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放蕩息子が教会に帰って来た。 金子君よ、いいとこ行けよ!


約一年ぶりに東八幡キリスト教会に足を運んだ。

コロナ禍になってから、教会から足が遠のいて、完全に行かなくなってからもう1年がたった。

これについては、いつか、振り返って書くことがあるかもしれない。ないかもしれない。

教会から、奥田牧師から、石橋牧師から、離れて、

オンラインでの学びの場の中に自分の居場所を探していたのか。

そこで出会った人達が、逆に奥田牧師や教会に惹かれて繋がっていくという場面に何度か遭遇した。

これは、なんという現象と名付けたらいいのか。。笑

また、教会で一時期共に過ごした田中悠輝君は映画監督となり、彼の上演会に先日参加することにもなった。

僕自身も、学びの中で、例えば、ドラッカー学者の井坂康志さんの語り言葉の中に彼の詩の中に聖書の言葉を見出したり、時々、自分でも聖書のことばを使いたくなることがあった。

そして、あるコミュニティに参加した場面では、

ホームレス支援で有名な奥田牧師の教会に、今は通ってないのですが・・・と自己紹介することもあった。



教会もコロナ禍以降、大きく様変わりし、youtubeとリアルな礼拝のハイブリッドになっていて、素晴らしいITスキルの賜物をもった方が新しく現れたり、

教会は、僕が離れても、何にも困ることがないどころか、コロナ禍でよりアクティブになっていた。

少し良心の呵責があったが、安心して離れられた。

僕の意思などには関係なく、教会に必要なことは全て神さまが用意して下さるのだ。

それでも、教会のメーリングから、今でも定期的にメールが届く。

最近は、ほぼ開かなくなったけど、毎週の礼拝の様子や、教会員の動向、喜びのこと、悲しみのことが記載されている。

週末にドラッカー学会博多大会の実行委員として忙しくしていた最中にもメールが届いていた。

その一つが金子敬輔君が病気で倒れた。

そして、今朝、逝去したというメッセージだった。

先週の11月17日、僕の誕生日に、教会に出てこない僕をいつも気遣ってくれるご婦人が家を訪ねてくれた。

その彼女から、誕生日のお祝いにサボテン🌵の鉢を頂いた時、金子君が病気で倒れたことを聞いたばかりだった。


高血圧の影響で、脳幹出血をして半身が麻痺したそうだ。
そのご婦人が僕の高血圧のことも知っていて、『絶対に薬を飲まなきゃだめだ』と僕のことも酷く心配してくれた。

ドラッカー学会大会の最終日。

3日間の大会運営と参加した友人のアテンドを終えて、

ふらふらで小倉駅に辿り着きバスを待っている時に電話が鳴った。

奥田知志

教会の牧師からだった。

心の準備が整わないまま電話が切れた。

要件は分かっている。

金子君が亡くなったという事を知らせてくれたのだ。

牧師は、わざわざ、一年も教会を離れて伝道委員長の役目をほっぽり出した僕を気づかって特別に電話をしたのではない。

教会員という神の家族の一人として、僕に電話をしてきたのだ。
牧師はSNSも駆使するけど、用件は電話する人なのだ。

ただ、この東八幡キリスト教会は、他の教会と違って、キリスト教信者以外の全ての人、他宗教の人も、無宗教の人も、ホームレスの人も、まだ出会っていない隣人を含めて、全ての人を『神の家族』と呼ぶのだ。

それは、神の下では、誰もが同じように尊い”いのち”を与えられているから。

神から平等に愛と恵みを受けている仲間であるから。

同じように誰もが、自分の罪(まとハズレない生き方)を神(イエス)に贖なってもらっている家族であるという信仰があるからだ。

3日間の大会で疲れきっていて、明日の仕事の大事な会議の準備もあるし、どうしようか、小倉駅のバス停に並びながら一瞬迷った。

そして、前夜式に参列することに決めた。

今回のドラッカー学会のテーマは、

『今、ここに生きる マインドフルネス』

今、ここの死に向き合わないで、何のために生きているのだ。

家に着いてそのまま、小さくなった黒いスーツに着替え、厚手のコートを羽織り、一年ぶりに教会の前にたった。

木造のバリアフリーの教会で、扉が大きく開かれていた。

石橋牧師の婦人、さっちゃんに出迎えられ、教会堂の中に入る。

久しぶりの礼拝堂の光景だった。

この教会堂は、毎週の礼拝のほかにも、誰かの葬式が日常的に行われていた。

式は既に始まっていて、顔なじみの若い、もう一人の金子君の隣りに坐り、そのまま讃美歌を歌った。

斜め右の前方に大きな奥田牧師の背中が見えた。

石橋牧師が金子君に贈った前夜式(お通夜)の聖書の言葉

伝道の書 3:9-11

働く者はその労することにより、なんの益を得るか。 わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。 神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。

金子君は、教会の道路向かいに立つNPO抱樸の施設『抱樸』の食堂で調理師の補助をしていた。

殆ど、礼拝には顔を出さなかったけど、向かいの食堂で顔を見たり、教会のクリスマスやバザーには顔を出していた。

仕事にも慣れ、施設からも期待され、調理師免許の資格にチャレンジし、12月がその発表だったそうだ。

彼と教会で会っていた時は、とても眠そうで顔が浮腫んで精神的にも不安定だったように記憶しているが、

教会やNPOの方が寄り添ってくれて、健康も回復し、最近は元気になられたのだろうと想像する。

その矢先の42歳で彼は急逝した。

今の僕と同じように、教会をサボっていた若者だったが、

彼は、この教会に永遠の命として、戻ってきた。

共同牧師の石橋先生が、伝道の書の聖句と共に金子君の棺の前で宣教した。

神さまのなさることは、分からない。

なぜ、この若者がこの若さで亡くならなければならないのか。

時の支配は、なんと強力なのか。

しかし、彼は、金子君は、与えられた生を一生懸命に生きた。

教会の家族、NPOの仲間、そして植田君という、同じアパートで共に肩を寄せ合い暮らし、日々の寝食を支え合い、時に慰め時に喜び、生活を支え合ってきた唯一無二の人生の伴走者と出会った。

金子君が倒れた時も植田君が側にいたことで、その時の一命をとりとめた。

彼の日常の生活習慣を、植田君が病院のカルテに全て書き記し、

コロナで家族以外の面会が許されないはずなのに、病院から、

牧師と植田君は、家族以上の家族だと言われて、面会が許された。


石橋牧師は、金子君に語りかける。


『やっと帰ってきてくれたねー。 

今頃、また石橋牧師は、めんどくせーことを言うなーと思っているのかな。』

死ぬにも時がある。・・・神のなさることは、皆その時にかなって美しい。

人は、神のなされるわざを初めから終わりまで見きわめることはできない。

僕らから見たら、42歳の死は早すぎるけど、彼は濃密な時間を、その決められた今世での寿命を生ききった。

ずっと彼に寄り添ってきた植田君は、相棒を失くし悲しみの中にあった。

その大きな背中を牧師夫人の伴子さんが横に伴って抱いていた。

賛美歌を歌ったあと、献花を手にし、棺の中で眠っている彼の顔を拝見した。

お腹いっぱいに夕食を食べた後の満足した寝顔のようだった。


『金子くん、お疲れさん。いいとこ、いけよー!』 


前夜式の後、いつも僕の自宅に来てくれるご婦人が駆け寄って来てくれた。

僕の腕をとり泣きながら

『金子君が、石山さんを、教会に連れて来てくれた。 皆さんと会話してくれて嬉しい。』

あまり、そう泣かれても。。。

ついに、奥田牧師と目が合い、ゆっくりと僕のところに歩いて来てくれた。
横に並んで、少しの時を過ごした。

よく来たなー いつもfacebookを見て楽しんでるよ。

金子も死にやがった。。。 

また一緒に自転車に乗ろうか。

わずかだけど、奥田牧師とも言葉を交わすことができた。

ほぼ同年代の執式をした石橋牧師も、声をかけに来てくれた。

金子君が、石山さんを、教会に連れて来てくれた。
赤ちゃんは、すっかり大きくなったねー 
教会を離れる前に、夫人のさっちゃんのお腹にいた赤ちゃんだった。

ずっと可愛がってくれた、90歳になろうとする藤田牧師と信子夫人もいたが、こちらから、おいそれと挨拶にはいけなかった。


金子君の前夜式があって、教会に再び来ることができた。

教会で過ごした8年間は、とてもかけがえのない時間だったことが良くわかった。

今、書きながら、感謝の涙が溢れてくる。

教会は、まだ僕の居場所でいてくれた。

帰ろうと思ったらまだ、帰れる場所だった。

最後に、牧師夫人の伴子さんと目が合い、言葉を交わした。

『本当に会いたかったよー ここで何にもしなくていいから、教会に時々顔を出してよー 寂しいじゃない。』

僕が、教会を離れている思いも、何もかもわかってくれて、そう言ってくれているようだった。


放蕩息子が、またいつ教会に戻ってこれるのか。

自分でもまだ分からないけど、

何も献身していないのに、都合がいいのは分かっているけど、この教会が僕の一つの居場所であって欲しいなー そう思った。

教会に集まってくる人は、それぞれに何かを抱えている。傷ついた心と身体を寄せ合って、共に生きている。

僕は、何に傷ついたのか、傷ついているのか。

自分でもその心のスコトーマ(心理的盲点)がまだ分かっていない。

今回、教会に戻って来て分かったことが一つある。

僕は『生と死に立ち会わなければならない』ということだ。

それだけは明確になった。

放蕩息子がいつまた教会に戻ってこれるのか。

昨日の金子君の葬送式は、奥田牧師の執式により宣教はルカ福音書の『放蕩息子』だったと今、知った。


いつ我が寿命が来るのか。

神のみぞ知る。

この与えらた時を、その寿命を、濃密なカイロスとしての時間として、この今を生きよう!

何があっても、どっこい生きてやるぞ!

金子敬輔君の、与えられた命を覚えます。

彼の御霊が天の父なる神のもとで安らかにありますように。

イエスキリストの御名によって祈ります。アーメン



追伸

そういえば、コロナ禍の前の11月23日(祝日)は、町の教会として、東八幡キリスト教会ではバザーをする日だった。

僕が、教会と出会った2011年の11月から8年間、僕もバザーを運営する一人として、ここに立っていたのだ。

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