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明石の苦悩

日露戦争の舞台裏では日本の参謀本部より派遣された明石元二郎大佐はフィンランドのシリヤクスやロシアのレーニンなど社会主義勢力と組んで革命のために精力を注いでいました。
その努力によって1904年の10月に、各党の代表を集めて合同の相談会を開くことまでできました。

相談会の目的は、ロシア政府に対して各党がそれぞれの要求を提出し、共同で檄文を発表することです。
このためには資金援助も行いました。
工作は順調に進んでいて相談会の準備もできました。

その前途をお祝いしつつ、明石とシリヤクスの2人が揃ってハンブルグを出発し、ストックホルムに帰ったのは1904年の8月でした。

しかし、ストックホルムに戻った日に最初に手にしたものは、まさかのロンドン駐在の宇都宮大佐からの電報でした。
その内容はすぐに来て欲しいというものでした。
彼はそのままロンドンに行くことになりました。

ロンドンでは宇都宮大佐がポーランド社会党の幹部であるヨードコーに詰められていました。
ポーランドの志士たちは行おうとしている党の連合会議において、シリヤスクがお膳立てをしているということが不満であったようです。
確かに革命をしたいけれども、敵国軍人の指導下で行われるのは筋違いだということで全員が欠席すると怒っていました。

明石は一体どのようにこの局面をまとめ上げていくのでしょうか。

革命ですから理性だけでなく感情も大きな影響を及ぼします。
日露戦争で勝つためには、このようなものをまとめていかなければなりません。
これがいかに大変だったかということです。
戦略においても自然哲学を元にしたわけですから、占術理論を勉強することには大きな価値がありますね。
興味のある人是非一緒に頑張りましょう。


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これからも良い記事を書いていきます。