散文
ついさっきの事です。
映画を観に行っていた訳ですが、洪水の様に涙を流したものなので目を真っ赤にしながら帰りの電車に揺られ帰途に着いたのです。
その時の事です。
時刻も二十一時を優に過ぎていた訳ですから、線路沿いの帰途に人は一人もおらず。なんなら全裸体で走り回っても通報されないのではという程に、全く伽藍堂であったのです。
あまりこういう機会も僅少であります故、ふと、普段は喧騒に阻まれる噪音に、耳を傾けてみました。
そうすると、夜空のヴェールに覆われたいつもの景色も、また無限遠に続く地平や、また果てなき宇宙にも思えてくるのです。星こそ薄い雲に覆われているものの、マンションの明かりが星雲と化し、また線路の信号が眩い銀河に見えないこともなかった。
ただこの狭い道路が、無限に見えたのです。
様々な音が聞こえました。
先ずは足音であります。当然地面はコンクリートでありますから、コツコツと軽快な音を響かせるのです。そして私は時折わざと踵を摺らせて歩いた。そうすると、砂利の転がる音がまた心地よいのです︎。
他にも、幾ばか太っているので、ズボンの股擦れの音も聞こえます。駅を出て直ぐであれば、アナウンスの声も聞こえます。時折通る自転車のチェーンの音もします。
ふと立ち止まってみたのです。
傍から見れば不審者ですが、誰も見ていないので良いのです。
そうすると、また別の音が聞こえてきました。
未だ少し、この時期にしては涼しいからか。虫の声が聞こえるようになりました。足音に消されていたものですから、きっと立ち止まらねば気付けなかったでしょう。
また風の音もしました。うるさくなく、心地よかった。正に夜風であった。
ただの、映画の余韻に浸った帰途です。
それが何故か、とても心地よかった。
そして間違いなく、幸せだった。
本当に仕様も無い事です。ちっちゃい事です。
チリのようなものです。
しかし思うのです。
山とならずとも、チリほど価値のあるものは無いと思うのです。
間違いなく、静謐や喧騒すら、心地よかった。
きっと、心地よかった。