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相手を推し量れなかった参謀の末路
1812年6月のことでした。
46万人の兵力を上げてロシアに進撃しモスクワを占拠したナポレオンですが、勝利を得ることはできず、10月9日には退却することになりました。
かろうじてロシアから出してしましたが、厳しい冬とパルチザンにより従う者はわずか1600人という状況でした。
この機に乗じて、プロイセンはナポレオンに反旗を翻しました。
シャルンホスト参謀チームが活躍して独立戦争を起こしたのです。
とはいえ、さすがのナポレオンですから、そういう修羅場には強いです。
20万人の兵をエルベに集めて反撃しました。
やむなく休戦を申し入れ、ナポレオンもそれを認めました。
シャルンホストはこの戦いが敗因を分析した結果、兵力の差が原因であるとしました。
そのため兵力を集めることに奔走しましたが15万人の兵力を要するオーストリアの存在が重要だと考えました。
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実際にオーストリアはフランスとは宿敵であり直ちに参戦してくれると目論んでいましたが、過去に惨敗させられたナポレオンを恐れており、中々決断することができませんでした。
そこでシャルンホストは、自らウィーンを訪れました。
オーストリアの宰相であったメッテルに直接交渉することを試みたのです。
しかし、シャルンホストはオーストリアに入ることができませんでした。
オーストリアのナポレオンを恐れるという感情を推し量ることができなかったのが原因です。
結局、交渉することができずシャルンホストは命を落としました。
相手の感情を推し量るということは交渉する上で重要です。
それを忘れてしまうとそもそも交渉のテーブルにつけなかったりもします。
これは歴史にあるだけではなく、現在の交渉においても本質と言えるでしょう。
こういうことを推し量れるためにも見えない世界について学ぶことが大切です。
興味のある方はぜひ一緒に頑張りましょう。
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