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裏面

 この街に住み始めてから数ヶ月が経った頃の話だ。
 街外れにある公園──人通りが少なく、日当たりも悪い場所にある──に大きめの石が置かれるようになっていた。角の少ない、丸みを帯びた形状の石だった。
 そのことに、僕はそこまで興味を持っていなかった。石が置かれることなんて往々にしてあることだから、一々気にするようなことじゃないと思っていた。今思ってみれば、この気持ちのまま過ごすべきだったのかもしれない。少なくとも、詮索はするべきじゃなかった。


 石は、一定期間おきに増えていた。
 僕は仕事場の都合上、例の公園の前を通る必要がある。その際に時折、公園の中を覗いていくことがあった。無論、その行為に意味があったわけではない。不意に指を鳴らすような──行ってしまえば無意味な──行為である。
 そうして例の公園を覗いた時、目に映ったものは二つに増えた大きな石だった。見間違いと思ってもう一度見てみたが、確かに石は二つあった。「この前に見た時は一つしか置かれていなかったのに」と思いながら、その日は公園の前を通り過ぎていった。「こんなこともあるのだろう」と考えてスルーするつもりだった。
 それから数日が経った頃、再び例の公園の前を通りかかった。そして公園の中を覗くと、遺子の数が増えていた。石は二つではなく、三つ置かれていた。
 流石に、これはおかしいと思った。何故、石が増えているのだろうか。誰かが運んできているのか? だとしても、何のために?
 理由が分からない。思わず、不気味だと思ってしまった。でも会社に行くためにはここを通るしかないのだから、僕は無理をして通り過ぎていくことにした。その時はなるべく、公園の中を見ないようにしていた。石が増えていることを確認することが怖かった。


 石が置かれるようになってから、近所に住む人を見なくなった。
 朝も夜もカーテンが閉め切られていて、電気がついていない。まるでみんなして死んでしまったかのようだった。そんなことはないと分かっていても、不意に考えてしまっていた。
 一回、不安になったので隣の家を訪れることにした。インターホンを押し、返事が返ってくるのを待つ。ピンポンという軽快な電子音が耳の中でこだましている。
 返事はなかった。しかし、家の中からは時折物音が聞こえてきていた。紙の擦れる音、何か硬いものがぶつかり合う音。自然に発生することはない、人工的な音。
 だから、大丈夫だと判断した。近所の人は死んでおらず、なんらかの理由で外に出てこれないのだと考えることにした。その「なんらかの理由」は分からないが、詮索はしなかった。人には踏み入れられたくないプライベートな領域がある。そこに土足で踏み入ってしまうことを恐れた。とりあえず生きているのだからいいじゃないか、と自分の中で結論付けることにした。


 しばらくした頃、不意に石のことが気になった。
 きっかけなどなく、本当に唐突に興味が湧きだした。石のことが脳内を埋め尽くしていく。なんで増えていたのか。今も増えているのか。どうしようもなく、調べつくしたいと思った。
 手始めに、公園に監視カメラを設置した。インターネット通販で買った安価なものだが、記録装置としては十分に機能するだろう。僕は公園に監視カメラを設置し、石が増える瞬間を捉えようと考えた。
 しかし、その考えは不可解な現実によってへし折られてしまった。石が増える瞬間になると監視カメラがエラーを吐き出すのだ。画面には砂嵐がかかり、何も見えなくなってしまう。そしてその砂嵐が消えると、石が一つだけ増えている。
 仕方ないから、実地調査をすることにした。監視カメラが使い物にならないのなら、実際に現地で目撃すればいいと考えた。しかし、石が増える直前になるとふっと意識が途切れてしまう。意識の再浮上と共に地面に横たわっていることと、石が一つ増えたことを理解する。結論として得られた情報は「石が増える瞬間は捉えられない」というものだった。


 なんとなく。石を持ち上げてみようと思った。
 理由などなく、ふっと──生き物が息をするかのように──そう思ってしまった。そしてその衝動に身を任せて石を持ち上げる。ぬるっとした、気持ち悪い感覚が持ち上げた方の手のひらに伝わった。見てみると、そこには真っ赤な──それでいて鉄臭い──液体がついていた。
 正体はすぐに分かった。血だ。誰かの血液が、石の裏面にべったりと塗りたくられている。
 ズボンに血液をこすりつけて、石のあったところを見る。そこには、様子のおかしな地虫がいくつも存在していた。地虫の頭が、近隣住民の顔になっていた。意味が分からなかった。何故、地虫の顔が近隣住民のものになっているのだろうか? 誰かのいたずらなのか? いたずらだとしてこんなことができるのか? そういった疑問がいくつも浮かび上がった。
 石を地面に叩きつけ、その場を立ち去った。逃げるように、家の方へと走り出した。公園の方を振り返ることは一度もなかった。


 しばらくして、再び近隣住民を見かけるようになった。
 あの公園には近づいていない。会社は辞めて、今はコンビニでアルバイトをしている。ふと近隣住民を見ると、頭に包帯を巻いていた。「何があったのか」と聞いてみると、近隣住民はただ一言だけ「上からでかい意志を落とされた」と答えた。
 ふと、先日、石を持ち上げた時の出来事を思い出した。「まさか」と思い、浮かび上がった思考を振り払おうと強いて首をぶんぶんと横に振る。
 僕は軽く会釈して、家の中へと入っていった。
 近隣住民の頭部に巻き付いた包帯の内側は、静かにうごめいていた。


照守皐月 / teruteru_5
「裏面」 2024/09/08
CC BY-SA 3.0 / CC BY-SA 4.0

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