ルールを作るワクワクを教育する

私の所属する某グローバル企業では、メカニズムというモノが重要視される。

メカニズムというのは日本語にすると「仕組み化」ということであるが、一般的には仕組み化という言葉はかなり広い意味で曖昧に使われているのに対して、このグローバル企業ではメカニズムがどう機能するのかというのを詳細に掘り下げて社内で共有している。

私も社内で「Scale Through Mechanism」という研修に出たことがあるが、ビジネスをスケールさせる(成長させる、事業成長要因を自己拡大させる)ためにMechanismが不可欠という理解だ。

グローバルで倉庫人員含めて70万人を超える会社なので当然といえば当然であるが、仕組みとして定着させ浸透させ機能させないとマネジメントしづらいし、組織が縦割り化(サイロ化)を生んでしまうという考えが根底にある。

なぜメカニズムか?これに対するジェフベゾスの有名な言葉がある。「Good intentetions don't work」 Good Intentionつまり良心・根性・気合、は機能しない、と。なぜか?既に多くの人は頑張っているからだ。もっと頑張れ、だの、もっと気をつけてミスを防げ、などただの精神論であって機能するはずがない、ということ。

組織としてScaleさせていくには土台としてMechanismが定着して機能していなかないと強くなっていかないのだ。

そりゃそうだろ、と読んでいただいている方は思うと思うが、それでも日常的にビジネス現場でよくやっている場面に遭遇する。

例えばECをやっているとして、メールマーケティングからの購入が月100件なのを150件に増やしたい、とする。ではインセンティブを出そうということで150件に達したら担当者を表彰しよう、5000円ギフト券プレゼントしよう、という施策を展開する企業は多い。150件購入という最終ゴールをKPIに分解し、「来月はメール開封率を上げよう」というKPI目標設定することもある。で、それ以降は担当者の努力に期待する。

というのが一般的なやり方。担当者がなんらかひらめいたり、凄まじい努力をすれば達成するが、担当者の力量に大きく左右されてしまう。その担当者の凄まじい努力を引き出すため強いMindsetを埋め込むべく組織文化(というか雰囲気と上司の詰め)でなんとかしてしまうのがリクルートのような企業。一方、某グローバル企業ではさらに突き進めて、担当者の努力・才能に頼り切らず、これ以上メカニズム化できないか?と考える。

開封率が上がる構造分解をメカニズム化できないか、と考えても良い。例えば過去の開封率のデータとそれぞれのメールのタイトル、画像数、画像タイプ、メッセージタイプ、メール本文の順番(画像が先か、クリックボタンが先か等)などデータ化して統計解析することを2週間に1度のグローバルメールマーケティングマネジャー会議で共有すること、としてもよい。その分析を共有することによって、先月100件購入が取れた時のメールでも本来あるべき画像数が足りないメールが3本くらいあるので、それを今月は修正すれるだけで150件行くかも、という算段がもっと確率高く狙えるだろう。で、今月実施してみて150件いかなかったとしてもそのデータを蓄積し、またミーティングでメカニズム通り分析し共有し来月の目標を狙う算段を立てる。データが溜まればメール送る前に、開封率が予測できるAIモデルも構築可能だろう。

メカニズムとは、こういったルールやプロセスを決め、組織内に定着・浸透して定期的に回すことを言っている。

単発の分析はメカニズムとは言わない。力量的に発案者しか回せない仕組みもメカニズムとは言わない。誰でも回せないと意味がない。形骸化して意味のなくなったプロセスもメカニズムとは言わない(社内ではそれはMechanisticと呼んでいた)

最も面白いと思うのは、そのメカニズムの有効性をチェックするメカニズムを重視していたことだ。

上記の例ではメールからの購入数が目標を達成していれば、メカニズムが機能していると考えてしまうのが一般的ではないだろうか?

だが、この企業ではたとえ目標が毎月達成できていようが、メールマーケティングマネジャーに定期的に調査し、この2週間に1度の分析ミーティングや分析結果ベースのメール戦略策定が効果的か、頻度は適切か、ミーティングのFacilitationは適切か、各メンバーが毎回腹落ちできているか、等々チェックすることをまた仕組み化するのである。

この例であれば、もしその分析結果がもうナレッジ出尽くして毎回似たような内容しか共有されなくなってくれば当然メンバーからは「もうあの分析は2週間に1度もやらなくてよい、要望ベースで実施するのでどうか?」と思われているかもしれない。メカニズムをチェックするメカニズムがあればこの改善策は本人が言い出すまでマネジャーが気付かないという事態を防ぎ、すぐに改善策を拾い改善に移せる。

こうして70万人の社員を抱え、世界中に人員が散らばっていてDiversityのある組織でもスピード感を維持できるのだ。

翻って、日本の教育現場。伝統的には「ルールを守る」ことを重視してルールを守る行動を優等生的に褒めてきた。そのMindsetに縛られている子供、また大人になってもその意識から抜け出せない人も多く見かける。「ルールを変える」「ルールを作る」つまりMechanismを作る経験を積むのを子供のうちからやることで「ルールを盲目的に信じない」「本来の目的に戻る」ということを学ぶと同時に「気合・根性に頼らない」という意識も学べるのだ。

最近の中学や高校では修学旅行を生徒が企画する。これは大変素晴らしいことだ。修学旅行は大人が段取りを立て、乗っかるだけのツアー客然とするのではなく、京都に行けば何をするのかを生徒自身が考える。ただ清水寺など寺社仏閣を見学するのか、歴史的な場所を尋ねる前にその場所の歴史を勉強し事前にクラスでプレゼンするのか、はたまた京都に行くなら任天堂を訪問し社員にインタビューするのかプレゼンするのか、発想は自由でいい。

これだけでも我々の世代からすると大変素晴らしく羨ましいが、Mechanismの観点でいうとこれはまだ単発なので、定期的な仕組みを作る経験を生徒が作ってもいい。東京にある新設校のドルトン東京学園では1年目の生徒自らがこれから生徒会というものを作るべきか、作るなら何のための生徒会にするのか、というのをゼロから生徒が自主的に考えているらしい。

教師は同席するものの見守っているだけ、というのも素晴らしい。

となると一条校では難しいかもしれないが、学習計画そのものを生徒たちが教師と相談して決めていく定期的な議論もMechanismとして作っても面白い。勉強や学習計画は教師が作ってくれるものでも、モンテソーリみたいに個人に完全依存するでもなく、生徒が集団として議論する、これこそ会社組織にも繋がるしスタートアップ企業のように全社員が経営者視点で会社をよくする議論を白熱して行うのと同じだ。

子供の頃から「ルールは守る奴がえらい」のではなく「ルールを壊し、作り変え、定着させ、改善のためにチェックするメカニズムを実装する、のが偉い」となればワクワクする子供ってもっと増えそうだ。

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