「あいまいな喪失」理論のあいまいさについて

コロナの影響下で、身近な人を亡くされた方の中には、最期に思うようなお別れができなかったという方がたくさんいらっしゃいます。

グリーフの理論の中には「あいまいな喪失」といい理論があります。
これは「失ったことが不確かな状態」で経験する喪失のことで、理論を生み出したポーリン・ボス先生は、二種類のあいまいな喪失を紹介しています。

さようならのない別れ

物理的に、遺体が見つからない、帰ってこない、戦争や災害などの状況での死別や、津波で故郷がなくなってしまった場合におきる喪失です

別れのないさようなら

物理的には存在していても、心理的には、かつてのように存在しないような場合、例えば、認知症や、精神疾患、依存症、離婚などがそうした喪失を引き起こします。福島のように、そこに変わらず桜も咲き、家もあり、土地もあるのに、帰れないといったケースもこれに当てはまります。

こうした二種類の系統がある「あいまいな喪失」理論ですが、今、コロナ下での死別によりアップデートが求められている段階のように感じています。

というのも、わたしは、コロナ下での別れ、例えばお見舞いもできず、遺体を見ることもないまま、お骨になって帰ってきたり、葬儀を執り行えずに別れざるをえなかった喪失は、あいまいな喪失にあてはまると思っていたのですが、学術的には、これまでの理論には完全にはあてはまらず、「死亡診断書」が発行できるため、あいまいな喪失にならない可能性があるとある専門家の方から聞きました。
これはあくまで学術レベルの話なのですが。

でも、現場で起きていることや、遺族の実感を聞いていくと、まさに、あいまいな喪失にあてはまるの... というもどかしい想いを抱きました。

n=1 でしかありませんが、私自身も兄を亡くした時遺体を見ることもできない状況で、そのまま火葬して骨になった兄の姿を見たときは、かなり実感のなさに打ちのめされそうでした。あいまいな喪失理論と出会ったときに、あぁ、わたしの経験もあいまいな喪失だったのではないかと感じました。

理論というのはたくさんの実証的な研究に基づいてつくられるものなので、現在進行形で起きている事象と照らし合わせても"ズレ"が生じることがあります。理論が事象のあとを追うようにして、アップデートして証明されていくものなのでしょう。

わたしの信頼する心理士の一人は
「あいまいな喪失」という理論自体があいまいなことにより引き起こされる議論なんだろう、と表現していてなるほどなぁとおもいました。

概念を知ることで、今経験してることに輪郭をもたらして救ってくれることもあるし、ぼやっとした輪郭により混乱が生まれることもある。

指紋のように違うグリーフ、だからこそ、生まれるものなのやろなぁと思いました。

今週はNHKのおはよう日本(7時台)で、私もインタビューいただき、特集してもらったものが放送予定です。

ぜひ多くの方に必要な情報が届きますように。

「コロナ下で死別を経験したあなたへ」

https://liveon-corona.studio.site/

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