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白饅頭日誌:1月20日「アルファ・オス」

 ジレットのCMがさまざまな議論を巻き起こしているようだ。このCMについては把握していたが、きっとマシュマロに「意見を書いてください!」などという人が現れるかなと考えていたが――案の定大勢現れた。さすがだ。

 さて、このCMを見て思うのは――こんな浅薄な「リベラル・ポエム」が賞賛されているうちは、トランプは勢いづくだろうし西欧圏ではますます極右が強くなるだろうな、といったところだ。

 このCMは要するに「有害な男らしさから脱却しよう」という、よくあるリベラル社会のポリコレ・メッセージに他ならないわけだが、ジレットのいう「有害な男らしさ」とは、世間の多く(とりわけ女性が)好む「有益な男らしさ」の合わせ鏡なのだ。リベラル・ポリコレ社会はこの事実を都合よくなかったことにしているようだが。

 よく働き、よく稼ぎ、頼りがいのあって、心配りもできるような男性――それは男性が競争に絶えず競争にさらされていて、その競争の勝者だからこそ得られるものである。男らしさ競争の勝者が持つ正の側面こそが、リベラル・ポリコレ社会のいう「よき男性像」そのものなのだ。そしてその男らしさ競争の勝者が持つ果実を社会的に好ましく思うかぎり、ジレットがいう「有害な男らしさ」も共起する。有害性のみを脱色しようというのはムシの良すぎる話だろう。男性は同性間で激しく競争して相手を蹴落すし、異性に対してはハラスメント的にふるまいもするかもしれないが同時に包容力を発揮する。

 「有害な男らしさ」からの脱却は、社会にとっても女性にとっても「うまみ」のない男性を大量生産することになるが、社会は果たしてそんな男性のことを包摂するのだろうか。「有害な男らしさ」は「有益な男らしさ」を望むからこそ生じるものだ。働きもしないし、稼ぎもしないし、頼りがいもなければ、気配りもなく、異性にまるでやさしくない男性こそが「有害な男らしさ」から脱却した男性の姿になる。

 もし仮に「有害な男らしさ」から男性たちが卒業したとしよう。しかしこのCMに賞賛の声を送った人びとは、彼らのことを賞賛することはない。むしろそれどころか「女性蔑視」「爬虫類みたい」などと非難することだろう。皮肉なことに、男性は有害であるからこそ女性に優しくするし、経済的・社会的に「ハイスぺ」「有望」な存在になれるのだ。無害な男性は女性に対してharmlessかもしれないが、同時にbenefitlessである。「男らしさ競争」の勝者を社会が好んでいることは、男性の自殺の方が圧倒的に多く、なおかつ経済問題や雇用問題によって自殺する割合がひじょうに高い状況の遠因となっている。

(上図:警察庁『平成29年中における自殺の状況』https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/jisatsu/H29/H29_jisatsunojoukyou_01.pdf より)

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 逆にいえば「有害な男らしさ」を発揮しているのは、競争における上位層――いわゆる「アルファオス」――にもっぱらである。それにもかかわらず、こうしたメッセージは「男性全体が自省せねばならない問題である」かのようなメッセージとして伝えられる。だからこそこの動画には「良いね!」以上に低評価が寄せられている。

 アルファオスは有害性と有益性を併せもち、そしてその有益性に好んで群がっているのは社会(あるいは女性たち)である。大多数のベータオスたちは、女性にハラスメントをはたらいたりはしていないし、闘争心をむき出しにしたオス同士の争いに参加したりもしていない。にもかかわらず男性であるというだけで、アルファオスの負の側面の連帯責任が負わされているのだ。

 アルファオスを好むがゆえに女性がたびたび受ける有害性について、男性全体の責として科すことは、たとえばこれが黒人の犯罪で黒人全体を「犯罪者予備軍」かのようなまなざしを向けることとほとんど同じ論理だが、当のリベラル・ポリコレ社会は、こうした解像度の粗い議論に寄せられる反論や批判を「NOT ALL MEN」などという文言で(揶揄することによって)無効化してきた。

 リベラル・ポリコレ社会が望む「男らしさ」とは、加害的にもハラスメント的にもふるまわず、かといって女性に対して冷酷であるわけでもなく、働き・稼ぎ・包容し・頼りがいのある――新たなマッチョイズムの創出に過ぎない。マッチョイズムから脱却しよう。ただしそれは「男らしさ」から降りるのではなく、より「女性に忠誠心の高いマッチョイズム」を身に着けることとして――という欺瞞である。

 なぜいま、北米圏を中心にMGTOWがブームとなりつつあるのか。それは「男らしさから降りよう」というキャンペーンと裏腹に、より男らしさの便益の部分をブーストさせようというリベラル・ポリコレ社会の矛盾に、多くの人が気づき、そして辟易しているからである。

 ジレットに寄せられた非難の声――それについて「男らしさを刷り込まれて育った人にはそれを否定されているようで腹が立つから」と分析する向きがあるが、まったく違う。

 リベラル・ポリコレ社会の「実際は男らしさが生みだす果実を好んでいながら、都合の悪い部分だけは脱色しようという強欲さ」や「一部の強者男性のふるまいを、普段は見向きもしないその他の男性も巻き添えに連帯責任を負わせようとする傲慢さ」を自覚していない連中に対する怒りである。

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