国重 浩一『ナラティヴ・セラピーの会話術: ディスコースとエイジェンシーという視点』(金子書房、2013年)を読みました。
サイコセラピーにおける会話・対話、特にその中のディスコース(言説)と呼ばれるコミュニティで共有される規範を俯瞰・相対化するアプローチであるナラティブ・セラピーの入門書です。(形式としてはレイコフのメタファーの話に似ているかもしれません。)欧米ではなくオーストラリア・ニュージーランドというオセアニア発祥の手法のようです。私が学んでいる組織開発でも一部この手法を取り入れ始めているようですね。この本を読んでみると、私が普段行っているコーチングでも普段からやっている重要なことなのですが手法を方法論にまで昇華させているところが素晴らしいですね。著者はセラピストですが、この本では書籍や論文などの出所を丹念に記し、学術書のように論理的である一方著者が自分の言葉でて丁寧に語っているため非常にわかりやすいです。そんなに分量も多くないのですが、内容は濃く、読み終わるのに随分時間がかかりました。
本書より…
この立場では、言葉を、私たちの感情や考えを「演じることができる(パフォーマティブな)」ものであるとみなします。つまり、感情や考えがもともと備わっていて、それを言葉にしていくのではなく、言葉そのものが感情や考えをつくり出していくという発想です。そのため、言葉をただ何かを表現するだけの道具として扱うのではなく、言葉が果たす積極的な役割を見出そうとします。ここで、言葉の積極的な役割とは、言葉が私たちの現実をつくり上げているという側面を指します。
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ある特定の問題が、その人にとって「問題」であると決めつけているのは、一連の言葉、語彙、意味づけであるということです。よって、その問題を「問題」としてしまう、言葉、語彙、意味づけが変更されるとき、その問題の位置づけや重要性が変更される可能性があるということになります。
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それどころか、問題は私たちが住む時代、文化、言語などによってつくり上げられ、維持されているのです。そのため、どのようにして「問題が問題としてつくり上げられているのか」を見ることができるのです。そして、それが積み上がっていく実態を見つめることによって、問題の絶対性が崩れる可能性があるということです。社会的にどのようにして「それが問題として成立しているのか」ということです。これを成し遂げる過程で、私たちが「講師」になって、その問題の社会的な成立についてろんじることもできるでしょうが、それでは単に、その「問題」を一般化してしまっているだけです。ここで重要なことは、そのクライアントにとって、この問題がどのように構築されてきたのかという点なのです。
ナラティヴ・セラピーの会話術: ディスコースとエイジェンシーという視点