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2008/11 ケルン→リンショーピン→ストックホルム→デュッセルドルフ

2007年11月のシカゴ出張から1年、再び海外出張のチャンスがやってきた。ドイツのデュッセルドルフで開催されるMEDICAという世界最大の医療機器展に行けることになったのだった。

例により、毎日何社かとのアポイントを事前にメールで取っておき、面談するというスタイルだ。ただこの時はビジネスを進めようと検討していたスウェーデンの会社から、「ドイツまで来るのなら1泊でスウェーデンに寄ればいいじゃん」というお誘いがあり、スウェーデンにも寄ることとなった。しかし観光で行くわけではなく、単に出張の日程が忙しくなるだけなのであった。ただ、欧州を訪れるのは初めてだったので、結構ワクワクモードであった。

2008年は4月にライカM6を購入した年であったが、一応お仕事なのでこれまで通りコンデジのみの持参となった。今回のお供は広角28mm相当まで対応となったIXY DIGITAL 910ISであった。弟からの借りものだ…。

成田空港からJALでフランクフルトに飛んだ。今こうやって昔の海外出張を振り返ると、現地まで行く過程の写真が全くない。これでは記録にもならないと今更思っているところである。フランクフルト空港では、大量のキムチを持ち込もうとした韓国人が税関で引っかかっていたことを思い出す…。

展示会はデュッセルドルフで開催されているのだがホテルが取れず、宿泊はケルンであった。ケルンと言えば世界遺産の大聖堂がある。テレビで見たとき、ここは行きたいと思っていたので願ったりかなったりであった。

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フランクフルトからケルンまではドイツの新幹線ICEで移動した。カッコいい。社内も日本の新幹線のようにビジネスっぽくなく、洗練されている。しかし車内の写真がない!

宿泊するホテルは、ケルンの駅からライトレールで30分ほどかかるのだが、すでに夜の9時を過ぎていたのでタクシーで移動した。駅前に大聖堂がある。あまりの大きさに圧倒される。

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なぜかホテルの部屋というのは撮影してしまう。翌朝はいきなり6:45ケルン空港発のKLMでアムステルダムに飛び、アムスで乗り換えてスウェーデンのリンショーピンに飛ぶという強行軍であった。したがって午前4:00くらいに起きて、準備をしなければならなかった。初日からキツイ日程であった。

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ケルンからアムスはプロペラ機であった。朝早いのでまだ暗い。飛行機はフォッカー50という機種で日本では見かけないためやや心配であったが、問題なく飛行し、1時間ちょっとでアムスに到着した。

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アムステルダム・スキポール空港。ここで90分ほど待つことになった。大きい空港だけに、欧州の北に行く便、南に行く便がどんどん飛び立っていく。

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アムスからリンショーピンはジェット機であった。これも日本では見かけないフォッカー70という機種であった。

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2時間ほどでリンショーピン空港に到着、小さい田舎の空港であった。そもそも普通の日本人はリンショーピンという町は知らないだろう。

相手先の会社がリムジン用意して迎えに来てくれていた。リムジンなど、乗るのは初めてであった。

まずは昼食であった。18世紀の建物とかでいい雰囲気のレストランであった。

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ただ、とにかく肉とポテトの量がすごく、おなかがいっぱいであった。同行していた上司ではないが上司的な存在の男性と通訳で来てくれていた女性は残していたが、自分は頑張って食べたのであった。思えばこの時食べ過ぎたことが後々尾を引くことになる…。

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北欧ではコメを食べないのか…、ポテトが主食なのかと思った。

昼食後は仕事。リムジンでリンショーピン大学病院に向かう。

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写真左の黒い車が乗ってきたリムジン。リンショーピン大学病院は、巨大病院であった。ここで相手先の会社が共同研究をしている放射線科の教授と1時間半ほどディスカッション。

会議は終了し、相手先の会社に移動する。まだ15:30くらいであったが、すでに外は暗くなり始めていた。高緯度地方の冬は日暮れが早いのを実感する。さらに2時間ほど会社見学と会議、ずーっと英語なので疲れ果てる…。終了しホテルに移動する。

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ほとんど休む時間もなく、ディナーに向かう。

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ディナーに招待されたレストランの記録がどこにもなく、ネットで調べたところ、特定できた。

確かスウェーデン料理のお店で美味しかったのだが、料理の写真が1枚もない。思えば相手先の社長やVP数人とのディナーだったので、料理の写真を撮る雰囲気ではなかったのだ。遊びで行っている訳ではないので、その辺は気を使う必要があったということだ。

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翌朝は鉄道でリンショーピンからストックホルムへ移動、8:00発の高速列車X2000で90分だ。

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1両なのでローカル線かな。

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X2000がホームに入線してきた。ヨーテボリから走ってきたのだろう。車体が結構汚れている。

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車内はとても洗練されており、日本の鉄道にはない格好良さがある。写真は車内で供された朝食…。

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ストックホルム中央駅に到着。写真を撮るヒマもほとんどなく、相手先のオフィスに車で移動。せっかくストックホルムまで来たのに、夕方まで会議。何も見ずに夕方にはストックホルム・アーランダ空港に移動し飛行機でデュッセルドルフ飛び、ICEでケルンに戻った。

この頃には前日食べ過ぎた影響が出ていて、胃の調子が悪くなっていた。海外でお腹の調子が悪くなるのは避けたいところだがやってしまった。

翌朝、朝食がまともに取れず、ホテルで用意してもらったお湯で持参したインスタント味噌汁をいただく、美味い…。

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MEDICAの会場であるメッセデュッセルドルフに行くため、タクシーでケルン駅に出る。ケルン駅ではいやでも駅前にある大聖堂を見ることになる。巨大だ…。

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ケルン駅の駅舎の中。日産車の広告が大きい…。

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ホームはまさに欧州の駅、いい感じである…。

この日の夜はケルンでいただく。

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大聖堂の近くのレストランで、ドイツ風カツレツを食べた。夜にはお腹の調子も回復してきていて、美味しくいただくことができた。

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ケルンの夜…。

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さらに翌日。ホテルからタクシーに乗るとアウトバーンをものすごいスピードで飛ばすのだが、ケルン駅に行ってくれと行き先を伝えると運転手が「どこまで行くのか」と尋ねるので、メッセデュッセルドルフと伝えるとそこまで日本円で確か1万5千円くらいで行くよ、という。丁重にお断りしてケルン駅までタクシーを利用した。やっぱり大聖堂が目に入る。巨大だ、早く中に入ってみたい…。

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やっぱりホームの写真を撮ってしまう。ところがこの日は電車の中で同行者(自分を含んで3名)で話が弾んでしまい、気が付くとデュッセルドルフを通過していた…。社内のドイツ人に聞いてみると、「デュッセルドルフは過ぎちゃったよ」、と言われる。慌てて次の駅で下車、デュイスブルクという駅であった。

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デュイスブルク駅で慌てて降りたところ…。ホームの時計を見ると9:53を示している。この日約束している会社とのアポイントは11:00だったが、ここから電車でデュッセルドルフまで戻って会場まで行くと間に合わないことが明白であった。

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デュイスブルク駅前、なんと雪が降ってきた。結局デュイスブルクからタクシーでメッセデュッセルドルフに行く羽目になった。料金が日本円で1万5千円くらいかかったので、「ホテルから乗ったタクシーでそのまま向かえばよかったのに…」ということになってしまった…。

この日の午前中のアポイントで今回の出張の業務はすべて終了となったので、午後はデュッセルドルフの街をブラつくことにした。

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メッセデュッセルドルフの駅。まだ帰りの時間ではないので空いている。

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11月末だったので、街はクリスマスモードになっている。

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路面電車。結構古い感じでいい雰囲気だ…。

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屋台のようなショップの中…。

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ライン川に向かって歩く。

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ライン川。やっぱり多摩川とは違うな…。

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初ヨーロッパだったので、日本での「作り物欧州」ではない本物の街並みが寒さとともに心に沁みてきた。

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タクシーもベンツ。

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デュッセルドルフの夜…。

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次の日はもう帰る日だ。夜の便なので、夕方までケルン観光できることになった。ホテルに荷物を置いたまま、路面電車でケルンに向かう。ホテルはマースドルフという駅の近くであった。

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ようやく待望のケルン大聖堂に来た。この大聖堂は、、水曜どうでしょうを見て知ったのだった。ミスターと大泉洋が階段を登って行く際、階段が擦り減っているのが印象的だったのだ。

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1248年着工、600年以上かけ1880年に完成したという。造形がスゴイ。

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中はステンドグラスが美しいがとても暗く、当時のデジカメではツラいものがあった。

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階段が擦り減っている。何100年かかけてものすごい数の人が登って擦り減ったのだろう。

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上から見下ろすライン川。天気が良ければいいのに…。

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とにかくデカくて画角に入りきらない。

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離れて全景を撮る。超広角レンズが必要だ!

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お昼にビールをしこたま飲んだ後、バスツアーでケルンの街を回る。

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晩秋の欧州…。寒かったが…。

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世界初のオーデコロンである4711オーデコロン発祥の地。オーデコロンはケルンの水という意味らしい。コロンをつけることはないので興味はなかったが…。

この後はホテルに戻り、荷物を持って再度ケルン経由でフランクフルトへ。JALで帰路につき、初の欧州出張は終わったのであった…。この翌年に運よく再度欧州に来ることになるのだが…。

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