
北欧神話、最大のスター
北欧神話の三話目。
第一回は、主神であるオーディン。第二回は、オーディンの奥さんと、主要な神様をざっと紹介しました。
となると三回目は、いよいよロキに登場してもらうしかないでしょう!
だいたいどの文献見ても、ロキのことは「トリックスター」って紹介されている。ここで説明するまでもないけど、トリックスターっていうのは、「いたずら者」とか「詐欺師」とか「悪漢」とか、そんな意味に使われる言葉だから、ロキくん、かなり扱い悪いよね。まあ、確かにトリックスターなんだけども。
でもね。ぼくはロキって、北欧神話の大スターだと思うんです。なんて言うと、そんなバカな? と思う人も多いでしょうね。でも「名脇役」という表現なら、おそらく北欧神話に興味のあるほとんど人が、うなずくんじゃないかな。それほど、ロキって、北欧神話の多くのお話に登場する。ロキだらけ。
そこで、誤解を恐れずに言うと、信仰としての「北欧神話」に、オーディンは必要だけど、物語(ストーリー)としての「北欧神話」に、オーディンは必要ないかもしれない。チュールがオーディンの代わりを努めても成り立つ。ところが、ロキには代わりがいない。ロキがいなかったら、少なくともぼくは、このエッセイを書く気にはならなかった。
というくらい、ぼくはロキ大好きだから今回のエッセイは長いよ。覚悟してね(笑)。
ロキ。
彼は巨人族のファウルバウティを父に、やっぱり巨人のラウフェイさんを母に生まれた。つまりロキは純潔の巨人族なんだね。それなのに、なぜオーディンに気に入られて、アース神族の仲間入りをしたのだろう?
理由はわかりません。ぼくが知らないんじゃなくて、北欧神話を研究なさっている先生方がご存じないんだからお手上げ。でもずっと手を上げてるのも疲れるから、勝手に想像しちゃおう。その理由はずばりハンサムだったから。って身も蓋もない理由だなあ(笑)。
でもね、マジでかなり美しかったらしい。髪は金髪。だからオーディンに気に入られたと考えてもいいんじゃない? どうせ学者の先生も答えを知らないんだから、「それは間違いだ」と、怒られることだけはないわけだ。しかも神々の最後の日「ラグナレク」では、ヘイムダルっていう、かなり強いヤツと戦って相打ちになってるから、顔がいいだけじゃなくて、オーディン好みの勇猛さも持ってる。どうよ。美しさと強さを合わせ持つロキ。彼がオーディンに気に入られた理由は、これで決まりだね。
ところが。
ここからがロキのすごいところ。彼ってば本当はすごく強いくせに、めったに武力には頼らない。オーディンをはじめとするアース神族の連中は、なにかっちゅうと、武力で物事を解決しようとする脳筋揃いだけど、ロキは話し合いを好むんだよね。まずは相手を説得する。騙してるだけって意見もあるだろうけど、武力に頼る連中より知的なのは間違いない。
そんなわけで、頭の中に筋肉しか詰まっていない神様たちの純朴で単調だった神話が、ロキの登場で、がぜんおもしろくなってくる。ロキはときに神々を助けたり、あるいは悩ませたりと、本当に大活躍なんだよね。それどころかロキは、神々の滅びの日「ラグナレク」に深く深く関っているから、北欧神話という「物語体系」そのものといっても、あながち間違いじゃないかもしれない。って、そこまで言うか(苦笑)。
ところでロキって言えば、変身能力があるので有名だよね。しかもね、ロキは知的な文化人だからバイセクシャルなのよ。
彼のバイセクシャルぶりはすごい。本格的。だって自分の性別を変えちゃうんだもん。だれかさんも「ぼくの願い。第四夜」ってヤツで、女になっちゃう男の話を書いてるけど、ロキは自分の意志で女になったり男になったりできる。ぼくはさっきからバイデクショルと書いているけど、真面目な話をすると、ロキという存在自体に性別はないんだと思う。ま、そもそも人間じゃないし。
でもね、ロキは「人に変身する能力」はなかったっていう説もある。動物にしか変身できなかったと。オーディンはその逆で動物には変身できなかった。
これはどうだろうね。オーディンが動物に変身できないのはその通りだと思うけど、ロキに関しては疑問だ。「古エッダ」に、地下で八年の間、女の姿だったっていう詩が残ってるから「人間の女」にも変身できたと考えるほうがいいと思う。だいたい馬やカエルに変身できる男が、なんで人にはなれないわけ? それはなにかの「呪い」のせいとかなら理解できるけど、そんな話はエッダに残っていない。
さて。それではロキの変身能力とバイセクシャルの精神(?)が、いかんなく発揮されたお話を紹介しましょう。
神々の国アースガルドは、国を守る高い城壁で囲まれてるんですよ。これがヴァン神族と戦ったときすっかり壊れちゃった。直さなきゃいけないんだけど、大工事になるのは目にみえてる。こりゃ大変だ。と神様たちは途方に暮れる。その昔オーディンが作った城壁だから、またオーディンが、さっさと直せばいいジャンか。と思うんですが、このときなぜかオーディンは、ただのオッサンに成り下がっているので、そういう力はない。
そんなとき。ひとりの大工がやってきて「あっしが直しましょう」と、申し出た。しかも、一年半で直しましょうだって。そりゃすごい。
「ほほう。それはありがたいね」
と、オーディン。
「して、おいくらかね?」
神様もちゃんとお金払うのね(苦笑)。
すると大工が言った。
「お金はいりません。ただ、ひとつだけいただきたいものがあります」
「なにかね?」
「はい。フレイヤを、わたしの花嫁にもらいたいと思います」
「な、な、な、なんですとーぉ!」
オーディンは大工の出した条件にぶったまげた。
いやあ、これでアースガルドの神様たち大騒ぎ。城壁は直したいけど、フレイヤを嫁にくれてやるなんて、もってのほか。だって、このときすでにアースガルドの男神どはフレイヤの魅力にすっかりまいっちゃって、フレイヤは「すべての神々の愛人」状態になっていた。オーディンからしてフレイヤの魅力にメロメロ。
さて困った。どーすべえ。と思っても、彼らはバカだからアイデアなんか一つも浮かばない。オーディンくん。何度も言うようで悪いが、きみは知識の泉の水を飲んで、なんでも知ってる賢者になったのではないのかね?
まあいい。
ってわけで、アースガルドの神様は、やはり腕力で解決。フレイヤを要求するなんざ、とんでもねえ大工だ。追いだしちまえ。となるわけなんですが、そこへロキ登場。
「まあ、まあ、きみたち。短気を起こしちゃいけない。ヤツは一年半かかると言ってるんだから、それを半年でやらせる条件にしたらどうかな。もし半年で完成させられたら、そのときはフレイヤを嫁にくれてやるとね。いくらなんでも半年で完成させるのは無理だろうから、大工はフレイヤを手に入れられない」
「ロキ。それじゃあ、けっきょく城壁も完成しないじゃないか」
「死ぬ気でがんばった大工が、半分ぐらい完成させるかもよ。つまりぼくらは、無料で城壁の半分を手に入れるわけだ」
「おおーっ!」
神様たち、一斉に声を上げる。
「さすがロキ。頭いい!」
「ははは。そう誉めるなよ」
という会話があって、大工に半年の工期でやらせることにしました。だれの力も借りず半年ですべて完成させたら、フレイヤを嫁にくれてやる。完成しなかったら、ビタ一文払わないぞ。というわけです。
「そ、それはご無体な……」
「ふふふ。イヤならいいんだよ、大工くん。荷物をまとめて帰りたまえ」
「ぐっ……」
大工は歯ぎしり。どうしてもあの超がつくほど美しいフレイヤを奥さんにしたい。そこで大工は言った。
「わかりました。その条件を飲みましょう。ただし石を運ぶ馬だけは使わせてください」
「だれの助けも借りちゃいかんと言ったろうが」
「いや、しかし…… こればかりは、なにとぞ!」
ここで、ロキがまたまた登場。
「まあまあ、オーディン。馬の一頭ぐらい、使わせてやってもいいじゃないか。そう固いことを言ってはいけないよ」
と、これで交渉成立。
さあ、それからの半年間、この大工は身を粉にして働いた。じつはこの大工、巨人族が化けていた姿だったのです。巨人だからもちろん力持ち。そして彼が手伝わせた馬が、スヴァディルファリという名馬で、主人のために石きり場から、せっせと石を運んでくる。いやはや、この馬のよく働くこと。主人が寝てる間も、せっせと石を運ぶ。そんなこんなで、あっという間に時間はたち、いよいよ約束の日までに、あと数日と迫ったころ、神様たちがあわてだす。なんと、もうほとんど城壁は完成して、間違いなく約束の日にはでき上がっちゃう。
「イヤよ!」
とフレイヤ。
「あんな巨人の嫁になるなんて、絶対にイヤよ! 冗談じゃないわ!」
フレイヤさん、プライド高いからね。まあ、それでなくても、報酬の代わりにされるなんてイヤだわな。(実はこの人、その美貌のせいで、年中貢ぎ物として要求されるんだよね)
「ロキ!」
オーディンはロキを呼び出す。
「てめえのせいで、大変なことになったじゃないか! なんとかしろ!」
「おいおい。ぼくのアイデアに、きみも賛成したじゃないか」
「馬を使っていいといったのは、おまえだろうに! てめえフレイヤちゃんを泣かしやがったら、ぶっ殺すぞ!」
えーと、言葉遣いは悪いですが、オーディンは確かに「殺す」と、ロキを脅してます。ホントにこいつ、腕力だけのバカだよなあ。ま、実際には「大工が失敗するような方法を考えつかねば、おまえにはひどい死に方が相応しい」って感じで、ロキを脅している。オーディンの方が、はるかにひどい悪役だよ。っていうか正統派の悪役? みなさん。オーディンって好きになれます? ぼくが北欧神話の第一回目のエッセイから、くそオヤジだって言い続けてるわけが、わかっていただけたかしら?
話を戻そう。
「ぶっ殺すぞ」と、オーディンに脅されてロキは震えた。主神には逆らえない。なんとか打開策を考えなくてはならなくなった。
ロキの考えついた打開策とは、まさにトリックスターに相応しいようなものでした。すごいよ、ホントに。ビックリするような方法。
ええと、とにかく大工の馬がいなくなりゃ、石を運べないから工事が止まる。そうなれば大工は失敗するわけなので、ロキは馬をなんとかしようと考えるわけです。そこでお得意の変身能力を使ってキュートな牝馬に変身。そして大工の馬を誘惑したっていうんだから、さあ大変だ。このあとは書きたくないなあ。でもこれで重要なアイテムが増えることになるんで書かないと。
えーとですね。大工の馬を誘惑した牝馬のロキくんは、そのまま茂みの方へ誘っていって、そこで雄馬とベッドイン。馬だから交尾か。メスの馬に変身してオスの馬とセックス…… 違う。交尾するなんて、ロキってばバイセクシャルとか以前に、行きつくとこまで行ってます。人様の性癖にとやかく言うつもりはないけど……これはさすがに。
まあいいや。
これで大工は失敗して、フレイヤは巨人の奥さんにならずにすんだんだけど、馬の愛人になっちゃったロキは、さらにすごいことをやらかします。えーとマジで書きたくなくなってきたんだけど、なんとあの晩のセックス……失礼。交尾で見事に当たっちゃって、ロキくん妊娠しちゃいました。はい。馬の子供を。もうぼくの想像を越えてます。
そしてロキは、安産だったかどうかは知らないけど、無事に馬の子を出産。馬のお母さんになっちゃった。その生まれた馬の名前が、かの有名な「スレイプニル」。こいつがとんでもない名馬で、どんな馬よりも速いのはもちろん、空も海も駆けることができる。さらに命ある者が決して行くことのできない、冥界にさえ渡る能力を持っていたんです。なんてったって足が八本あったらしいから。ただしぼくが調べた範囲では「古エッダ」に、スレイプニルの足が八本あるなんて表現は発見できなかった。「散文エッダ」の方には八本って書いてあるから、お話が後世の吟遊詩人によって膨らんだのだろうね。
あ、説明してなかったっけ? 北欧神話の元になった「エッダ」には、古来からの詩の形式で書かれた「古エッダ」と、十三世紀にアイスランドの詩人(学者でもあった)スノリってオッサンが書いた(編纂した)「散文エッダ」って二つあるんだよね。困ったことに、同じ物語でもこの二つで内容が異なることがあるんで矛盾に拍車が掛かる。
それはともかく。
オーディンはロキが腹を痛めて生んだ子供である馬を、自分の愛馬にしちゃいました。このオッサンどこまでも卑劣なヤツ。けっきょくロキのおかげで城壁はほとんど完成するわ、フレイヤは無事だわ、冥界にさえ行ける名馬を手に入れるわで、こいつばっかり得してる。ぼくに言わせりゃ、オーディンがもっとも、えげつない。
そこで結論! この逸話での悪者はオーディンである。ロキは、まったく、少しも、これっぽっちも悪くない! 変態的行為は別にして(汗)。
続きましてはロキとトールのお話。前回トールは、すっごい見事なハンマーを武器にしてると書きましたけど、このハンマーを手に入れたのもロキなのです。
えーと、時間はまたまたアース神族とヴァン神族の戦争に遡ります。このときトールはヴァン神族との戦いで大忙しだったんですけど、彼のうちじゃ大変なことが起こっていた。
「やあ、シフ」
とロキ。シフはトールの奥さん。
「うふふ。いらっしゃいロキ」
シフは夫がいないのをいいことにロキに抱きつく。ロキってハンサムだからねえ。
「きみの髪はいつ見てもきれいだね」
ロキはシフの美しい金髪をなでた。
そうなんです。シフは女神の中でもっとも美しい金髪を持っていたのでした。
「ありがと。わたしの一番の自慢よ」
「さあシフ。楽しもうじゃないか」
「ええロキ」
ロキとシフは熱いキスを交わして、そのままベッドインでございます。早い話、不倫ですね。
ああ、それにしてもシフったら。愛妻家と言われる夫を裏切っていたなんて……と彼女を責めてはいけない。トールだって愛妻家だのなんだの言われてるわりには、平気で浮気するんだから。だいたい、この時代のゲルマン民族には貞操観念というのが希薄だったんじゃなかろうか。ちなみにロキは有名どころ(?)の女神とは、大抵ベッドに入ってるらしい。もちろんフレイヤともね。それどころかチュールの奥さんとは子供までつくちゃったらしいよ。(ま、そんなことやってるから男神の恨みを買うわけだわな)
そんなこんなで、アバンチュールを楽しんだロキ。満足して家に帰ったあと(彼の家はアースガルドにはないんだけど)、どうにもシフの美しい金髪がほしくなってきちゃう。そこでトールの家に忍び込み、眠っているシフの髪の毛をチョッキンとハサミで切って持って帰ってきちゃった。
なんでそんなことするの? 理由は簡単。ロキがこういった意味のない行動を始めてくれないと物語は進まないから。だから理由なんかどうでもいいわけ(たぶん)。今回はシフの髪がきれいだから欲しくなったなんて、もっともらしい理由を神話作家の先生方は作ってるけど。
さあ髪の毛がないことに気づいたシフは、それりゃもう泣いた泣いた。髪は女の命。しかも彼女ったら、自慢できるのは髪の毛だけだったらしく、それがなくなったのでもう大変。ここへ愛妻家のトールも帰ってきて、奥さんの髪がなくなっているのにビックリ。
「ロキの野郎! 絶対に許せん!」
待て。なんでロキの犯行だとわかった? まあいい。深くは問うまい。そこまで頭が回らなかったんだろう。神話作家の先生方。
ともかく責任を追及されたロキは、わかったわかった、なんとかするから。と言って小人の国へでかけていく。ちなみに小人さんたちとーっても手先が器用で、金銀細工はもちろん、いろんな武器や大きな船だって作っちゃう。職人集団だな。
ロキはその中でも金銀細工のうまいってことで有名な小人を訪ねる。ホントは名前があるけど、書くのも覚えるのもめんどうだから割愛するね。とにかくその小人に、シフの髪よりもっと美しい金のカツラを作ってくれと頼む。
「ん~、でも無報酬じゃ働けないなあ」
と小人さんたち(二人組でした)。
「報酬はあるぞ」
とロキ。
「シフとトールのから感謝されるし、もちろん、ぼくもお礼をするよ」
「そうですか。じゃあ、がんばってみますね」
小人たちはさっそく金細工に取り組む。さすがは天下一の腕を持つ職人。たちまちのうちに、もともとのシフの髪よりも、ずっときれいな金の糸が出来上がった。小人さんたちは、金を溶かした火をそのまま消すのはもったいないと考えて、フレイのために船を(船? なんでそんな物が作れるの?)、オーディンのために槍を作ってあげた。
「さあ、できました」
と小人さん。
「これを神様たちに持っていって上げてください」
「ありがとう」
ロキはそれらを受けとって、さっそくアースガルドに……もどらなかったんだなあ、これが。
ロキはその足で、またまたべつの小人さんを訪ねた。
「あっちの小人がこんなに見事な品々を作ってくれた。さあ、きみたちにこれを越えられる物が作れるかな?」
すごい。商魂たくましいというか、頭がいいというか。さすがはロキ。
ところがロキの挑発に怒った小人さんは、賭けをしようと言い出す。それよりも素晴らしい物を作れたら、おまえの頭をくれと。
頭?
つまりこの小人さんたち、ロキに命をよこせと要求したわけ。さすがヴァイキングの物語は小人さんも過激だわあ。ロキはもちろん賭けに乗る。後先考えない行動と言うなかれ。ここでその賭けを承知しなきゃ話が進まない。
で、このとき小人さんが作ったのが、トールのハンマーだったわけ。こんなすごいモン作られちゃ、当然賭けはロキの負け。ロキは頭の代わりに、自分の頭と同じ大きさの黄金をあげるから許してちょって、小人さんに頼んだんだけど、承知してもらえず、けっきょくその災いをもたらす口を縫い付けることで許してもらった。なんかちょっと可哀想だぞロキ。得したのはトールだけじゃないか。あ、シフも得しました。だって自分の髪より、ずっと美しいカツラをもらって、大喜びしたそうだから。トールなんか口を縫われたロキを見て、ゲラゲラ笑ったそうだ。なんてヤツ。トールくん。あんたにロキを笑う資格はないぞ。なに? 女房を寝取られたんだから、笑うぐらいいいだろうって? だったらあんたも浮気をやめなさい(苦笑)。
このあとトールはハンマーを盗まれちゃうお話もあって、そのときもロキの機転で助けられたりしてる。ロキってば本当はいいヤツなのよ。
さてさて。どんなもんでしょう。いかにロキが多彩な活躍をしているかわかっていただけたでしょうか。
ではそろそろ暗い話を始めようか。じつはこんなイタズラ好きのロキくん。神々の滅びである、ラグナレクに深く深く関っています。いや、もしかしたら、ロキこそが神を滅ぼした張本人かもしれない。
まず巨人族の美しい娘さん、スカジの恨みを買った話をしようか。
事の発端は、ロキがオーディンとヘーニルの三人でミッドガルドを旅していたときのこと。旅の途中、牛を見つけたんで、これをとっ捕まえて地面にかまどを掘って焼き始めた。ところが一向に肉が焼けない。変だなあ、と思っていると木の上に一匹の鷲がいた。その鷲がオーディンたちに言う。
「なあ、オレに牛の分け前をくれるなら、そのかまどで肉が焼けるようにしてやるぞ」
どうやらこの鷲が、かまどが使い物にならない魔法をかけていたらしい。まあ、しょうがないんで、わかった。分け前をやるよ。とオーディンたちは承知する。で、お肉がいい具合に焼けてくると、その鷲は、さっとかまどに降りると、二枚のもも肉と、両肩の肉とを取って空に舞い上がった。
これにロキが怒った。もも肉好きだったのかね? それとも牛って肩の肉が美味しいのかしら? よくわかんないけど、たぶん、いいところを盗まれたんでしょう。ロキはとっさに杖で鷲を殴ろうとしたんだけど、逆に鷲がその杖を足でつかんで、ロキごと空に飛んでいっちゃった。そしてロキは鷲にさんざん痛めつけられる。
なぜかロキは、握った杖から手が離せない。これも魔法だ。鷲はちょうどロキの足が石や砂利や木にぶつかるように飛び、ロキの腕は肩から抜けるんじゃないかと思うくらい強く引っ張られる。拷問だね、もはや。
「うわあ! ちょっとタンマ! 悪かった、ぼくが悪かった! 助けてくれ!」
ところが鷲はニヤリと笑って言った。
「ふふん。許してほしかったら、女神のイドゥンが若さのリンゴを持って、アースガルドから出てくるようにしろ。そしたら助けてやるぜ」
「な、なにをバカな。イドゥンとリンゴがなければ神々は老いて死んでしまう!」
「じゃあ、おまえが死ね!」
「卑怯だぞ!」
「なんとでも言いな。おまえが約束を破れない神聖な誓いを立てるまで、こうして苦しみ続けてやる」
という恐ろしい体験をして、ロキはついにイドゥンとリンゴをなんとかすると約束してしまう。
じつは、この鷲。シアチという巨人族が化けていたんですよ。だからロキといえども負けちゃったわけ。そして彼の計略にまんまと落ちてしまった。
で、そのあとロキは約束通り、女神のイドゥンと、彼女の持ってる若さのリンゴをシアチに渡すんだけど、今度はオーディンが怒る。
「なんてことをしてくれたんだ、ロキ! てめえのせいで、神々がジジイとババアになっちまったじゃないか! あ、あのフレイヤちゃんさえもバアさまになっちまった。許せん、許せんぞ、ロキ!」
「待ってくれ、オーディン。ぼくも仕方なくやったことなんだ」
「うるさーい! イドゥンとリンゴをすぐに取り返してこい! さもないときさまの背中に、血染めの鷲を掘って、そのあと、ずたずたに引き裂いて、ぶっ殺してやる!」
と例によってオーディンに脅されて、ロキはイドゥンと若さのリンゴを取り戻す計画を練る。本当にロキってば忙しいわね。
なんとかかんとか、ロキはシアチの家にたどり着いたんだけど、なんと運命はロキに味方した。そのときシアチは留守で、イドゥンが一人でいたんだ。ロキはすぐにルーンをつぶやいて、イドゥンをクルミの実に変えると、それをつかんで、鷲に変身。さっと空に飛び立って、アースガルドへ急いだ。ところがすぐにシアチも気づき、やはり鷲に変身して、ロキを追い掛ける。カーチェイスならぬ、ドッグファイトだ!
そのころオーディンは、アースガルドの壁に、薪を積み上げさせていた。ロキが逃げてくるのが見える。
「ロキが壁を越えたら、すぐに火を放て!」
オーディンは、ヨボヨボのジイさんになった神々に命令する。そのときロキが壁を越えた。一斉に火が放たれ、追ってきたシアチは炎に包まれて死んだ。こうして女神のイドゥンと若さのリンゴが無事アースガルドに戻り、神様たちは若さを取り戻しましたさと。めでたしめでたし。
いや……めでたくないんだわこれが。シアチの娘が父を殺された仇をとりにアースガルドに乗り込んでくるのよ。もともとはシアチが悪いんだから逆恨みもいいとこだよね。でもスカジに理屈なんか通じない。
ここでなぜか、いつもは腕力オンリーのオーディンがスカジの説得を始める。スケベな男だからスカジが美しかったんで戦いたくなかったのかも。スカジはスカジでとんでもない条件をオーディンに出した。
「だったらあなたの息子、バルドルをわたしの夫にちょうだい。それと父を殺された怒りに燃えているわたしを大笑いさせてごらんなさいな。そうしたら復讐は諦めてあげるわ」
バルドルを夫に? それはできない相談だ。だってバルドルってオーディンとフリッグの息子で、まさに神々の王子さま。しかも、あの、高貴で美しいフレイでさえ、バルドルが生まれてからは、ハンサム度ナンバーワンの座をバルドルに明け渡したほどの美しさ。アースガルドのすべての神から慕われている、理想的な青年神。それがバルドルなんですよ。自分の悪だくみで殺されたシアチの娘の夫にするなんて、いくらなんでも、それはできない。
「じゃあこうしよう」
とオーディン。
「神々の足だけ見て自分の夫を選ぶんだ。もしそれがバルドルだったら、われわれも諦めよう」
「ふん、いいわよ、やってやろうじゃないのさ」
スカジは足だけが見えるように、ずらっと並んだ神々の中から一番形の美しい足を選んだ。ところが、その足はニヨルドのものだったんですよ。ニヨルドってフレイとフレイヤのお父さんね。つまり、オッサンを選んじゃった。
「ち、ちくしょう! でもまだわたしを大笑いさせる条件が残ってるよ!」
今度登場したのがロキ。彼はシアチ殺しの主犯として、スカジに一番恨まれている。だから笑わせる役もおまえがやれってなモンです。ロキにしてみたら、こんな理不尽なことはない。オレが一体、なにをした。と文句も言いたくなる。でもロキはがんばった。羊のクビに縄をかけて、その反対側に、なんと自分のチンチンを結びつけ、羊に引っ張らせた。
「痛てててて! ギャーッ!」
ロキは叫ぶ。そしてスカジの前にバタンと倒れて見せた。この恐ろしくバカバカしい光景に、スカジも大笑い。父を殺したロキがぶざまな格好を見せたから満足したのかもしれないね。(じつは羊にチンチンを引っ張らせる儀式が、古代のゲルマンには存在したって噂)
やっと一件落着だ。スカジはなんだかんだ言ってオッサンのニヨルドと結婚して、アース神族の仲間になった。でもロキに父を殺された恨みは消えてなかったんだよね。スカジはしばらくしてから、ロキにすごい苦しみを与えるんだ。でも恨みとセックスはべつなのか、ロキと寝てるけどね彼女も(苦笑)。ホント北欧の神様って謎だわ。
ここでロキの子供たちを紹介しておかないといけない。オーディンの愛馬になったスレイプニルの話はしましたね。さすがにあれはイレギュラーで、ロキが「父親」の子どももいる。
ロキが父ということは、当然母親である女性がいます。彼女の名はシギュン。とても、とても、残念なことに、彼女のことは古エッダでも散文エッダでも、ほとんど触れていない。ものすごく残念。というのはシギュンはロキの正妻だからです。そう。母である前に、まずロキの奥さんであった。ぼくは北欧神話の中で、もっとも重要かつ特異な存在であるロキという男と結婚したシギュンに、ものすごく興味がある。そんな彼女が主要な女神のうちに数えられていないことに、強い疑問を感じている。この後に解説する彼女の役割を知ったら、みなさんもそう思われるはずですよ。
では、シギュンに興味をもってもらうための下準備。
ロキとシギュンは、ナリとナルヴィという子供をもうけます。この二人は、いわゆる普通の息子。馬とかじゃなく(苦笑)。ちなみに古エッダでは、この二人なんだけど、散文エッダではナリだけになっていたり、ナルヴィとヴァーリの二人と書いてあったりと混乱している。このエッセイではナリとナルヴィにしときましょう。「ヴァーリ」を採用するとオーディンの息子に同名の男神がいるからよけい混乱するしね。
えーと、この二人はとくに書くこともないんだけど、いわゆる普通の息子が二人いたってことは覚えといてください。このエッセイの最後の方でもう一度登場するから。
で、つぎは普通ではない子供たち。
ロキは巨人族のアングルボダって女性と関係して、子供を三人産ませている。これがかの有名な「フェンリル」「ヨルムンガンド」「ヘル」の三人。いや「人」じゃないな。三匹か。そう。彼ら(彼女ら?)は人型ではない。読みやすいように、箇条書きにしましょう。
■ フェンリル
狼なんですよ。名前が可愛いから女の子を想像しちゃうけど、性別はよくわかんないなァ。メスなのかオスなのか。たぶんオスでしょう。
■ ヨルムンガンド
蛇なんです。やはり性別不明。しかも大蛇なんてもんじゃない大きさに成長しちゃって、なんと世界をぐるりと取り巻くように横たわるほどの大きさに成長してしまう。
■ ヘル
女性です、しかも人型の。ヒーロー番組の改造人間とか作っちゃう悪の博士って感じの名前だけどわりと美人ですよ。でも彼女は下半身が死体だから青黒く腐ってる。ううむ。しかも黄泉の国であるニヴルヘイムの女王様だから、ちと性格キツいかも。
あ、そうそう。ヘルに関してはアンドルボダが産んだんじゃなくてロキが「母親」だって説もある。散文エッダにはこう書いてある。
「ロキはアングルボダとの間に狼を、スヴァジルフェーリとの間にスレイプニルを産んだが、それより彼から産まれた一人の魔女が恐ろしい。ロキは生焼けの女の心臓を、菩提樹で焼いて食べた。そのため地に様々な怪物が生まれ出た」
その怪物の一人がヘルだったと解釈するわけだ。まあ、どちらでも好きな方を信じていいんじゃないかな。どっちが正しいかだれも知らないから。
とにかくフェンリル、ヨルムンガンド、ヘルの三人が生まれたころから、いろいろと雲行きが怪しくなってくる。
とくにフェンリル。この狼はラグナレクの日、なんとオーディンを噛み殺すだろうと予言されちゃうんですね。好きだよな、むかしの神話作家の先生たち。生まれた子ども親を殺すだろう予言。
そりゃ大変だって言うんで、フェンリルは鎖に繋がれる。このときのお話しは、チュールのことを紹介するときに書きます。
蛇のヨルムンガンドは世界の果てに追いやられ、ヘルは冥界に落とされる。ところがここで冥界の女王になっちゃうんだけどね。
さあ、一応、対策はとった。と一安心したオーディンたちだけど、ここで大事件が起こってしまう。
なんとオーディンとフリッグの息子、すべての神々から愛される、この素晴らしい青年神が殺されてしまうんです。実の弟のヘズによって。しかもそのヘズをそそのかした(騙した?)のがロキだった。
このときすでに、ロキは「いたずら者」ではなく悪神になっていたと解説している文献もあるけど、はたしてそうなんだろうか。だって考えてもみてくださいよ。彼は確かにイタズラも多かったけど、トールやオーディンに重要なアイテムを手に入れる役をこなし、何度も助けたりしてる。女神たちだって、彼をベッドで愛した。なのにロキはアースガルドに住むことを許されず、いつまでも格下扱い。いいようにパシリをやらされるだけ。それでもロキは耐えた。自分の境遇に。
なのに、なのに!
ついには自分の子供を鎖で縛られ、世界の隅に追いやられ、冥界に落とされ……こんな事までされて笑っていられると思いますか? いくらなんでも恨むでしょう。オーディンたちを。だから、みなから愛されるオーディンの息子が許せなかった。心底憎かった。ロキにも、ロキなりの理由があったとぼくは主張したいんです。彼をただの悪神と片づけてはいけない。
バルドルが殺された詳しいことは、バルドルを紹介するときに話すとして、とにかくロキの差し金でバルドルが殺されたことがわかり、ロキはついに捕らえられます。
このときオーディンたちの復讐はすさまじかった。まずなんの罪もないロキの息子ナルヴィを狼に変えた。理性を失ったナルヴィは兄弟のナリを食い殺した。このとき飛び出したナリの腸でロキを洞窟の岩に縛り付けたんです。
ロキは息子の内臓で縛られた! なんという残酷な……その内臓はロキを縛ると鎖のように硬くなったそうです。そして奥さんのシギュンとともに、暗い洞窟に閉じ込めたんです。このとき父を殺されたスカジが残酷な復讐をロキにする。
なんとスカジは、ロキの頭の上に毒蛇を固定して、蛇の毒がロキの顔に滴り落ちるようにしたんですよ。その毒がぽたりと顔に落ちるたびに、ロキは激しい痛みに悲鳴を上げる。スカジは残忍な笑みを浮かべて、ざまぁみろロキめ。と洞窟を去って行く。なんという恐ろしい女……
「あなた! しっかりして!」
シギュンは苦しむもだえるロキの顔に木鉢をあてて夫の顔に蛇の毒が落ちないようにする。
「す、すまん、シギュン。ぼくのためにおまえにまで辛い思いを」
「いいえ。悪いのはすべてアース神族。オーディンたちこそ憎むべき悪神です」
とシギュンが言ったとは神話に書いてないけど、たぶん言ったと思う。彼女もずっとオーディンたちの横暴に耐え、そしてついに息子たちを殺されたのだから。
「ぼくはオーディンたちを許せない……いつか復讐してやる」
「ええ。あんな神々が存在してはいけない。あなたがいつかオーディンたちを討ち滅ぼしてくれることを信じています」
シギュンは愛する夫のため暗い洞窟の中で、献身的に毒を木鉢でうけ続ける。でも木鉢が一杯になるとそれを捨てにいかねばならず、その間ロキは毒の痛みに耐えなければならない。
「ああロキ……かわいそうに」
毒を捨てて戻ってくると、ロキは激しい痛みに顔を歪ませている。こんなことを何度も繰り返す。いや、おそらく何年か、あるいは何十年だったかも。これほどの地獄を見た神は、ほかにいるでしょうか?
しかしシギュンは、ある日、素晴らしいことを思いついたのです。
「あなた。この毒は、もしかしたらナリの腸を溶かすのではないかしら?」
「なんだって?」
「そうよ。あなたをこれほど苦しめる毒ですもの。きっとうまくいくわ」
シギュンは木鉢に受けた毒をロキの身体をぎゅと締めつけるナリの内臓にかけてみた。すると、それはジューッと音を立てて溶ける。
「シギュン! そうだ、もっと溶かしてくれ!」
「ええ、あなた!」
こうしてロキはついに自由の身になった。
「シギュン。ありがとう。きみのおかげだ」
ロキは妻を抱きしめる。
「ああロキ。よかった。でも溶かしたのは、わたしたちの息子の内臓。この苦しみをわたしたちに与えたのは、オーディンたちアースガルドの悪神」
「わかっている。必ず復讐する。必ずだ」
ちょっとロキたちを美的に書きすぎた? でもこういう解釈も成り立つと思う。とにかくみんな盲目的にロキを悪く書きすぎてるよ。言ってみればオーディンたちアース神族は戦勝国なんだね。強い者の理屈が正しく、負けたロキは正しくない。だからロキが悪い。そういう理屈のように感じられる。バルドルを殺したのは明らかにロキが悪いけど、それを言うならオーディンだって、いったい何人の罪のない者を殺していることやらだ。
ま、とにかく逃げ出したロキが、ついにアース神族に全面戦争を仕掛けて、これが神々の滅びの日「ラグナレク」になるんです。
オーディンはこの日のために、ヴァルハラという屋敷を建てて、人間界から勇者を集めていた。その集め方がこれまた悪神オーディンらしい恐ろしい方法だった。彼が主神である間、常に人間界に争いを起こさせ、人間同士戦争や殺し合いをさせ続けたんです。そこで強い勇者だけをかき集めアースガルドのヴァルハラに集める。このヴァルハラで勇者たちの盃にお酒を注いで回るホステスが九人いるんだけど、彼女たちの名前がワルキューレ(正確にはヴァルキュリア)。オーディンは勇者をヴァルハラに集めたあとも、そこで毎日、殺し合いをさせて翌日にはまた生き返らせて、殺し合いを続けさせる。こうして兵士として鍛え続けるんだけど、いくら美人のホステスがいるとはいえ、毎日毎日、殺し合いを続けさせられる勇者たち、どんな気分だったろうね。神話では、ヴァルハラに連れてこられて、みんな喜んでるらしいけど、そういう単純なことでいいんだろうか?
まあいいや。
とにかく最終戦争が勃発する。ロキはフェンリルを解き放ち、ヨルムンガンドを世界の隅から呼び寄せ、ヘルも黄泉の国から呼び戻す。そしてこの世の一番最初から存在している、ムスペルヘイムという炎の国から、やはりずっとむかしから存在しているスルトという炎の巨人を呼び寄せます。
太陽はスコールに飲まれ、月はハティに食われる。この世のすべての凶々しき者たちが戒めを解かれて神々と戦う。まさに地獄絵図。もっともぼくに言わせりゃ、オーディンが悪の権化なんだけど。
オーディンは予言通りフェンリルに殺されます。フレイはスルトと戦って敗れる。チュールは、地獄の犬ガルム敗れ、トールはヨルムンガンドと相打ちになる。そしてロキはヘイムダルと戦い、相打ちになって死にます。そしてスルトの放った猛火で、アースガルドもミッドガルドも、ヨーツンヘイムも、すべて焼き払われる。この世は灰になってしまうのです。
ところが。世界樹ユグドラシルだけは焼けませんでした。この世界樹はその中に一組の人間を守っていた。リーヴとリーフズラシルという男女。彼らがすべて灰になってしまった世界で、新たな命を育むのです。そして新たな人間たちを守る神として、ロキに殺されたバルドルと、その弟ヘズが復活し、新しい世界が始まりました。それが現代に続いている……というのが北欧神話なのでございます。
いかがでしたでしょうか。ロキの話を書いたら、きっちり北欧神話の最後まで書けましたね。でも北欧神話のエッセイはまだ書きますよ。オマケみたいに登場したチュールとかね。
ではまた。