「ド田舎育ちのサッカー少年がJリーガーと対等になれた理由」5
中学生になり少し変わった理由
中学生になった私は小学生の時より明るくなったと思う
それは中学時代常に一緒にいたYの影響だと思う。
家が近いのもあり小学生の時からたまに遊んでいた仲だったが中学からは常に一緒にいるくらい仲良くなった。
Yは典型的なガキ大将
多分Yの事を良く思わない同級生もいたと思う
Yはとにかく明るくてお喋りだった
気分屋なので機嫌が悪いと大変だった
YES、NOをはっきり言える人間だった
空気を読まない事が多い奴だけど
自分の感情を素直にだすYが好きだったし少し羨ましかった。
友達思いでなにかあればすぐ助けてくれた
Yとは今でも交流がある
ここ何年かはあまり会っていなかったが
去年私の実家が水害で大変になった時すぐ駆けつけ助けてくれた
泥だらけになりながら一生懸命作業を手伝ってくれた彼を私は一生忘れない
Yはそんな奴
Yは中学時代、以前出てきた動けるおでぶちゃんAと共に野球を頑張っていた
A、Y、私は仲が良かった
3人とも4つ上に兄弟がいたのもあり少しませていたと思う。
当時はとにかく女の子にモテたかった笑
今思うと思春期でのモテたいという気持ちは素直な感情だし必要な事だと思う
私は今指導している中学生達に良く彼女がいるか聞くし、モテようとしなよと言う
これにも理由があって彼女を作ったりモテるためには必要な事があると思う
・身だしなみに気を使う
・異性や人の気持ちを理解しようと考える
・コミュニケーションを取る
これは全てサッカーにも通じるし大人になっても役立つ
実際上手な選手は私生活でも周りが見えているし、彼女がいる選手が多かった。
最近中学生を見てて思ったのが大人になると「また明日」と言う事が少なくなる、というか無い気がする
「またね」とか「また今度」は
言う事が良くある。
「また明日」という言葉には明日会おう、明日話しよう、という意味が含まれていると思う
そう思える友達と毎日会える環境の学生って素晴らしいし「また明日」って素敵な言葉だと思う。
A、Y、私で部活後今日あった事をだらだら喋りながら帰る時が好きだった
内容なんてあってない様なものだから覚えているエピソードは少ないけど3人で帰っている風景は今でも目に浮かぶ
別れ際は決まって
「じゃあね、また明日」と言って別れた
とても良い思い出だ。
サッカーがもっと上手くなりたい
中学生になり上手になりたいと思いトレセン(選抜)にも行った
トレセンにはセレクション(試験)があり合格しないと行く事が出来ない
セレクションを受ける申し込み用紙には
「試合での動きを主にチェックする(プルアウェイやダイアゴナル)」と書いてあった
「プルアウェイ?ダイアゴナル?」
田舎者の私には聞いた事がなかったのですぐ本屋さんに行き貴重なお小遣いでサッカーの本を買って勉強した
どうやらボールがない時の動き方らしい
次の日の練習から必死にこの2つの動きを意識した
後にこの2つの動きが私のサッカー人生を支える武器となっていく
中1の頃は私とスポ少時代のキャプテンS2人が受かった、上手な選手がいっぱいいるトレセンは本当に楽しかった
チームの方は3年生がいなくなり人数が減ったので私達1年生も普通に練習出来るようになった。
このタイミングでスポ少時代お世話になっていたコーチ(1つ上のM君の父)が指導しにきてくれるようになる。
夏が過ぎ秋になると新人戦が始まり、下越の強豪H中との対戦があった。
H中の監督はトレセンの監督でもありH中にはトレセン選手が10人近くいたのもありとても強かった
0−3で圧倒されて負けた、試合前からトレセン選手が多い事や監督の事も知っていたので少しびびっていて何も出来ずに負けて悔しかった。
普通にやっていても差は縮まらないもっと練習しないと、次にH中と試合が出来るとしたら来年夏の下越大会、次は絶対負けない
そう思いとにかく練習した
チーム練習が終わった後も1人でボールを蹴ったし家に帰ってからは走った。
今思えばオーバーワークでこの頃腰を痛めた
ガムシャラにやればいいものでは無いがこの時はわからなかった、とにかく必死にサッカーと向き合って行動していた自分を今は褒めたい。
指導者となった今は適切な練習や努力を伝えたいと思う。
次回は2年生になった私
郡市大会を勝ち抜き下越大会に出れたのか?
そして因縁の相手H中と試合をする事が出来たのか?
読んで頂きありがとうございます次回も是非ご覧ください。
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