Moon Dancer
1930/09/21 AM1:29
アメリカ ロサンゼルス
煌びやかなネオンライトに照らされた空間の中、貴方は「友人の誘いを断ればよかった」と一人で後悔していた。確かにナイトクラブに対する憧れは持っていたが、まさかこんなにアウトローな空間だとは思っていなかったのだ。
周りを見れば厳ついタトゥーを入れた体格のいい男性のみ。さらに空間全体に酒と煙草が混ざったような嫌な匂いが充満している。もっと言えば、いかにも怪しいような薬を売り捌いている人までいる。この光景は確かに衝撃的で、今まで貴方が抱いていた幻想を砕け散らせるには十分なものだった。
──長居したくないし、帰ろうか。
貴方はナイトクラブの出口を目指して歩き出した。人混みをかき分けて進んでいく。「すいません」の声すら掻き消されてしまうほどの音楽が耳をついている。それでも歩みは止めずにいた。そして貴方は出口へとたどり着いた。これでようやく帰れる──そう思ったのだが。
「おい、そこの嬢ちゃん! 一杯やってかねえか! 今なら安くするよ!」
バーの店員から声を掛けられる。スキンヘッドで体格のいい──まるでマフィアのような──そんな男だった。貴方は思わず怯んでしまう。断りたいが、もし断ったらどうなってしまうのか。殺されるか、犯されるか。はたまたその両方か。嫌な考えがたちどころに浮かび始める。
助けてくれ。大声でそう叫び出したかった。視線を動かして助けてくれそうな人を探してみたが、まともそうな人間は誰一人としてここにはいない。もう受け入れるしかないのだろうか。ああ、こうなるなら来なければよかったな。そう思いながら貴方は口を開いた。
「ぁ、そうさせていただきま──」
流されるがままに言葉を吐き出そうとした時、突如として発言を遮られる。遮ったのは少しトーンの低い女性の声だった。その声の主の方向を見ると、そこにはドレス姿の長身女性が立っていた。
「ちょっとマスター、わたしの連れにちょっかい掛けないでくれます?」
「別に? ちょっかいなんて掛けてないけど?」
「禿頭の癖に嘘だけは立派なこと」
「禿頭は関係ねえだろ」と怒鳴り散らすマスターを無視して、女は貴方の方を向き、耳元に口を近付けて小さく呟いた。その仕草はどこか艶やかで、思わず見とれてしまうほどだった。
「貴方、こういうところ初めてでしょ」
「そうですけど──というか、どうしてわたしのことを連れって?」
女は「やっぱり」と言い、指をパチンと鳴らした。そして貴方に向き合って問いを投げかけてきた。女の目線が貴方を刺して離さない。その吸い込まれると錯覚するほどの特徴的な目線を貴方も眺めている。
「貴方を助けるために決まってるじゃん」
「助ける?」
「ええ。貴方みたいな娘は彼らにとっていい"カモ"だからね。それに困ってるようだったし、ほっとけないなって」
最後に「ちなみにあそこで断らないと犯されてたかもよ」と女は付け加えた。どうやら話を聞く限りだと違法薬物や殺人や強姦などはこの辺りではよくあることらしい。やはり最初に友人の誘いを断っておくべきだった、なんて考えていると、女が手を差し伸べてきた。
「まあ、とりあえず。ここに来たからには少しでも楽しんでいってちょうだい。怖がらせたままで帰すわけにもいかないしね」
女は貴方のことを黙って見つめている。ここでこの手を取らなければどうなるのか。多分──いつも通りの日常が待っているだけだろう。
──じゃあ手を取るとどうなる?
きっと退屈からは解き放たれる。先程まで憧れていた、ちょっとダークな世界に飛び込める気がする。絶対にそうなるって確証はないけど、その方が逆に夢があって魅力的じゃないか。
夢を見るためにここに来ている。だけど夢は敗れてしまった。これはきっと、再度夢を掴み直すためのチャンスだ。だったら、ここで手を取らない選択肢はないだろう。貴方は迷いを断ち切って、手を伸ばした。心臓が高鳴っている。
「そう来なくっちゃ。おいで、ここでの楽しみ方を教えてあげる」
そうして貴方と女は人混みの中へと消えていった。
CC BY-SA 3.0
照守皐月/teruteru_5
2024 「Moon Dancer」
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