「新しい資本主義」は中間層の再建が鍵-提案編-
岸田政権の「新しい資本主義」の核は「分厚い中間層の形成」と考える。「分厚い中間層の形成」、すなわち中間層の再建のために、前回稿の分析編を踏まえ、政府が掲げる「分配戦略」を着実に進めることの他、本稿でいくつかの提案を試みる。中間層の再建は就業者自身の努力と共に、国の指導層、企業の経営層の考え方も重要である。
中間層の再建の意義
前回(「『新しい資本主義』は中間層の再建が鍵-分析編-」2023年7月5日)、「中間層の疲弊」「中間層の崩壊」などの表現がデータ的にも支持されることを示した。本稿では中間層の再建策等について記述するが、まずはその意義を示したい。
中間層の再建の意義は、経済の活性化、成長軌道への回帰に資することである。高収入世帯の収入がさらに増加しても、一般的には限界消費性向は低下するので、追加的な消費の増加はあまり期待できない。数少ない高収入世帯が派手に浪費をするよりも、多数の中間層世帯が多様な消費をする方が、一国経済全体での消費額は増加する可能性が高いであろう。有効需要が増加するのである。
中間層の再建により、子供を産み育てやすい状況が整えば、「『公的お見合い制度』と『学費無料』が少子化対策の第一歩」(2023年1月31日)で「近い将来に少なくとも静止人口を実現できれば、先行きの計算も立つ」と書いたように、中長期的な経済成長の見通しが立つ。国内投資を活性化させる要素となり、ここでも有効需要が喚起される。その結果、中間層の収入が増え、それと同時に貧困層から中間層になる世帯が増えれば、さらに有効需要が増加するという好循環が期待される。
なお、前述の少子化対策のレポートではあまり触れてはいないが、収入増加は若者層の婚姻を後押しする要素であり、育児世帯の収入増加は「理想の子供数より予定子供数が下回る理由」を緩和するので子供数増加のプラス要素と言える。
中間層の再建は、経済的意義以外にも政治や社会等の側面でも大いにあるが、本稿の主旨からはやや外れるので、ここでは触れないこととする。
政府の「分配戦略」概説
首相官邸ウエブサイトの「新しい資本主義」の「② 分配戦略」には、(1)所得の向上につながる「賃上げ」、(2)「人への投資」の抜本強化、(3)家計の資産形成支援、の3項目が挙げられている。
「(1)所得の向上につながる『賃上げ』」については、公的価格の見直し、賃上げを行う企業への支援、下請取引の適正化、最低賃金の引上げ、の項目が並んでいる。公的価格は具体的には、看護・介護・保育・幼児教育などの分野での給与の引上げである。少子化対策の観点では、特に保育・幼児教育分野での給与の引上げが重要であろう。公的価格の引上げは国家による分配の見直し、賃上げを行う企業への支援は企業による内部留保の分配を促す政策と言える。
「(2)『人への投資』の抜本強化」では、就業者の稼ぐ力を支援する項目が並ぶ。イギリスのサッチャー元首相が「強者を弱くすることによって、弱者を強くすることはできない」と語ったそうだが、正にその通りであり、「人への投資」は就業者全般の底上げを図ろうとするものである。
「(3)家計の資産形成支援」は、賃金などのフロー面だけでなく、株式、債券、投資信託などの金融資産といったストック面における家計の強化を図ろうというものである。また、金融資産の拡大は成長資金の供給源にもなる。
さらに2023年6月16日に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針2023」、いわゆる「骨太方針2023」では、「家計所得の増大と分厚い中間層の形成」として、「非正規雇用労働者の処遇改善、最低賃金の引上げ(今年は全国加重平均1000円の達成を含めて議論、今夏以降1000円達成後の引上げ方針についても議論等)や地域間格差の是正、適切な価格転嫁・取引適正化、資産運用立国の実現、資産所得倍増プランの実行」(「概要」より)となっており、前半では賃金水準が低いと言われている層の底上げを図る施策が並んでいる。
労働分配率、雇用者報酬共に上向き傾向、課題は所得格差拡大
企業等が生み出した付加価値のうち人件費の占める割合が労働分配率である。企業経営の観点から労働分配率が高すぎると企業成長の阻害要因となり得るが、低すぎると人材が育たなかったり定着率が低くなったりする可能性がある。マクロ経済的には、国全体の付加価値であるGDPのうちどれだけが被雇用者に回っているかを示し、
労働分配率=雇用者報酬÷GDP
で計算する。
1980年以降のマクロ経済ベースでの労働分配率と名目雇用者報酬を見ると(図1)、労働分配率は1983年の54.7%をピークに1989年までは低下基調であったが、名目雇用者報酬は増加基調である。つまり、GDPの増加に雇用者報酬の増加が追い付いていなかった局面であり、その後は労働分配率も上昇基調となった。しかし、労働分配率は1993年を次のピークに低下基調となる。バブル崩壊の影響が遅れてきたイメージだが、名目雇用者報酬は以前よりは緩やかであるものの1997年までは増加基調である。1997年は3%から5%への消費税増税、その後の山一ショックなどの国内金融危機が起こった年である。
翌1998年以降は労働分配率、雇用者報酬共に下向き傾向が続き、2004年には労働分配率は48.3%と図示した期間では最低となった。この時期は小泉政権の時代(2001年4月~2006年9月)で、竹中平蔵氏(経済財政政策担当大臣など)らによるアメリカ型の新自由主義(ネオリベラリズム)的な経済政策が吹き荒れた時期である。新自由主義は経済への国家の介入を最小限にすべきと考え、個人の責任を重視する。市場原理主義と言われることもある。なお、竹中平蔵氏は2004年9月から郵政民営化担当大臣を兼務することになり、それ以降は郵政民営化により力点が置かれるようになったと推測される。ともかくもこの時期に労働分配率が最低値を記録したのは象徴的である。
その後の労働分配率は上昇基調に転じたが、名目GDPが伸び悩み、名目雇用者報酬も微増となった。2008年のリーマンショックの影響で経済が落ち込んだため、2009年の労働分配率は前年比上昇したものの、名目雇用者報酬は前年比減少した。
2回目の安倍政権の時代(2012年12月~2020年9月)は、前半は労働分配率が低下したものの、経済全体が上向きになったこともあり、名目雇用者報酬は微増となった。労働分配率は2015年の48.4%を底に上昇基調となり、2018年には50%を超え、直近の2022年は52.9%。労働分配率は1992年とほぼ同水準であり、30年ぶりの水準ということになる。
図1:労働分配率及び名目雇用者報酬の推移
マクロ経済の労働分配率から見ると、被雇用者への付加価値の分配水準自体は小泉-竹中ラインによる経済政策の頃(小泉政権の前半)の大幅な落ち込みから回復している。しかしながら、大多数の人々はあの頃よりもさらに厳しい環境にあるように感じるのは、前回稿で分析したように、当初所得の格差が拡大しているからであろう。
中間層再建のための提案
以下では、現状で首相官邸ウエブサイトに掲載されている項目には上がっていない提案をいくつか試みる。なお、データ的な裏付けを記載すると、前回稿のように分析ばかりとなりかねないので、今回は直感的な記述を中心とする。
なお、分析編から引っ張ってきたので、目の覚めるような提案を期待している向きもあるかもしれないが、特に目新しい提案ができるわけではないので悪しからず。日本の庶民の多くが感じているようなものとなっていると自己認識している。
(1)所得税の最高税率引上げと消費税減税
中間層再建のはじめとして、所得税の最高税率引上げを実施し、消費税減税実施を提案する。
財務省のウエブサイト「税率・税負担等に関する資料」では、「所得税の最高税率は、かつて70%(課税所得8,000万円超の部分)でしたが、サラリーマン世帯の税負担感の軽減等を目的として、引き下げられてきました。その後、再分配機能の回復を図るため、平成27年分以後については、課税所得4,000万円超の部分について45%の税率が創設されました。」とある(2023年7月13日アクセス)。「サラリーマン世帯の税負担感の軽減等を目的」とあるが、かつての「課税所得8,000万円超」、現行の「課税所得4,000万円超」という水準については意義あり!の人が大多数なのではないだろうか。
図2でも分かるように、「課税所得4,000万円超」の「サラリーマン世帯」は課税所得全てに45%が課されるわけではなく、段階的に適用税率が高くなっていくのである。平たく言うと、課税所得4,000万円超のサラリーマン世帯の500万円部分までの税金は、同じく課税所得500万円のサラリーマン世帯と同額の税金ということである。500万円を超えた部分にかかる所得の部分について、段階的に税率が高くなっていくとうことだ。なお、ここでの500万円は区切りがいい数字というだけの意味で、実際の適用税率の区分は無視している。
図2:個人所得課税の税率等の推移(イメージ図)
国税庁「令和3年分 民間給与実態統計調査」によると、2021年の平均給与は443万円である(1年を通じて勤務した給与所得者の1人当たり)。なお、男性は545万円、女性は302万円であった。所得については平均値より中央値の方が低いのが一般的と思われるので、実際には平均給与より低い給与水準が多数派であろう。
つまり、「課税所得4,000万円超」は大雑把に平均給与の9倍近い水準である。「サラリーマン世帯の税負担感の軽減等を目的」という表現のイメージからはかけ離れているように感じるのは筆者だけだろうか。図2にあるように、1986年分までの所得税の最高税率は70%だったが、2006年分以降は37%と下がっている。2015年分以降は45%と上がっているが、50%未満であることは変わりない。これでは金持ち優遇と見られても致し方ない。
所得税の最高税率引上げ等の累進度強化による再分配効果はそれほどではないと計算されている。それでも所得税の最高税率引上げを実施し、消費税減税を実施することは、不公平感の是正、つまりは中間層再建の一部を構成し、また税理論の面からも適切である。
所得税は応能税、消費税は応益税である。応能税は各人の能力に応じて支払う税、応益税は各人の便益(Benefit、都合良くて利益のあること)に応じて支払う税である。また、消費税は逆進性があり、所得の低い人により影響が出る。
近年、消費税増税は「社会保障の安定的財源の確保」などが旗印とされているが、主に国民年金の基礎年金の国庫負担分を想定している。しかし、その点こそ、応能負担である所得税が相応しい。また、年金保険料未納分を確実に徴収すれば、年金の財源問題はかなり解消すると見込まれる。そのためには、日本年金機構の保険料徴収部門と国税庁を統合して、歳入庁を設立するのが効果的と思われるが、話が拡散してしまうのでここでは触れるだけとする。なお、消費税導入時の大義名分は「直間比率の是正」であった。
また、前回稿にも書いたように、金銭的に多くの収入を得ることが可能な背景として、搾取的な体制を強行している場合を除けば、社会の安定、国家の独立維持が大前提である。その恩恵を多く受けている高収入層が、そのコストつまりは税金を多く引き受けるのは合理的である。日本資本主義の父と呼ばれた渋沢栄一は、「人はただ一人では何もできない存在だ。国家社会の助けがあって、初めて自分でも利益が上げられ、安全に生きていくことができる」「これを思えば、富を手にすればするほど、社会から助けてもらっていることになる」(渋沢栄一 著、守屋淳 訳『現代語訳 論語と算盤』2010年、筑摩書房、96頁)と書いている。
(2)過度の株主資本主義の修正
1990年代の米英でのコーポレート・ガバナンスの議論が、低迷する企業業績に苦しむ日本にも波及した。我が国でも上場企業を中心にコーポレート・ガバナンスの観点からの取締役会改革などが行われ、2015年には東京証券取引所でも「コーポレートガバナンス・コード」が策定された。
現行の「コーポレートガバナンス・コード」そのものに異論があるわけではない。しかし、それまでのコーポレート・ガバナンス議論の過程で、企業は株主のものという株主資本主義の考え方が横行し、年功序列や長期安定雇用などの日本型経営と一時期呼ばれた人事制度を古き悪しきものと見做す風潮が蔓延し、その弊害が今でも日本を侵食している。
コーポレート・ガバナンス議論が本格化するまでの日本は、確かに株主の権利が蔑ろにされていた側面が否めない。しかしながら、企業は株主の所有物ではない。企業に関わる多くのステークホルダーの一部として、株主が存在する。株主利益を重視することによって企業の生産性向上が図られた側面も大いにあるが、行き過ぎの事例も多々あると考える。機関投資家が金融資産ポートフォリオを組み替えるのと同様の感覚で、短期的な視点で企業の事業の切り売りをしたり、長期的な基礎研究を疎かにしたりするのは、その企業のみならず属する社会の中長期的な成長力を衰弱させ、それこそ「中間層の疲弊」「中間層の崩壊」をもたらす。
年功序列や長期安定雇用も行き過ぎると弊害があり、確かに1990年代の日本はその弊害が顕著に表れていたと考えられる。そのため、いわゆる実力主義や雇用の流動化は、日本企業の生産性向上、再活性化にある程度は貢献したと思われる。しかしながら、何事も「過ぎたるは及ばざるに如かず」。孔子は「過ぎたるはなお及ばざるが如し」と言ったそうだが、それを踏まえて明治維新の三傑の1人とされる大久保利通は「過ぎたるは及ばざるに如かず」と語ったそうである。現代日本は、見かけだけの実力主義が横行する一方で、中途半端な雇用流動化を礼賛することにより、かえってプロの職業人が育ちにくい状況が生じているのではないか。これまた「中間層の疲弊」「中間層の崩壊」の要因である。
中間層の再建のためには、過度の株主資本主義、実力主義や雇用流動化の過度の推進、の修正が重要と考える。何事も中庸が一番だが、中庸を見出すのはなかなか難しい。だからこそ、一方的な風潮を常に検証しつつ、より良い道を探すことが求められる。
(3)上層部の心構え
前述の「(1)所得税の最高税率引上げと消費税減税」の最後の方で触れた話と似たような話であるが、国家の上層部や企業の経営層の人々は、「惜福」(せきふく。福を惜しむという意味で、自分だけで福を使い尽くしてしまわずに、その福の一部をお返しするつもりでとっておくこと)、「足るを知る」といった精神を意識して、国家や企業の経営にあたるのが望ましい。国益や企業収益の追及には貪欲であらねばならないと考える。それでこそ、創意工夫が生まれ、実現のための推進力が発揮できる。
しかし、その成果は国家の場合は国民に還元するべきであり、企業の場合は株主のみならず、顧客、取引先、従業員、立地する地域などのステークホルダーに還元すべきであろう。もちろん、国家の指導層や企業の経営層が、自身の努力や取ったリスクに対して相応の見返りを得るのは正当である。ただし、程度問題があろう。あまりの格差は、組織の力を弱め、結果として国力や企業の収益力の持続性を損なう。前述したようなことは、国家の上層部や企業の経営層の多くの人は十分に認識していると信じているが、認識しているか疑わしい面々が近年は我が国でも目立っているように思われる。国益よりも省益という発想はもちろん論外である。
「古代の日本では特に、偉い人も子どももみんな、役割分担の世界でやっているだけであって、天照大御神も稲を育て、機織りをしていたわけですから、貧富の差というものはほとんど意識されなかった。」(田中英道、茂木誠『日本とユダヤの古代史&世界史』2023年、ワニブックス、27頁)のが我が国の自然体である。ついでながら、「『自分たちの祖先たちがいた上で、我々がいる』という至極当然な考え方」(前同、32頁)も思い起こすべきであろう。話が逸れるが、年金制度もこの考え方を蔑ろにしては持続性に疑問符がついてしまう。
成果を還元した結果、中間層の再建がなれば、その中間層が将来の国力や収益の源となることが期待できる。
まとめ
何やら道徳論のような話になった気がしないでもないが、中堅層の再建について提案してみた。景気は“気” であり、人間は統計的な数値や合理性だけで動くものでもないから、道徳論的な観点も必要であろう。経済学の祖と言われるアダム・スミスは元々道徳学者であり、日本資本主義の父と呼ばれた渋沢栄一は利潤と道徳を調和させることを目指していた。
所得税の最高税率引上げと消費税減税(さらには国税としての消費税は廃止し、地方消費税のみとしても良い)、行き過ぎた株主資本主義及び実力主義や雇用流動化礼賛の見直し、上層部の心構え、を本稿では記述してきたが、税金の問題は政府がコントロールできる部分であり、ぜひとも積極的に検討して欲しい。なお、政府が掲げている「分配戦略」は方向性としては良いものであり、推進を支持するものである。
岸田政権には、増税せずに「新しい資本主義」実現に邁進して欲しい。なお、この場合の「増税せずに」とは純粋な増税の意味であり、所得税の最高税率引上げ等による増税と消費税減税がバランスする形で、国全体として増税にならず中間層再建に資するような税収中立の増減税組合せは実施した方が良い。消費税や低所得層を対象とした減税はなお良い。経済が活性化し、結果として税収は増加する。
ただし、少子化対策のための扶養控除や児童手当と所得税課税とは切り離すべきである。高所得者優遇だとして、度々所得制限が課されることがあるが、それは出産・育児を真の意味では理解していない人々の妄言であり、子育て世帯に誤ったメッセージを送っていることになる。所得制限なしに扶養控除や児童手当を実施し、必要財源は累進課税で回収するのが筋であろう。
本稿では中間層の再建に焦点を当てたが、「成長と分配の好循環」を実現するためには、「『公的お見合い制度』と『学費無料』が少子化対策の第一歩」(2023年1月31日)で述べたように、少子化対策をしっかり実行し、子供数の減少を食い止めることが根源的に重要である。
図1の注
1980~1993年は「国民経済計算年次推計」の「平成12年基準(1993SNA)」、1994年以降は「2023年1-3月期2次速報値」(2015年基準・2008SNA)より。
図2の注
注1:課税最低限は、夫婦子2人(子のうち1人が特定扶養親族、1人が一般扶養親族に該当)の場合の数値である。
注2:社会保険料控除額のモデル計算式を平成27年に改訂しており、上記の課税最低限の計算においては、その改訂後のモデル計算式を用いている。
注3:平成6年(度)分の課税最低限は特別減税前の数値である。
注4:2013年(平成25年)1月から2037年(令和19年)12月までの時限措置として、別途、復興特別所得税(基準所得税額の2.1%)が課される。
20230713 執筆 主席研究員 中里幸聖
本レポートの続編:
「『新しい資本主義』は中間層の再建が鍵 -データupdate-」(2023年8月28日)
前回レポート:
「『新しい資本主義』は中間層の再建が鍵-分析編-」(2023年7月5日)