渡辺 慧『知るということ 認識学序説』(ちくま学芸文庫、2011年)を読みました。
最近、「知るということ」の不思議さが気になり、それに関する本を読んでいます。本書は数理から「知ること」に迫っています。みにくいアヒルの子の定理 (Ugly duckling theorem)は著者が証明したものでよく知られています。(めちゃアバウトに言うと、人間がアヒルの群れに混じった白鳥の子とアヒルを見分けることができるとしたらそれは人間の認知にバイアス(純粋に客観的ではない)があるからだという定理です。)これはメノンのパラドクス以来の知ることの限界を数理/科学哲学的に追究したものと考えられます。その一方、経済学では人間の(計算)能力の限界を明示的に考慮したモデルの必要性が指摘され限定合理性 (bounded rationality)というトピックがありますが、これはアドホックに人間の能力の限界をモデルにするというアプローチとともに、人間の認知能力が最大限あったとしたときの限界という意味合いもあったのだと合点しました。みにくいアヒルの子の定理に出会ったのは学生時代Ariel Rubinsteinの2冊の本 ('Modeling Bounded Rationality'と'Economics and Language')の中でした。そんなこんなで何か自分の興味関心が各方面クロスしてきたのでこれを形にしたいなと思っています。
本書より…
ものが似ているということはどういうことであるかと考えてみますと、大体においてその共通に持っている性質の数が多ければ多いほど、似ているというふうに言われております。たとえば、aという人とbという人は両方とも眼鏡をかけているではないか、aという人とbという人は両方とも太っちょではないか、aという人とbという人の背の高さは1メートル60以下ではないか、そういうような同じ共通した点を数え上げるのが普通です。
そういうことが本当であるかを考えてみます。すると、驚くことに2つの客体をどのようにとってきても、それらが共通に持っている述語の数は同じであることが証明できるのです。それは次のように考えれば分ることです。