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手の動きでどうして自然と一体になれるのか
密教においての印は仏や菩薩の悟りの内容を指で表現し宇宙の心理の一面を凝縮し表現していました。
実際に天皇即位の儀式である大嘗祭で、後醍醐天皇は密教による儀式である輪王灌頂において印の伝授が行われました。
それによって偉大な力を獲得できるとされています。
しかしながら、本尊とする仏や菩薩の手に結ぶ印を真似して、どうしてその悟りの力と一体化できるのでしょうか。
他の例で考えてみた時にインドの古典舞踊や日本舞踊では両手や指で様々な心を表現しています。
しかも、その動きをよく見ると流れるようなものではありません。
要所要所でピタリと止まります。
その曲を表現できてるかどうかは、その止まり方を見れば、一目瞭然で判断できます。
手の動きで曲がわかるように、行者が仏の手の動きを真似ることによってその仏の心の状態を我が身に実現することも可能ということです。
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このように密教の印には見えない世界のことをが凝縮されています。
手の動きにおいて自然というものを表現し、自らが自然と一体になっていくわけです。
そのような中身というものを考えていくことは、ただ真似するだけよりも怪しまれずに、周りに発揮することができます。
無知な人からの好奇の目というのは厄介なものですが、それを跳ね除けるためにも背景や理論に詳しくなる必要があります。
興味のある人は是非一緒に頑張りましょう。
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