17年目がはじまりました
母 在りし日の名を尾角恭子 恭安美観大姉 十七回忌法要を昨日、命日に無事に執り行うことができました。
今回はどうしても母が亡くなるまでずっと「帰りたい」といっていた関西で、そして、うつで苦しんでいた母やのに、よく楽しく思い出話を語ってくれていた、19の時に「鴨川でデートしていた」という京都の地でおこないたいとの思いから、長年(2010年3月より)お世話になっております、法然院の梶田ご住職にお願いして、法要をお勤めいただきました。
わたしが最も苦しんだ時期に暮らしたのも京都の地であり、かつ今の活動の礎があるのも京都です。
法要のために京都駅で新幹線からホームに降り立った瞬間、涙が止まりませんでした。16年前、母が亡くなって、10日後くらいに、同志社大に進学するため東京から京都に越しました。あのきつかったときの、空気を感じたのでしょうか。
16年経ったから「乗り越えた」とか「立ち直った」とか「前を向いてあるいている」といった感覚はなく、今でも自分の罪を強く感じてやるせない気持ちになることもあるし、子どもを産んで母親のもとに帰って育てている友人を見れば胸がきゅうってなるし、知りたいこと、聞きたいことは山ほどあるのに・・・とか、19の私には何もできなかったけれど、今なら旅につれていくこともできるのに・・・と思ったりする。
グリーフはいつまでも、いつまでも。
そして、亡くしてからの17年目がはじまりました。
今年はいよいよ兄と同い年になります。兄と母が、今、極楽で安らいでいることを願って。わたしはこの世で、もうすこし、いのち尽くして生き続けていきたいと思います。
法要を通じて、改めて、これまで支えてくださったみなさまとのご縁に感謝をしたいと感じました。
これまで、本当にありがとうございました。
そして、これからも、よろしくお願い申し上げます。
合掌 尾角 光美 拝