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ウィーン シシィ博物館

先日ウィーンに行ったときに、シシィ博物館を訪れた。実をいうと、オーストリアの歴史についても史実のエリーザベトについても全く知らなかったのだが、宝塚の『エリザベート』(2018年月組)は観に行ったし、友人から強く勧められていたので行ってきたのだ。予備知識もないが記念に訪問をしておこう、という程度の弱い動機で行ったのだが、展示方法がなんとも巧く、時間を忘れて夢中で見てしまった。

ホーフブルク宮殿というハプスブルク家の宮殿の一部がシシィ博物館に充てられている。ほとんど下調べもしなかったうえに、かなりゆっくりエリーザベトに関する展示を見たので、結局他の部分は駆け足で通り過ぎただけになった。ウィーンには3泊したが、博物館や美術館は見尽くせていないのでぜひとも再訪したい。ちなみに、シシィ博物館の展示品は撮影禁止である。音声ガイドは日本語のものもあり、かなり充実している。齧り付くように展示を見ることができたのは、音声ガイドのおかげといってよいだろう。時間が許す限りじっくりと聞きながら閲覧することをすすめる。

宮殿内

展示は、エリーザベトの死後の世評の紹介で幕を開ける。国父フランツ・ヨーゼフ1世の愛する妃であり、暗殺者の刃に倒れ非業の死を遂げたエリーザベト。死後彼女の像が国内あちこちに建てられ、その美貌と献身が讃えられ、現代に至るまで彼女を主役にした作品が作られている。類まれな美貌を持つ悲劇のヒロイン、エリーザベト。ところが、彼女がセンセーショナルな死を遂げるまでは、オーストリア国民はこの王妃に対してむしろ無関心であったという。愛すべきシシィの偶像を書き立てる新聞の切り抜きや映画が並ぶ通路を序章がわりに、展示は彼女の死後創り上げられた「エリザーべト神話」を解体するべく展開していく。

彼女の幸せな少女時代、フランツ・ヨーゼフ1世に嫁ぐことになるまでの期間を扱った展示室は、明るく光に満ち溢れている。あの有名な肖像画、彼女が身に纏ったドレスや宝飾品のレプリカが展示されていた。とりわけ目を引くのは、ポルターアーベント(結婚前夜祭)のドレスだ。白地の軽やかなドレスで、若草色の糸で「おお、神よ、なんと美しい夢だろう」というアラビア語の刺繍が施されている。華やかなドレスとは裏腹に、その後の彼女の人生には失望と死への誘惑が重くのしかかっている。

妃に迎えられてからの展示は、暗い。第三の展示室は「逃避」と名付けられている。自由を愛する彼女は宮廷の生活に耐えられず、皇后の役割を拒否し続け、内へ内へと篭ることになった。人前に出ることを嫌い、乗馬に情熱を傾け、美貌の維持に執心し、「オデュッセイア」を朗読させ、ハイネを崇拝し、ひっきりなしに旅をに出た。彼女は、荒れ狂う海に浮かぶ船上で、ガラス張りのパビリオンの柱にオデュッセウスさながら自身を縛りつけることを命じたという。

彼女の人生は後ろ向きだ。逃避に逃避を重ねた彼女は、理想的な女王のイメージからは程遠く、あらゆる義務をはねつけ詩と旅の世界に没頭する。確かに、皇后という重い役割や宮廷の作法を乗りこなすことができない不出来な妃だったともいえよう。彼女の死後制作された映画やミュージカルのように、自由を夢見て死んでいった無邪気で儚げな悲劇のヒロインなのかもしれない。

ぼくが博物館を訪れて感じたのはそのどちらでもなかった。皇后という立場に据えられてもなお我儘さと頑固さを失わず、宮廷の慣習に押しつぶされそうになりつつも自分の中に没頭することで我が身を守ろうとする人間の凄みが展示品からびりびりと伝わってきた。過剰な美容法で、危険な馬術で、オデュッセイアを演じることで、異国の地を彷徨うことで、彼女は自分の中に入っていった。女王という役割をこなすことは難しいことだが、彼女のように生きるのも茨の中を潜っていくようなものであるに違いない。少女であること、我儘で頑固でい続けることは現代日本においてもなお簡単ではないというのに。

大学生の第二外国語の授業で、週末にしたことを報告するという課題があった。ぼくは『エリザベート』を観たことを話し、その内容を説明しようとした。拙い言葉で「彼女はオーストリアのお姫様で……」と言うと、先生が「ああ、お姫様と王子様のラブロマンスね」と早合点してぼくの報告を終わらせてしまった。そんな簡単に済ませたくないぼくは、死がどうとか言葉を投げて作品を見て受けた感銘を伝えようとしたが、初学者のぼくには満足な一文をつくることさえもできなかった。

それから10年ほど後にシシィ美術館を訪れたぼくが、展示を見てどんなに心が揺さぶられたかを誰かに伝えたくて、友人にエリーザベトのことを簡単に紹介すると「ああ、お姫様ね」と返された。その声色が、なんだ、我儘な女の話か、と言っているようで(実際に言われたような気もする)ぼくは話を打ち切ってしまった。母語で話しているのだから説得的な言葉を継ぐこともできただろう。でもぼくはもう何も言いたくなかった。彼らには彼女の苦しみはわかるまい。勿論ぼくにもわからない。ぼくは演出をされ方向づけられた展示を見たまでだ。しかし、彼女の遺品を見て、ぼくの魂がどんな震え方をしたのか、彼らに分かってたまるものか。

ちなみに、シシィ博物館のその後の展示ではフランツ・ヨーゼフ1世のひととなりや生活について触れられ、何よりも彼の「天使のようなシシィ」を愛していることが仕事机のまわりに飾られたエリーザベトの肖像画からあまりにも容易に見てとれた。彼の愛こそがシシィの翼を折って彼女を絶望の淵まで導いてしまったかと思うといたたまれない。王室はいかに非人間的な場所であることだろう。

ザッハトルテたべた

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