30年越しのツケ。
私の父親は、私が4〜5歳の頃から"英語"に触れさせようとしてたと思う。
スパルタなわけでも英才教育なわけでもなく、単語を自然と覚えるようなカードゲームみたいなもので遊んでたし、事あるごとに「道路は英語で?」とか「耳は英語で?」とか聞かれてた。
私もだんだんと答えられるようになっていったし、英語への興味も湧いていて父親の思惑は実現していたように思う。
一度だけ英会話スクールに通ったことがあったけど、1年くらい通っただけで辞めちゃった。
辞めた理由はハッキリ覚えてはいない。
11歳の頃だったはずだ。
小学校を卒業する時によくある「就きたい職業」みたいな欄に、
「英語を活かした職業」と書いたことは覚えてる。
まだ体得していない英語を"活かした"職業に就けたらいいなと思っていたんだと思う。
中学に入るとSLAM DUNKど真ん中世代の私は、共に進学した友だちのほとんどとバスケ部に入り多分に洩れずマイケル・ジョーダンに憧れた。
当時NBAのVHSは1本が¥4,000くらいだったと思う。
これはたくさんは買えなかった。
友だちと相談して同じものを買わないようにし、貸し借りして憧れを膨らませた。
そのVHS、当然に音声は英語で日本語字幕入り。
わずかに聞き取れた英単語と照らし合わせた日本語訳に感動したものだ。
「英語ではこう言うんだ、かっこいい!」
当時は学校の勉強は好きで、英語もほぼ満点近く取れてた。
ただ、高校に進み私の英語道は終わりを迎えた。
英語に力を入れている学科に進学したものの、授業内容は基本構文を覚えることばかり。
もちろん"書く"ことが中心なのでひとつも面白くない。
構文を暗記してるかを見られる小テストも、わざと自身で考えた回答に
こだわったので、間違った罰で20回ずつ書かされたにも関わらず基本構文は覚えられなかった。
おそらく脳が拒否してたんだと思う。
中学1年から1年おきに受験してきた英検も準2級を最後に離脱。
そして決定的だったのが、高1のオースタラリアホームステイ。
もしもの万が一の備えとして基本構文集を持ってったのに登場シーンなく。
「学校の英語の勉強は意味がない」が確立。
それ以降もまったく英語の勉強はしないままで時は過ぎ。
外国人に道を聞かれることがあってもなんとなく案内できて。
私の英語力は中学のまま。
やがて30年が経つ。
30年。
簡単には取り戻せない時間、30年。
そして今、
私はかつての夢、"英語を活かした職業"‥、
‥ではなく、
英語ができれば"もっと自身が活きる"仕事に携わっている。
職業ではなく仕事と書いたのは、担当案件がそうなだけだから。
いわゆるグローバル企業という相手方に対して支援するお仕事。
もちろん相手方には日本人も外国人もいて、同様にこちらサイドにも。
日本語と英語が混ぜ混ぜ飛び交う毎日。
同時通訳が整備されているので、チンプンカンプンではないものの、
やはりネイティブのビジネス英語は全く聞き取れない。
当たり前ながらホームステイの比ではなく。
痛感です。
痛感。
ツウカン。
「やっておけばよかった」
一歩を踏み出すができない。
今からでも勉強すれば、1年後には少しは話せたり聞き取れたりするはず。
いま最もブ厚い戦いがコレです。
英語を習い始めること。
はよせな。