代男子にありがちなよこしまな考えから、カフェでコーヒーを飲むようになりました。おかげで人並みにコーヒーが飲めるようになりましたが、めちゃくちゃ好きになった、というまでにはなりませんでした。
ニューヨーク旅行でコーヒーの奥深さに出会った
本当にコーヒーが好きになったのは3年後。30代になって、今の妻である彼女とアメリカ旅行に行ったんです。彼女はニューヨークが大好きで、そこでもサードウェーブコーヒーが全盛期でした。さて本場のコーヒーはどうかと、現地のカフェに入り、そこで飲んだごく普通のアイスコーヒーがとても美味しくて驚きました。
当時は「どうしてコーヒーがこんなに美味しいんだ?」と疑問に思うばかりでした。今まで私が飲んできたコーヒーのどれとも全く違ったんです。当時はコーヒーに詳しくなかったので理由が分からず「奇跡の一杯だ!」と感動しました。その後、ニューヨークの他のカフェでもコーヒーを飲みましたが、そのカフェが特別に美味しいというわけじゃなくて、どのコーヒーもとても美味しかったんです。
コーヒーに詳しくなった今だからこそ分かるのですが、理由は三つあるんですね。一つ目はアメリカで飲んだコーヒーが「浅煎り」だったこと。日本では深煎りが主流で、浅煎りを飲める場所は当時限られていました。
二つ目は「コールドブリューコーヒー」、水出しコーヒーだったことです。アメリカへはだいたい夏場に行っていたこともあり、アイスコーヒーを飲む機会が多く、だいたい水出しスタイルでした。今でこそコールドブリューは日本でも一般的になり、スタバでも飲むことができますが、当時はあまり知られていませんでした。水で長時間かけてゆっくり抽出すると、味が全然違うんです。特に甘みとフルーティな風味がすごく出るんですよ。この #てさぐり部 を読んでいる方はコーヒー好きが多いと思うので「そんなの知っているよ」と思うかもしれませんが、当時の私にとっては衝撃でした。
その後に彼女と結婚して、新婚旅行でアメリカに行くことになりました。奥さんはまたニューヨークに行きたがっていましたが、コーヒーの奥深さに目覚めていた私はどうしてもポートランドに行きたかったんです。ポートランドは「コーヒーのメッカ」と呼ばれるほどコーヒー文化が盛んで、世界中のコーヒー愛好家が聖地として巡礼すると聞いていたからです。結果として、東海岸のニューヨークと西海岸のポートランドの両方に行くことになりました。今思えば、あれが全ての始まりでしたね。そこから一気に、夫婦でコーヒーの世界にどっぷり浸かっていくことになったんです。
つまり、私にとってコーヒーの転換期は、冒頭でお話しした「人生において、コーヒーを飲み始めるタイミング」とだいたい被っているんです。受験の時にコーヒーを飲んで「まずい!」と思って、社会人の頃に缶コーヒーを眠気覚ましの代わりに飲み始めた。そして、結婚前にアメリカ旅行に行ったことで、奇跡の一杯と出会ったので。あの頃はまさか自分で焙煎をして、副業として始めようとは、夢にも思っていませんでしたけどね。