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それぞれの文化

こんにちは、本日もてりーにお付き合いください。
コーヒーを本日も飲んでいます。コーヒー美味しいですね。

文化、についてです。
文化とはなんぞや、となりますと、Google検索をかけると以下のようになります。
世の中が開けて生活水準が高まっている状態。文明開化。
人類の理想を実現して行く、精神の活動。技術を通して自然を人間の生活目的に役立てて行く過程で形作られた、生活様式およびそれに関する表現。
ちとややこしいですね(笑)
僕なりに解釈しますと、以下のようになります。
『人が生きていく上で練り上げられてきた手段』
あたらしい概念を付け加えてしまっているようにも感じますが、つまるところ、
人間が営んでいる生活様式そのものを指すのではないかと思っています。
つまり、色々なところに、様々な、それぞれの文化があるということ。

文化は、文明とは違って、小集団でも培われていくと思います。
”企業文化”とは言いますが、”企業文明”とはあまりピンとこない。
大きな枠で文明がありその中に文化がある。
集団であれば、文化は、その場の人間同士が協力することで拡大していける。一人よりも複数のほうが、周囲へのアプローチにおけるエネルギーの総量が多くなるからです。大きなエネルギーがあるからこそ、未開の地を開拓していけるし、自然の中に住空間を創り出すこともできる。
文化の結集が文明なのか、それとも文明からの枝分かれが文化なのかはわかりません。どちらもある気がしますが。

小集団に文化があるということは、保育園で言えば、それぞれの家庭に文化があるということになります。家庭は小集団です。生活を営む集団、ひとつの単位とも言えます。
それらの家庭には、少なからず、その家庭特有の文化が育まれています。いや、少なからず、ではないですね、絶対です。その家庭にはその家庭における文化がある。

文化は、その中で流儀を生み出すので、その流儀に反する考え方ややり方と反発する傾向があるかと思います。
日本文化は靴を脱ぎます。日本文化圏の家屋に土足のままあがると非難されます。例えばこういった形で、文化と文化はせめぎあう。

一人ひとりが違う人格の人間ですから、全部が同じ文化になるということはありえない。同じでないからせめぎあいますが、せめぎあうから磨かれます。
そうして、文化は洗練され、今に至る。

どの文化も大切であると思います。
その文化を育ててきた人に敬意を払いたい。
しかし中には、歓迎できない文化が育っている場合もあります。
それはそれとして僕の価値観とのせめぎあいであり、ならばどうするか、というよりも、そんなものだろう、と一定の距離を保つくらいが丁度いいんじゃないのかなぁと思っています。文化はその人の深くに根ざすので、文化を否定すると大きな爆発を招く場合が多い。

文化のお話でした。
お読みいただきありがとうございました。

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