シャンパンタワーの法則の甘い罠にお気付き?
これぞ秋!という素敵な香り漂う、金木犀
ひとつひとつは小さな花なのに、花の女王と呼ばれる薔薇の香りよりも、広範囲に香る
短い秋に素敵な彩りを添えてくれる
秋好きな人間としては、忘れてはならぬ風物詩のひとつである
金木犀が香る朝の部屋でこれを書いている
Twitter改めXに懐かしいシャンパンタワーの法則について書いている人がいて、やっぱりこういう解釈なんだと思い、これについて書いてみようと思った
私はシャンパンタワーの法則を知った時から、何故か全く腑に落ちなかった
目の前でキラキラシャンパンが流れるのは綺麗だが、法則には内心抵抗していた
この手の話は多くは米国の自己啓発や心理学からの発信が多いのでこれもか?と調べてみた
違った
各自お調べください(人物批判ではないので)
以前にも書いた気がするが、まず自分を満たすの罠について
これに賛同、傾倒する人は、現在に不安、不満、欠乏感、焦燥感などを感じている人だと思う、そしてこれだけ認知されたという事は現在の日本の状況というのもよくない事がわかる
そして、皆がより楽で安易な物や方法を求める傾向にあるという事だろう
みんな、何かに縋りたいより何処にしたい、わかる私もそのひとりだ
紆余曲折して現在の心境になっているのではあるが、もしも道が逸れているなら早くにわかればよかったと思っている
ある女性の一言がずっと重石のように心に残っていた
一人で歩め
ここに来てやっとその言葉の深い意味が理解でき、ほんにその通り!と思っている
おっと、話しが逸れた
私は幼い頃から、みんなが幸せになれば良いと思っていた
沢山の笑顔の人を見ると嬉しくて涙が出る
誰かが喜んでくれるのが私は素直に嬉しいと思っていた、自分の物を差し出して手元になにも無くなっても
少しやっていたセラピスト時代にもそう思ってやっていた
しかし、当時書いていたブログで、あなたは間違っている!自分が満たされていないのに他人を喜ばす事は出来ない!とコメントが来た
討論を逃げた私は無難に、そうですね
と返した、なんて卑怯なヤツだ
その時に、巷ではこういう風になっているんだと思った出来事だった
自分はお金持ちではなく、綺麗でも可愛くもなく、スタイルも良くなく、家庭にも問題もある、性根も良くはなく
そんな人は他人に親切にしたり、他人を喜ばせたりしたらダメなのか?
上記に書いたものは満たされる事なのか?
満たされるって何なのか?誰かが作った条件ってそれ自体が本当なのか?
確かにお金に余裕があり、綺麗な身なりで美味しいものを食べ、楽しい場所で生きていくのは一時の欲が満たされ、間違いなく楽しいし、幸せを感じるだろう
でも、それが満たす事なのか?
全部、無くなってしまうものだ、永遠ではないから必ずまた満たされない自分がやってくる
お釈迦さまは一番貧しい人の所から托鉢に行きなさい、と托鉢に出る弟子たちに言われたという事をしっかり考えてみよう
家族で食べる最後の一個のパンの半分を差し出してくれる人と、大金持ちが差し出す100個のパン
まず、自分は満たされている事に気付けと教えてくださっている
本当に自分は満たされてないのか?
そして、条件として満たされることを追い求める事が幸せになる方法なのか?
貴方は何で自分を満たそうとしているのか?
何かで満たそうとする限り、永遠に満たされる事がないのが現象世界だ
この世界が現在のように高度に成長してきたのは、欲があったからに他ならない
欲は諸刃の剣で、行き過ぎると収拾がつかなくなる、今がその時かもしれない
これを書いている途中に画像を検索していたら、シャンパンタワーの法則の罠について書いている人がいて
おお!と思ったら、私とは主旨が全く違っていて、流れは元の法則と同じだった
最上部の自分のグラスが割れていたらいつまでも自分は満たされにずに他者にダダ漏れって
もう、なにが何やら
元よりもっと自己中心になっている
イエスもお釈迦さまも利他愛をあんなにも強く説いていらっしゃるというのに・・・
誰一人として自我を強くしなさい、などとは説かれていない
自我をすべて明け渡す
これが究極だというのに
みんな、何を目指してるんだろうね?