ドイツ@Sars-CoV-2 コロナウィルスアップデート(特別編) 2022/4/26(和訳)

エアフルト大学 ヘルスコミュニケーション学 コルネリア・ベッチュ
エアフルト大学 医療コミュニケーション学 ミリアム・イェニー
聞き手 コリーナ・ヘニッヒ

感染は明らかに減少傾向にあります。新規感染者数は減ってきていますが、発生指数は未だに3桁、取りこぼし率も高いと思われるのは、全員が検査に行くわけではないからです。これから数ヶ月の見通しはどうなのでしょうか。今、危機感の感じ方、リスクの認識度がより重要である、と感じます。心理学者の間ではこの現象はもうかなり前から話題とされているところで研究もかなりされている分野ですが、対策やワクチンなどに関するコミュニケーションの際にその辺りの配慮ははたしてされているのでしょうか。今、コロナに対するリスクを私たちはどのように認識しているのか。全てを正しく理解しているのか。どうして、基本的な情報すら行き渡っていない層があるのか。そこでも間違った情報は飛び交っています。ワクチンキャンペーンが上手くいった国もありますが、どうしてドイツでは失敗に終わったのか。このテーマについて、今日は二人専門家をゲストにお呼びしています。パンデミック前からヘルスコミュニケーションの研究をされている先生方です。まずは、エアフルト大学医療コミュニケーション科、心理学教授のコルネリア・ベッチュ先生、 先生は、ハンブルグのベルンハルト研究所にもご勤務されています。コロナのCSMO 試験(Covid-19 Snapshot Motoring)の担当をされていらっしゃるので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。この調査は、定期的にどのような情報が国民の間でどのように共有、認識されているのか、ということを調べるものです。対策への信頼度、危機感、リスクの認識なども含まれます。そして、もう一人、心理学者であり、決断科学の研究をされているミリアム・イェニー先生、同じくエアフルト大学医療コミュニケーション学科、医療コミュニケーションとメディアコミュニケーションのゼミで、プロジェクトscience to sociality を担当されています。そして、パンデミックにおいては、ロベルト・コッホ研究所でも科学コミュニケーションの分野を担当されていました。今日は、このお二方にお話を伺います。聞き手はコリーナ・ヘニッヒです。

ヘルスコミュニケーション、という言葉は先ほどもう出ましたが、先生方の専門分野でもあります。話をお伺いする前に、多分若干基礎知識が必要だと思うのです。まずは定義から教えていただけますか?ヘルスコミュニケーションとは一体何なのでしょうか?そして、どうしてその分野での研究が必要なのでしょう?

ミリアム・イェニー ヘルスコミュニケーション、というのは、対話、です。人々の医療への理解をサポートし、情報を提供する。それによって、全体での選択、決断を可能にすることが目的で、さらには、日常生活において個人レベルでの決断をすることができるようようになるのも大変重要な点です。

パンデミックでは、リスクとその認識は大変重要なポイントでもありますが、今現在、発生指数が高いのにも関わらず、ほとんどメディアにはとりあげられなくなりました。確かに、数値の意味合いは以前とは異なります。疾患負荷が少なくなりました。しかし、死亡者は200、300名という領域ですし、知人友人の間でも2人に1人は感染している、もしくは感染して回復した、という状況です。そのような状態がここ数週間続いていますが、前回のCOSMO、3月中旬に行われた調査ではどのような結果がでたのでしょうか?現在の人々の認識はどのようなものなのでしょうか?実際の状態のギャップはありますか?

コルネリア・ベッチュ 大変興味深いことに、デルタの際には、感染者数とリスクの認識の相互関係がはっきりとみられ、つまり、感染者が増えれば、危機感も増し自主的に注意深く行動する傾向にありました。対策で決められた範囲以外でも自粛し、自発的に接触を制限する、という動きがロベルト・コッホ研究所が出したR値に直接影響を与えていたことがわかっています。人々の行動の変化が影響する、ということが明確にみえたのです。感染者数、行動様式、そしてそれがR値、ウィルスの伝播、というものに反映される、という一連の輪がありました。それがオミクロンになってから一変しました。オミクロンの感染力が高く、高い確率で自分も感染するかもしれない、という自覚は皆持っているものの、多くの人が、「万が一感染をしたとしてもそこまで酷くはならないだろう」と考えています。入院率もデルタに比べると低いですし、人々の考え方は逆転しました。これが、発生指数がかなり高かった時期にも、危機感がそこまで大きくなかった理由です。それ同時に、自主的な保護対策もいままでのようにされていませんから、それが発生指数にも反映される、ということです。

政治的には、「自主性」という路線に移行していますが、例えば、マスクの着用もそうです。ここではどのような傾向がありますか?自主的に行われているのでしょうか?

コルネリア・ベッチュ この間のデータは、まだ改正前のものではあるのですが、今の問題はさまざまなところで「自己責任」が問われているものの、「自己責任」自体の定義が曖昧である、という点だと思います。自己責任とは、マスクをしなくてもよい、ディスタンスも保たなくても良い、ということを意味するのだ、と考える人もいるでしょうし、そもそも何が自己責任であるのか、というところの説明がしっかりと行われていない。そこで、自己責任とは、弱い立場にいる人たちを守るための行為でもある、ということを言うと、老人ホームや介護施設の老人をまず思い浮かべる人もいるかと思うのですが、守られなければいけない人たちはそのような人たちだけではないのです。慢性疾患を抱えていたりする人たち、、外見からはそうだとわからない人もそのなかにはいるわけですね。そのような人たちの数は決して少なくはありません。この点の議論が十分にされいない、と感じます。

ここでも、コミュニケーション、という分野になりますね。このような認識や危機感、です。認識は、予防とワクチンにも関係すると思うのですが、ベッチュ先生、先生はこのテーマの研究もされていますが、ワクチンはコロナワクチンの他にもたくさんあります。全般的な危機下のコミュニケーションに移る前に、ドイツにおけるワクチンのコミュニケーションについて取り上げたく思います。ドイツの高齢者のワクチン接種率は比較的低いです。3回目の接種率はまだ80%に達していません。デンマークやスペインでの特に高齢者のワクチン接種率はもっと高いです。ここ数ヶ月の間、ほとんど進展がないようにみえますが、、情報は与えられていた、と思うのです。キャンペーンも行われましたし、保健省のホームページにもコロナのサイトが常設され、メディアでも取り上げれました。イェニー先生、科学的な視点から、どこが敗因だったのでしょうか?どこが欠如していたのでしょうか?

ミリアム・イェニー 情報は、全ての人に同じように理解される、とは限りません。例えば、「共に乗り越えよう、新型コロナ」というものがあげられると思いますが、勿論、専門的に大変良い内容も多く提供されているものの、「何をするべきか」「どうしてそれをするべきなのか」という点では、やはりかなり複雑な内容であるためにそう簡単には理解できないこともあるでしょうし、先程のホームページにしても、そのサイトをみる、という行動を積極的に起こす必要があります。つまり、自分で情報を集めるアクションを起こさなければいけない。それをするひとも勿論いるでしょうが、あまり良い内容ではないサイトにたどり着く場合もあるでしょうし、情報を探す、ということをそもそもしなれていない人も少なくないと思います。そういう人たちはどちらかと言えば、受動的な情報収集、自動的に目に入ったり耳に入ったりする情報、ツイッターなど、、これはソーシャルメディアでのコロナ情報、という分野になりますが、ソーシャルメディアを利用しない人たちはテレビやラジオなどで情報を収集しようとするでしょう。スーパーでの放送、というのもあると聞きました。このようにさまざまなところに行き渡らなければいけませんし、さまざまな言語での情報も必要になってくるのです。情報の提供です。その点では、例えば良いコマーシャルなども足りなかった、と思います。

つまり、情報を入手するのが容易にはできなく、手頃なものが少なかった、ということですね。しかし、コミュニケーションとは通常では、発信者と受信者とのキャッチボールだと思うのです。情報、というのは次元が狭く感じます。情報とコミュニケーションは別物なのでしょうか?対話のなかで、もっと問うするべきなのでしょうか?

ミリアム・イェニー それが理想的でしょうね。ヘルスコミュニケーションを開発していく際には、フォーマットというものも開発していきます。ビデオであったり、テキストであったりしますが、その場合には、勿論対象ターゲットにもアンケートを取りながら進めていきます。そのような作業を緊急事態下において短時間ですることは、通常よりも複雑であることは言うまでもありませんが、大変重要なことです。人々が何を知りたい、と思っているか、というところがわかっていなければいけません。例えば、まずワクチンによって起こり得るネガティブな点について明確にし、人々の不安に寄り添い理解を示す、などです。個人個人の診療相談がものすごく重要である理由は、国民全体に向かって発信された情報はその人個人には当てはまらないこともありますから、医師に相談することによってよりそのひとにあった情報というものを得ることができるのです。

ベッチュ先生、それはCOSMO試験でもされていたことですね。ここでは、どこに人々が不安を感じるか、という調査もされています。パンデミック関係の情報の認識度はどのくらいか。どのような情報が理解され、どこが理解されていないのか。そのようなデータは、政治的な決断や実行の参考にされる、つまり、ワクチンキャンペーンのようなところで配慮される、ということでしょうか?

コルネリア・ベッチュ そうですね。先日、そのテーマについて話し合いがおこなわれたところです。例えば、「共に乗り越えよう、新型コロナ」というワクチンキャンペーンをとってみても、かなり改善されたとは思います。半年前までは、根本的には行政が集めた知識の集合体であって、ワクチンの優先接種を始めた頃からその経験も含めですが、そのようなことは住民が求めている情報ではありません。映画「グッバイ、レーニン」を思い出してみてください。この映画を知っている方も多いと思うのですが、主人公が昏睡状態から目覚めた時には、東ドイツはなくなっていた。理想的なのはそのような状況にも対応できるような方法だと思うのです。つまり、目が覚めたらパンデミックだった、と。そのような場合には、まずはワクチンについての情報を集めるのではないか、と思いますし、それ以外にも欲求が出てくるでしょう。何を知っていなければいけないのか。何を知りたいのか。それに関しては、COSMOデータでかなりよく把握することができていますが、一番重要だ、と人々が感じているところは勿論安全性です。しかし、どのように接種の予約がとれるのか。どれくらい手間をかけずにワクチンを接種する方法が知りたい、と思っている人も多いです。これは改正がされる前には、なかなか困難であった点ですから、他の国ではどのようになっているのか、というところも参考にしながら話しあってきました。デンマークでは大変素晴らしく実行されていて、ユーザーの立場に立ちながらその目線で、「今必要なことは何か」「何をする予定か」「不明な点はどこか」というところが配慮されて構成されています。ポスターなどのキャンペーンでもCOSMOデータが使われていますが、制作プロセスには私たちノータッチでしたので、これはその担当の部署と広告会社が行ったことですが、、データが活用される、という面では以前よりは行われていると思います。

とはいっても、ワクチンキャンペーンはもうかなり前から実行されているので、、かなり遅い、と言えば遅いですよね。この、ワクチンを接種する際に生じる問題、ワクチンに関する情報を得る際の問題、というは、どこか特定の層に多い問題なのでしょうか?言ってみれば、大卒で所得が多い層は必要な情報を得やすい、とか、それとも、どの層にもある問題なのか、どのようなデータは出ているのでしょうか?

コルネリア・ベッチュ 私が感じるのは、ドイツ語が困難な層にはもっと積極的なアプローチが必要である、ということです。RKIのデータからもわかるように、ワクチンを打つ意志はあっても、どのようにすれば良いのかわからない、という人たちも実際にいました。さらに、質問に対してしっかりと答えが得られなかった、というのもありますし、どちらにしても、リーフレットをつくって配って終わり、というわけにはいきませんし、ホームページに書いておけば良い、というものでもないことは明らかです。そうではなくて、情報は人々のところに届けれなければ意味がないものなのです。オーストラリアの例を出すと、ワクチン接種に特に積極的な人たちを番組に招待して、自分の経験談を語ってもらったり、その人たちをエキスパートに養成して、地元、地域の相談役として設置、さまざまなコミュニティのさまざまな言語で情報を提供してもらう。このような人たちが発信する情報は説得力が違います。文化的、言語的なベースから違いますし、理解の度合いも比べ物になりません。これもモデルのひとつで実行されているものです。「German Dream」とよばれるプロジェクトがそのようにコミュニティのなかに入って活動をしているもので、かなり効果をあげています。しかし、広範囲に渡っての問題がある場合には、どのようにお互いに学んでいくべきなのか、というところが明確にならない場合もあるのです。つまり、コミュニティごと、地域ごと、都市ごとに合ったスタイルをみつけていく必要性がある。一番適した方法がみつかるまでには時間がかかりますし、理想的な構造というものもできていません。パンデミック下において、情報収集は個人に委ねられ、州ごとに別のワクチンキャンペーンを打ち出さなけれないけなかった、という点でかなりの無駄も発生していしまったことも確かだと思います。かけられる予算にもばらつきがあるでしょうし、必要なものは人それぞれですから、常に全国統一の方針でやっていく必要はないとはないと思うものの、やはり一箇所でベースとなるものをつくり提供する、ということも重要なことであるとも思います。連邦制のなかで各自治体に委ねる、というのは、両刃の剣である、と言えると思います。少なくともいわゆるOwnership、つまり、自分で開発したプロジェクトに自信をもてること。チュービンゲンでのプロジェクトをバイエルンがあまり良く思わない、その反対も然りだと思いますが、中央でクオリティが高く、統一したものをつくればかなり予算も削減できると思いますし、それをもとに応用していけば良いのです。

応用可能、という点で言うと、個人的な予防接種への接種案内の需要性はどうなのでしょうか?ドイツでは、初めの優先接種の期間中は、孫がおじいちゃん、おばあちゃんの接種予約をオンラインで手伝っていた、という話も聞きましたが、接種案内が送られてきて決まった接種日に行く、という方法がとられていた州もありました。個人的な案内、例えば、小さな町村などで、町長から直で案内が送られる、というような方法での効果の違いは明らかなのでしょうか?どこに違いは出ますか?

ミリアム・イェニー それを調査したものがありますが、個人的な案内、しかももう接種日が決められている、「あなたの接種日は何月何日で、何処何処のワクチンセンター、もしくは病院で行います」というような案内が来た場合、それに行かない、行けない際には断ったり、別の日に変更する、という手続きが必要になるわけです。どちらにしても、自分のための接種日、ということで、意識は高くなりますから、これは良い方法です。複雑なシステムによる接種予約をしなくても良い、というところも利点です。

ワクチンに関する情報、という点では、一番大きな質問、というものは何だったのでしょうか? ワクチンに対する不信感、という面ではさまざまな理由があると思うのですが、調査では、陰謀説と誤情報での区別をしていて、つまり、意図的に拡散されているフェイクニュースであるのか、それとも単に間違って理解されている情報であるのか。この場合には、悪意はなくても間違った情報が広まってしまう、ということもあるでしょうし、誤解されてしまうこともあるでしょう。ターゲット層による差、というものはどのくらい重要であるのか。そして、早期に誤情報をストップさせるためにはどうすれば良いのか、という点です。

コルネリア・ベッチュ 私は、全体的にドイツに足りなかったものは、「だいすき!マウス」「マウスに聞いてみよう」というような番組、「モーダー先生に聞いてみよう」とか、「アド先生に聞いてみよう」みたいな番組だったのではないか、と思います。信頼できる医師に質問できるようなコンテンツですね。バクディ氏の動画が10万回再生だ、というような話を聞くと、そのような情報を信じてしまう人がそれだけいる、ということですから、疑問に思ったことに関する答えを探している人は多いのです。このような間違った情報の拡散から学ぶべきことは、今回のように科学分野でも不明なところが多い状況下では、人々も疑問を勿論多く抱えている、ということ。そして、その答えを欲している、ということです。時には、「その質問の答えはまだ出ていません。しかし、その答えを出すために、このようなことをしています。このような取り組みをしています」という答えになったとしても、これも立派な回答です。それによって、私の頭のなかのパズルの空いた場所を埋めることができます。陰謀説や誤情報の問題点は、それらが複雑な疑問に対して比較的簡単な説明がされる、というところです。ここが魅力的なところでもあります。正しい情報を提供するところ、わからないことがあれば相談にいける、答えがもらえる、というものがなければ、誤情報、フェイクニュースに頼るしかない、という状況にもなってしまいます。

ミリアム・イェニー ワクチンとその誤情報について少し追加しますが、ワクチンチャンピオン、ワクチン案内人とよばれる人たち、つまり、市民のなかからワクチンキャンペーンの案内人の役割を果たしている人たちがいて、ワクチンコミュニケーションブック、というものも存在するのですが、そこに、誤情報への対応方法なども示されています。健康医療分野で忘れてはいけないことは、医療的な決断を下す際には、家族内、知人友人、隣人などと話し合いの場を設ける人が多い、という点です。これが、ワクチン案内人制度の利点でもあり、専門家が発信する情報だけではなくて、信頼ができる人との話し合いができる、というところです。

個人的な対話、ということですね。しかし、誤情報がもうすでにかなりの広範囲で拡散されてしまった時には、かなり困難です。脳科学の分野からも、間違った情報を脳の記憶から取り除く作業、というものはそう簡単ではないことがわかっています。ロベルト・コッホ研究所のCOVIMOアンケート、これはワクチンモニタリングですが、ここに記録されているデータをみてみると、アンケートに回答した人たちの約半数が、ワクチン接種によって不妊になる可能性があるかどうか、という質問に明確な答えをみつけることができなかったそうです。このような情報はソーシャルメディアを通して拡散され、世界中に広まってしまいます。どのように、早い段階でそのような誤情報の拡散を食い止めることができるのでしょうか?多くの誤情報は、似非科学的なアプローチ、つまり、なんらかの科学的根拠があるように見せかけているものも多いですから、一見信頼できる情報にもみえてしまうのだと思います。

ミリアム・イェニー そうですね。信頼ができるところ、公共の機関から、しっかりとこれはフェイクニュースである、ということを明らかにすることも重要なことだと思います。信じ込まれる前に、です。ワクチンの効能であったり、ですね。信じる理由はさまざまなのでしょうが、ワクチンが不妊に繋がる、と信じている人は一定数います。そもそも、ワクチンには誤情報はつきものです。他のワクチンでもそうなのですが、根拠のない不安を抱えている人は多いですから、不妊、というような事は根拠のないことだ、という点をしっかりと説明する必要があります。事実を繰り返し伝えること。サンドイッチのように、まずは、事実。それから、この誤情報がどこから来たのか、という点を明らかにして、もう一度真実を伝える。そのようなことは勿論キャンペーンでも取り入れることが可能です。

しかし、そのような噂を取り上げることによって、さらに拡散してしまう、という危険性もあるのではないでしょうか? ベッチュ先生、先生は、チュービンゲンのワクチンコミュニケーションプロジェクトに携わっていらっしゃいましたが、若者の間で広まっていたこの噂も取り上げていましたのよね。意図せずに余計に噂が広まってしまう、という可能性もあるのではないでしょうか?

コルネリア・ベッチュ 大変重要な点ですね。どのようにするか、というところでも変わってくると思います。つまり、先程、イェニー先生が仰っていた事実のサンドイッチのポイントも、誤情報ではなくて事実のほうにフォーカスすることが重要です。このプロセスではメディアの役割も大きいです。というのも、「ワクチンは不妊の原因になる、か?」というような見出しになるからです。ティーザー広告、ですね。「COVIMO調査、約半数が不安を訴える」などと報道されると、クリック数も増えるかもしれませんが、それと同時にフェイクニュースのほうも強調されます。勿論、ここにはさまざまな要因がありますが、「危険の可能性がある」という情報のほうが、「安全である」という情報よりも魅力的、ということです。恐怖を煽る内容のほうが頭に残るからです。ここで、現在のワクチンキャンペーンの批判をするならば、今、まだあのポスターが貼られているかはわからないのですが、、、「ワクチンは有効的。不妊にはなりません」とか、そういう内容だった、と思うのですが、そのようなポスターがバスの停留所などの広告塔に貼られていました。有名なところでは、「絶対に赤い象を想像しないように」と言われた時の効果ですが、これに関しては説明する必要はないでしょう。これではうまくいきません。そうではなくて、「ワクチンはあなたを守り、あなたの子供を守ります」という方が効果的です。これが実際に伝えたいメッセージです。全員の誤情報を訂正することは難しいですから、このような方法は不適切です。目を引くような短い文章、テーマ、情報サイトに誘導できるような内容が好ましいです。「マウスに聞いてみよう」というようなサイトがあったとしたら、それを広範囲で宣伝することは効果がありますが、「ワクチンから不妊にはなりません」というやり方は逆効果なのです。脳のなかにパズルがある、と想像してください。そこからピースを1つ取り出したとして、、子供の頃、パズルがほとんど完成する時に1ピース足りなかった時の失望を、、思い出してください。そのような事は嫌ですよね。つまり、人は、足りない部分を誤情報を持ってしても埋めていこう、とするわけです。ですから、1つピースをとったら、そこを埋めていかなければいけない。このような誤情報がどうして出回っているのか、という点をしっかりと説明することで埋めていかなければいけません。その効果は、研究でも証明されているところです。

そのような誤情報が出回っている際に、それを見て見ぬふりをする、というのは解決策ではない、ということですね。私は番組の準備のために、Social Listeningという定義を読んだのですが、早期の段階でネット上で何が出回っているのか、というところの監視をする、ということは意味があることなのでしょうか?

コルネリア・ベッチュ 意味はあります。重要であることは確かです。Social Listeningは大変重要なツールです。例えば、あの10万回も再生されたバクディの動画ですが、人々は何を知りたい、と思っているのか。WHOのハンドブックにも、このような事との対応方法が示されています。どのようにシェアされていくのか?どのように拡散されていくのか?メディアの取り上げ方はどうか?それに対しての発信をするべきかどうか、情報を与えることによって油に火を注ぐような結果にならないか、「これは間違った情報ですよ」と正していくべきなのか。そのあたりのバランスは常にみていかなければいけません。WHOのハンドブックはそのようなところの参考となるものです。

わかりやすいメッセージについては先程とりあげましたが、私が個人的に持った印象としては、同じ内容が繰り返されていたように思います。「ワクチンは守ります」と、具体的な説明も、論拠も、その背景もみえないまま、ただ反復される。わかりやすい表現以上のものが提供されなかったのではないでしょうか?必要とされているのは、このような「わかりやすさ」ではないと思うからです。「ワクチンは守ります」というだけでは意味がないように思いますが、イェニー先生はどうお考えでしょうか?

ミリアム・イェニー そうですね。そのようなことではないです。そうではなくて、事実を提示し、議論などをしつつ可能な限りわかりやすく説明していく。オミクロンになってからは、この点はそこまで問題ではない、と感じますが、それまでに問題だと思っていた点は、人々がワクチンから得られるのは、ポジティブの効果か、ネガティブな効果のどちらである、と信じていたように思うのです。しかし、このどちらか、ということではなくて、コロナに感染するかどうか、というところでしょう。この比較はグラフでもわかりやすく示すことができますが、障害がワクチンから起こる確率と、感染から起こる確率を比較するとどうなのか。メディアでよく使われるグラフの例では、ワクチンでの炎症は赤が三つ、ワクチン未接種では30。これは例のひとつに過ぎませんが、視覚的に表すことは可能です。ワクチンでは可能性は極めて低く、感染での可能性は大変高い、など。もう一つの残念なポイントは、ドイツにはたくさん素晴らしい研究チームがいるにもかかわらず、「コロナを共に乗り越えよう」というプロジェクトには残念ながらあまり活かされなかった、というところです。

コミュニケーションには、透明性と誠実性も重要な要素です。パンデミック下において、多くの人が、「ワクチンから〇〇が起こらない、という保証はできますか?」というような問いをしたと思いますが、誠実的な科学の視野から答えるならば答えは常に「保証はできません」となると思うのです。そのリスクが0、001%の領域であったとしても、です。どのようにこのような点についてわかりやすくコミュニケーションを取ることができるのでしょうか?どのように解決できますか?

ミリアム・イェニー 不確定な領域でのコミュニケーションに関してわかっていることは、リスクコミュニケーション、つまり、確率と数値でのコミュニケーションよりも少ないです。しかし、どちらにしても、リスクと安全、という解釈をすることが可能です。私は、やはり、リスク面に関してはある程度の許容は必要だと思っていて、人生において完全な保証ができることはほとんどない、という理解が必要だと思います。勿論、「保証はできないけれど、ほとんどそのようなことは起こらない」と、どの程度の安全性なのであるか、というところを伝えることは大切ですし、想定外のことが起こる確率、というものを説明することも重要でしょう。

少し細かい部分での話をしてきましたが、全体的にみると、ワクチンキャンペーンなどは政治が行っていることです。ベッチュ先生、基本的なところでの問題点は、パンデミック下において科学への信頼が比較的大きい故の誤解、ということもあったのではないでしょうか?

コルネリア・ベッチュ パンデミックは特殊な状況であって、ワクチンはそこから脱出する術だったわけです。そこに政治コミュニケーション、ヘルスコミュニケーションが入ってきたのですが、これはもうマスクなどの時にもそうでした。そのような対策が義務化されて、ロックダウンなども行われたのですが、ワクチンの場合には突然もっと健康に関係するテーマであり、リスクも伴いベネフィットとの判断も必要になるのです。アストラゼネカの一件を思い出してみると、副作用の起こる確率は大変低いものの起こった場合には重度である可能性があったために、その層にとってどのようなリスクがあるのか、というところを明らかにする必要がありました。このようにとても繊細なヘルスコミュニケーション、リスクコミュニケーションが突然政治側から行われなければいけなくなったわけです。これが、結構頻繁に混乱した原因ではないかと思われます。「ワクチンはすばらしい」「ワクチンは安全だ」というキャンペーンがされいている一方で、「リスクがあり、これはワクチンによるリスクである」「ワクチンにはメリットがある」とも言われ、ヘルスコミュニケーションは、「これが疾患のリスクで、これがワクチンのリスクで、これがワクチンのベネフィットだ」「ワクチンを接種すれば疾患経過が重くならなくて済む」「接種することで防止できる」と。これは少し複雑な内容ではありますが、より良い伝え方で行えば、誰もがきちんと情報を得ることができる内容です。しかし、少しそのあたりが混沌としてしまったために、混乱してしまった人が出てきたのだ、と私は考えます。初めの頃は安全性について明らかになっていることは多くはありませんでしたが、それもかなりすぐに改善されました。有効性についても議論がされましたが、有効性とは何に対する効果のことを言ってるのか。重症化に対するものなのか。それとも罹患なのか。致死を言うのか。ここには大きな違いがあると同時に不信感も存在します。私は、この辺りをもっと区別しながらコミュニケーションをとっていくべきだった、と思っています。そこがされなかったために、失われたものは多く、ドイツには、先程、イェニー先生も仰っていたような、映像による説明であったり、グラフで表したり、というようなヘルスコミュニケーションを噛み砕いてする機関がなく、そのような構造になっていないところがやはり困難であった原因ではあると思います。医療的にもとても複雑なものを政治が売らなければいけない。そして、そもそもこれは政治的なコミュニケーションではなくて、ヘルスコミュニケーションの分野だ、ということです。

信頼度とも関係がありますか? つまり、保健省、という政治機関がするべきことことではなかった、信用できる情報、というよりは政治的キャンペーンではないか、と思ってしまうのかな、と思いますが。

コルネリア・ベッチュ 勿論、政府に対する信頼はワクチンの接種率に反映されると思います。それは、対策全体にも言えることです。COSMOデータからも、政治への信頼が段々下がっていることがわかります。そのような状態で、政府が主導権を持ってキャンペーンをすると、「政府は信用できないから、聞く耳も持ちたくない」という人が増えてきても何の不思議もないでしょう。そこから例えば、自分で情報を集めようとして陰謀説にはまってしまったり、変なSNSのグループに入ってしまったり、ということも起こってしまうことも考えられます。ですから、政府とは別な発信元が重要で、いわゆる、科学に基づき、エビデンスを持って良いよりコミュニケションが可能なパブリックヘルス機関です。エビデンスには、医療、ウィルス学の分野だけのものだけではなくて、心理学やコミュニケーション科学、ヘルスコミュニケーションのものも含まれます。

他の科学ジャーナリズム、例えば、Zeit紙からもこの間、成功したキャンペーン例についての記事がありました。その例としては、90年代の AIDSキャンペーンがあげられますが、イェニー先生、先生は、ロベルト・コッホ研究所でもプロジェクトに携わっていらっしゃったと思うのですが、今回もそのようなことも可能だったのでしょうか?

ミリアム・イェニー その方法があったことは確かです。しかし、AIDSの時とは違って今回のパンデミックにおいてはそのようにはされませんでした。今回のコミュニケーションはやはり保健省が中心となって行われたものですし、一部、BZgAが担当した部分もありますが、最終的な発信元はやはり連邦保健省です。ロベルト・コッホ研究所が関わった部分もありましたが、ロベルト・コッホ研究所という機関は専門業界を対象とする機関で、BZgAは一般向けの機関です。しかし、今回のパンデミックではロベルト・コッホ研究所も一般への発信を始め、理性の声、良い意味で科学の声という役割をしていましたが、重点が保健省に置かれていたために、規格外なコミュニケーションがあまり使われることがなかった。信頼、というのもそのなかの一つですが、目線に立つ、というのも大変重要です。ベルリンでの例なのですが、ワクチンコミュニケーションが、ごみ収集と公共交通機関を使って行われていましたし、パンデミックのような危機下では、さまざまなコミュニケーションの方法を取るべきであり、特に社会の中心部からコミュニケーションしていくべきなのです。その点での改善点がたくさんある、ということは言うまでもないと思います。

ワクチンキャンペーンに成功した、、少なくとも高齢者層で成功したデンマークはどのような方法を使ったのですか?勿論、デンマークでもワクチンに対しての不信感を持つ人はいた、と思うのですが。

ミリアム・イェニー ベッチュ先生も仰っていたことですが、ユーザーの目線にたった、というところが勝因なのではないかと思います。Webサイトのインフォメーションをとってもわかりやすかったです。しかし、他の国との比較をするのは難しいです。というのも、その国その国で異なるところが多く存在します。コミュニケーション戦略もそのなかの一つですし、科学、そして政治に対する信頼もまた別です。社会内での信頼感も、お互いを思いやる、というところでワクチンへのモチベーションになるでしょうから、このようなファクターが異なると比較することも容易にはできません。

コルネリア・ベッチュ 実行面でもデンマークは違っていました。上から下へ、つまり、高齢者からはじめて若年層へ、年齢別で行われ、自動的に接種日がメールや郵便で送られたのです。先程も例にあげたように、ですね。ドイツでは、大変複雑なシステムで振り分けられましたから、誰がいつ接種できるのか。自分の順番が来るのはいつか、というような情報が新聞に載っていたくらいです。デンマークでは、自分の年齢層の順番になれば自動的にメールがきますから、それまで待っていれば良い。大変わかりやすく実行されていたと思います。

根本的な条件は違ったとしても、やはりコミュニケーションが異なった、と言えるのではないでしょうか。デンマークでの福祉の意味合いはドイツでは違うと思います。コミュニケーションにおいても、透明性と誠実性がドイツとは違ったのでしょうか?その違いを感じられることはありましたか?

コルネリア・ベッチュ その点は私にはあまりよくわかりません。ただ、一つ印象に残ったことはあって、アストラゼネカをワクチンとして引き続き使うかどうか、という議論の際に、政府はStikoにもう一度その評価を依頼、その結果を待ってから決断する、ということになりましたが、これは、独立した機関があり、その中立した組織に政府が意見を仰ぎ決断に向かう、という方法は大変ポジティブなやり方です。それによって、報告書、そしてその内容への信頼も増します。これがそこまでうまくいかなかったことはこれまでに何度かあります。何が悪かったのか、どのようなファクターが重要であったのか、ということをこの場で言うことはできませんが、イェニー先生もご指摘されていたように、これは大変複雑なことなのです。しかし、比較して記憶に残ることはあります。

例えば、Stikoは信頼をつくるコミュニケーション、という面でも必要ですよね。覚えているのは、子供のワクチン接種への推奨がでるのを保護者たちが何週間も待っていたわけですが、いつ出るのかも、いつになるのかも、そもそも出されるのかも不明だった。そのようなことがやはり足りなかった、ということでしょうか?それともそのような印象を受けるだけなのでしょうか?

コルネリア・ベッチュ ドイツ国内のStikoへの信頼は非常に高いです。COSMOデータでも、「Stikoの推奨は大変重要である」という保護者が大変多い。しかし、それは必ずしも、実際のワクチンの接種に反映されるわけではない、ということもわかっています。ただ、推奨が出された後にはこの年齢層での接種率が上がったことは確かです。保護者としては大変重要なことだ、ということです。不明点が残らなければ残らないほど、メディアによる混乱が少なくなるのです。

危機下のコミュニケーションについてですが、対策に対する許容度、というのも重要なポイントです。ベッチュ先生、COSMOデータでは、国民の信頼がどんどん下がっていた、とおっしゃっていました。しかし、初めの頃は、世界的にも、「ドイツでは大変上手くいっている」と思われていた、と思うのです。パンデミックへの対応がすばらしい、と。それが、たしか2021年の春頃だったと思うのですが、、変化しました。何が起こったのでしょうか?どのようなことがCOSMOデータから読み取れますか?

コルネリア・ベッチュ 第二波か第三波の頃だったと思うのですが、ここで明らかな信頼の低下がみられています。特に、対策を支持している層での変化です。あの時には、ロックダウンが行われてその後に解除されましたが、政治的な根拠としては、「パンデミック疲れがあるから、解除せざる得ない」というもので、確かにそうでした。みんな、パンデミックで疲れてはいましたが、それでも危機感、というものは大きかったのです。デルタの時ですから。まだまだ多くの人が亡くなっていましたし、感染者数も多かった。きちんと守られていない、と感じる人が多かったのです。それによって、信頼をなくす人が増えたのだと考えられます。それと同時に、対策が政治的なものになっていきました。つまり、政治的な統一性がなくなっていった。いろいろな地域で選挙があり、最終的に連邦の選挙もあったのですが、そこではこのテーマが利用されることはなく、それ自体は大変よかったと思います。しかし、地方選挙ではそうはいかなくて、政党ごとで対策に対する考え方が異なっていましたから、これが直接の理由なのか、ということはわからないものの、このタイミングでの(信頼の低下の)傾向はみられます。

これは、 ナラティブアプローチとも関係があると思われますか?初期の頃に、ベルガモの様子の報道による影響にもみられるように、危機感、というものは初めは大変大きな動力源だったと思うのです。個人的な恐怖も含めて、です。しかし、危機感は永遠と持続するものではありません。全体の見出しをどのようにしていくのか、対策に関するコミュニケーションをどこからはじめるのか、というようなところが欠如していたのでしょうか?

ミリアム・イェニー そうですね。恐怖という感情は大きな影響をもたらすことがあります。ベルガモの様子が大きな影響を与えたことは確かです。しかし、パンデミックの初期、3月に行われたアンゲラ・メルケル首相の演説も大きな影響を与えたことも明らかです。私は莫大な影響を与えた、と思っています。しかし、恐怖というものは長くは続かないです。全てのことに慣れてくるからです。そして、恐怖を煽るようなメッセージは次第に受け入れられなくもなっていきますから、目線にたったコミュニケーションのほうが適しています。恐怖は麻痺もさせます。つまり、ウィルスが怖くても、だからといって何をしていいかがわからない。さらに、恐怖を感じることによって行動力も低下する可能性があります。重要なのは、リスクを明確に提示すると同時に「改善するためには今何をすれば良いのか」「そのための策をみんなでやっていこう」というところが明らかになることなのです。リスクへの注目はありますが、そこから迅速に行動に移せること。方向性がはっきりしていて、どのように改善されていくことができるのか、ということが明らかになる必要があります。そして、それをみんなで団結してやっていく、というやり方です。

特に、厳しい対策に対するコミュニケーションは重要ですが、例を出せば、ジャシンダ・アーダーン・ニュージーランド首相だと思います。彼女の発言はダイレクトですが、「みなさん、これから嫌なことが続きます」と正直なところも伝えていました。共感、親近感、国民への近さ、など、政治的にはどのくらい重要なことなのでしょうか?研究からわかったことはありますか?

コルネリア・ベッチュ 彼女の初めの50の会見に関する分析が出ていて、彼女が行った毎日のブリーフィングはニュージーランドの人気ランキングにも入っていたところをみても、どのくらいの支持を受けていたのか、ということがわかると思います。彼女の言葉の選び方、伝え方は、ステイホームなど受動的な行動に対して、ニュージーランド国民へ積極的な協力へと促すことに成功しました。特に、スポーツから喩えを選ぶことが多く、家に止まることをただ何もせずに座っているのではなく、そこからポジティブでアクティブなものである、という行動に変換したのです。彼女が行ったブリーフィングは、単に情報を提供したり、新しい新規感染者数を発表したりする場ではなく、共通の価値観をつくり、団結力を強めるアピールがされています。大変多様な社会構造があるなか、その異なるグループが同じシチュエーションに置かれている、ということ。その状況下で、彼女は国民に向かって語る、というのではなく、国民と話す、ということを試みたのです。それが、彼女のブリーフィングがニュージーランドの人気番組のなった理由だと思います。これは大変素晴らしいやり方だと思います。パンデミックというものは、大変長く息が切れる道のりです。ニュージーランドのワクチンキャンペーンはその点のフォローもされており、、最終的には大成功であった、とは言えないものの、それでも、戦略的にはこのような文化的に多様な国においてどのように非常事態に対応していくか、という点では評価されるべきところだと思います。

先程、方向性、どこに向かっているのか。そして、厳しい対策の向こうにどのような目標があるのか、というところを明確にすることが重要だと仰いましたが、もう一度デンマークの例をあげると、デンマークの政治学者、ミヒャエル・バン・ペーターソンの論文があり、ここでは、複雑性研究のスー・レーマン等が、対策に対する許容度と様々なシナリオを分析しています。これは、「Communicate hope to motivate Public during the Covid-19 pandemic」つまり、モチベーション確保のための希望のコミュニケーション法、ということになりますが、ここから何を学べますか?ベッチュ先生、少しご説明いただけるでしょうか?

コルネリア・ベッチュ イェニー 先生からもご説明があったように、危機の認識、は大変重要です。どのような危機が迫っているのか、ということがわからなければ、どのように守っていくべきなのか、というところもわからないからです。しかし、オーバーヒートする危険性も勿論あります。ドイツでみられたのは、危機シナリオと共に上昇するカーブです。ロックダウンをした場合はどうなるか。ワクチンの接種率が高くなるとどうなるか。どのように変わっていくのか。このデンマークの試験では、ここで上昇傾向だけを提示した場合と、全体のカーブを見せた場合の反応の違いを比較しています。波、というものは、どんどん上がってはいきますが、ある時点を頂点にまた下がります。対策の効果が出始め、ウィルスの拡大が制御されていく、ということですが、それは十分な数の人がワクチンの接種をしたか、接触が削減されたから、という理由からおこりますが、この際に、「しばらく上昇するが、対策を強化すればまた下がる」ということがわかれば、人々は希望を持つことができます。「希望があるかどうかがどうでもよくて、対策を守れば良い」ということではありません。希望があれば、厳しい対策でも受け入れ、さらに自主的に、ポジティブに行動し、危機感も高く対策の必要性も認識する、ということです。これは良い方法だと私は思います。イェニー先生もおしゃっていた、自主性、やはり、人々の判断に委ねるのが一番なのです。私たち一人一人の行動が変われば、周りが変わる。この点のコミュニケーションがうまくいけば、コンプライアンスが増し、規則を守る人の割合が高くなるのです。

ドイツでは、似たようなことが行われましたが、全く同じだったわけではありません。期限が提示されたこともあり、「何月何日まで守れば、その後はロックダウンが解除される」などですが、これはシナリオを示さなかった、と同時に、保証することができないことを保証した、という点で間違いであった、と言えるでしょうか?

コルネリア・ベッチュ 後でわかることはたくさんありますよね。今であれば、あれば間違いであった、と言えますが、COSMOデータにも反映されているように大変な負担がかかっていたことは事実です。様々なシナリオを比較しながら、そのような状況でどのくらいの負担を感じるのか、このような対策があったとしたらどう思うか、というところのアンケートをとりました。対策が終了する日付を決めて実行するのか、それとも、目標の感染数まで下がった時点で解除するのか。あの時にはそれが基準でしたので。 実際に、対策の解除の目安となる感染者数まではかなり良く削減されていた、という傾向もありますので、具体的な目標があることで協力体制も強くなることがわかります。「これこれがルールで、これをこう実行すればこのような目標を達成することができる。その結果、対策は解除される」となると、全体のカーブにもポジティブな影響を与える、という結果がでているのです。それにさらにデンマークの論文からのデータを加えると、人々は、「役に立っている」という実感があれば、(対策に対しても)ポジティブな感情を抱くことがわかっています。

これは、予防パラドックスの問題を解決するものなのでしょうか?つまり、対策の効果がでれば、勿論予測されいたダメージよりも軽くすむわけですから、「ほら、別に対策なんかしなくてもよかったじゃないか」と言い出す人が出てくる。これに関する心理学の知見はありますか?イェニー先生?「ここからここまで辛抱したから、感染者数が少なくなったのだ」ということは後から理解されるのでしょうか。

ミリアム・イェニー そうだと思います。例えば、ある対策が行われた後に感染者数が下がり始めた、というような関係性をイラストなどにするとわかりやすいです。予防パラドックスは、詳しく説明することが大切です。これは、予防の問題であり、保健衛生の問題でもあります。防止できた暁には、予測されていたことが現実にならないわけですから。しかし、対策をしなければ、それは多分そうなっていた、と思われますので、その理解をしてもらえるように努めなければいけません。私は、このあたりの意識を変えること、全て大袈裟だ、という考えから脱出することが必要だと思っています。

指数関数的な増加の時にも似たような感じでした。あの時にはまだよく理解されていなかった、ということもありますし、感染者数が少ないとそこまで大変なことになる、という想像ができない人が多いです。しかし、それが数日後に突然豹変する。人々が、どうしてこのように急に状況が変わっていくのか、というリスクを理解するにはどのようにするべきなのでしょうか。

ミリアム・イェニー そのような場合にはグラフやアニメーションを使うのが良いと思います。そういうものはありますし、どのような速度で拡大しているか、直線的な増加、というものが何を意味するのか。ポイントで表すのも良いでしょうし、次第に赤に変わっていく、というものでも良いでしょう。そうすれば、指数関数的な増加もよくわかると思います。これは別にコロナに限ったことではあります。指数関数的に悪化する状況、というものは環境問題のテーマでも重要なものですし、これは基本的な原理であって、科学的な基礎原理ですから、この辺りをしっかりと説明していく必要性があります。

前を向いて考えていく際に、、先程も数点ご指摘がありましたが、人々が予測シナリオに対しての準備ができるようになるにはどうすれば良いのでしょうか。何をこのパンデミックから学ぶべきか。別の危機でのコミュニケーション、環境問題、ヘルスコミュニケーション全般に繋がるものだと思いますが、ここには社会経済学的な見方もあります。医療社会学の分野ではかなり前から、低所得層のほうが健康リスクを抱えている、ということはわかっていますが、どのような構造が根本的な問題点、情報レベル、そして実際の起こる影響の解決に必要であるか。どこの部分を基本的に変えていくべきでしょうか?

コルネリア・ベッチュ パンデミックに関しては、考え方を変えることが重要だと思っています。というのも、主に意識がウィルスに集中しているからです。勿論、どのように感染伝播が起きるのか、ということや、どのような性質があるのか、変異株の種類などを知ることも大切でしょう。それは重要なことですし、対策とコミュニケーションの中心となることではありますが、ウィルスの「宿主」も大変重要なのです。私は、ウィルスよりも、ウィルスの宿主としての人間にもっとフォーカスをあてることが必要だと思っています。アレーナ・ビュックス氏も言っていましたが、会議では、まずはどんなにコミュニケーションが重要であるか、ということが主張されてから議題に移る。それから土曜日の午後にはみんな家に帰るわけですね。そこからコミュケーションの部分がファイルに入れられる。これは、パンデミックにおけるプランにもいえることです。パンデミック前にあったことと、今、変えられてしまったこと。しかし、パンデミックが始まった時には一番はじめのページにあったのが、コミュニケーションだったのですが、今は、、最後のページ、とまでは言いませんが、かなり最後のほうであることは確かだと思います。私は、この点の考え方を変え、人間、というものを中心にフォーカスするべきだと思っています。パンデミックにおいても、環境問題にしても、です。最終的には、私たちの行動が問題を促進するからです。接触が増えれば、ウィルスも増えます。この辺りの考え方を変え、理解しなければ、行動も変わりません。それを構造に置き換えると、危機下において必要なのは、人間の行動を理解する人です。コミュニケーションだけではありませんが、それも一部です。今、コミュニケーションの大切さと、そこの改善が訴えられていますが、意味がわからない変なルール、例えば、州境を越えれば異なる規制など、、そのようなものは理解ができなく、守りたくない、と考える人がでてきても不思議ではないのです。つまり、ルールを決める際にも、行動様式と認識を理解することが重要なのです。危機下においては、行動様式とコミュニケーションの分野に精通している人が必要です。というのも、ウィルスに関して新しくわかってきた知見があって、それに対応する素晴らしいルールができたとしても、その成功の鍵を握るのは、、勿論、まずはそれによってウィルスの拡大をどこまで阻止できるか、という点も重要ですが、それ以上に私たちがそのルールを守るかどうか、にかかっています。それはワクチンでもそうでした。大変すばらしいワクチンがあっても、誰も接種したくなければ全く意味がありません。その点をはじめから考慮すべきなのです。それから、パンデミック、危機下で起きるミスとしては、初めからきちんとその点の配慮がされない、ということ。そのためには、科学をベースとしたコミュニケーション、ここでは、勿論内容が科学的に正しいことが前提ですが、コミュニケーションの際に、その他にも心理学、コミュニケーション科学、ヘルスコミュニケーション学の研究分野も重要になってきます。これは単に、Knowledge-Deficitモデル、つまり、正しい情報だけ知っていれば正しい行動をする、というものではありません。そのようにならない、ということはすでにわかっていることです。ここでは全ての部分を網羅しなければいけなくて、まずは、望まれる行動が簡単に実行に移せる、ということ、そして、自発性を促す構造を確保していく必要があります。つまり、人々は、どうしてそれをしなければいけないのか、という理由を明確にし、それを可能が限り一貫して、誤解のないように伝えていかなければいけません。それができることが望ましいのですが、いまのところ、そのような構造が確立されていません。専門家会議からは、5つ目のコミュニケーションに関するステートメントが出されましたが、そこでもそのような構造の必要性が説かれています。というのも、危機は、環境問題など、他にも存在しますので、そのような場合にもコミュニケーションは重要なポイントとなるからです。

イェニー先生、行動判断については、新しい行動科学からの知見があると思います。判断をする際に構造的にそこに誘導する、ということができると思うのです。そう聞くと、ナッジングを想像する人も多いと思いますが、これは印象操作、というあまり良いイメージを持つ人もいるでしょう。例えば、スーパーなどでわざと効高価な商品を目の高さにおいて、安い商品を下に置くなど、行動を誘導するようなことをしたり、その他にも行動科学からわかっている戦略はありますが、人々が自分で選択行動しているのだ、という意識を持たせつつそこに持っていくためにできることはありますか?

ミリアム・イェニー ナッジングで行われるのは、環境を変え、調整することによってなんらかの影響を行動傾向にもたらすようにする、というものですが、一番わかりやすいのはスーパーでしょう。健康なもののようを健康に悪いものよりも手に取りやすい場所においたり、その真逆の例だと、レジのそばにおかれている商品があげられます。その他には、ブースティングコンセプトがありますが、ここでは個人、というところにフォーカスし、一人一人が望ましい健康行動へと向かうか。つまり、例をだすと、健康な食生活のためにどのように自宅のキッチンをオーガナイズしていくのか、というようなことです。ここで2つのポイントを付け加えると、そのなかのどちらかが絶対悪である、ということはなくて、ポリシーミックスをすること、様々なものをツールとして持っていること、が大事だと思うのです。ブースティングにおいて、倫理的にみてポジティブな点は、ここではわざと印象操作をする、ということではなく、各自のモチベーションからの行動だ、ということです。そして、ブースティング対策が長続きする、という点もポジティブなところ、と言えると思います。例えば、それがナッジングの場合、スーパーでお菓子を目立つところにおけば、人々は再びそのようなものを手に取るようになるでしょうが、自分の食生活をどのようにオーガナイズするべきか、というところでの理解がされていれば、その意識は長期に渡って持続するからです。ここでは、単に環境の変化が私に影響を与え、そこが元に戻ればまた逆戻りする、というものではありません。その他にもブースティング法の利点はいくつもありますし、保健衛生や環境問題の面で、人々を良い、健康な習慣に導く、自ら健康であり、地球にとっても良い生き方にしていくために使えるたくさんの方法、活動的に行っていく方法はあります。これは言ってみれば、目線を沿ったヘルスコミュニケーションの哲学、というものだと思います。

つまり、操作するよりも情報を与える、それによって情報が消化されて行動に変化がおきる、ということですね。

ミリアム・イェニー そういうことです。情報与えたり、訓練したりして、学び、習得することによって、能力の向上を図る。例えば、そうすることによって、デジタル環境においても、挑発的な情報に疑問をもち、確認する習慣がつきます。「この情報の出どころはどこなのか。この論文、このサイトについて別の意見はあるか」ということを意識するようになるのです。これが、まずは人々の意識に訴えてモチベーションを与える方法ですが、これによって実際に挑発的なフェイクニュースを判別することができるようになれば大きな効果があった、と言えます。ブーストが効果的な分野は他にも色々とあります。

いままでのお話を聞いていると、心理学、社会科学、行動科学、コミュニケーション科学の分野はかなり進歩している、と言う印象ををうけますが、なかなかそれが政治的決断には反映されていないような気がします。ベッチュ先生、先生は専門家会議のメンバーでいらっしゃいますが、危機下においては専門家の意見、というものは重要になってきます。しかし、プランにその知見を長期に渡って活かしていくには、やはり機能的構造が必要になるのではないでしょうか。ドイツのワクチンキャンペーンをみても、どちらかといえば、常識範囲と簡単なメッセージが全面にだされて専門家はあまり関与していない、という印象をうけます。どのようなシステムが望まれるのでしょうか?

コルネリア・ベッチュ もし、妄想が許されるのであれば、勿論、大きなパブリックヘルスの研究所があって、そこに専門家が常任し、集められたデータをもとにどのようにコミュニケーションを図っていくべきなのか、というところを研究するシステムがあることが望ましいです。そこで、心理学、コミュニケーション科学などに基づいた見解が出される。勿論、「私達心理学者やコミュニケーション科学者の意見が反映される機会が少ない」と言ってしまうのは簡単です。しかし、積極的に発信していくことも需要だと思うのです。とはいっても、個人でできる範囲はどのくらいなのか、という問題はありますし、大変手間もかかる作業です。ここのドロステン先生のポッドキャストが科学コミュニケーションの大変良い例です。どれだけ大変な仕事なのか、ということが伝わりますから、尊敬と羨望の眼差しでみるでしょうし、本当に精魂がこめられている仕事であることは一目瞭然です。しかし、それは報われる仕事でもあります。ですから私は、常に政治のアウェアネスと科学者の協力体制の両方が必要だと思っていて、それはこれからもっと必要になっていきます。現在、2名の心理学者が専門家会議に参加しています。これは大変良い傾向だと思いますし、今後も別の分野の評価も高くなることを期待します。しかし、私の周りの学者からは、「論文を書いて、たまにツイートするだけでは何の意味もない」「そんなことをしただけでは声は届かない」という意見もあり、確かに、政治家のところには莫大な数のメールがいくでしょうから、メールを送ったところで埋もれてしまうでしょう。専門家会議のメンバーになってからは私のところにも沢山のメールがきます。頻繁にCCで来るので、どれだけのメールが政治家のところに届くか、ということが想像つくのですが、そのなかで、科学者が興味深い論文について政治家宛にメールを送ったとしてもその声が届くわけがないですし、ツイートも同様でしょう。自ら対話を探していくべきで、これは、同僚へのアドバイスともなるものだと思うのですが、もっと行動を起こすべきだとは思います。科学を真摯に受け止め、それをどのように役立てていけるか、というところを考えなければいけません。その一方で、ドイツはインプレメンテーションにおける問題を抱えています。ドイツには大変素晴らしい人材がいて、素晴らしい研究チームもありますし、WHOには、擬情報に対するガイドラインも存在しますが、そのようなことは実際に実践に移されなければ意味がありません。対話があり、意識を高め、順を追って理解される必要があります。毎日誰かが情報を発信したからそれで終わり、ということではないですし、一人一人の理性だけでは国民レベルでは足りないのです。どのようにすればうまくいくのか、何がうまくいかないのか、というデータはありますから、それを活かさない手はありません。私たち学者は、毎日税金を使わせてもらいながら研究をしているわけですから、それを利用しない、というのはもったいないことでしょう。

パンデミックにおけるコミュニケーションの分析と観察データも新しい知見に繋がりますよね。イェニー先生、環境問題では今、消費者の疲れ、という問題がありますが、どのような危機のシナリオがあるか、ということはもうすでにみんなわかっているわけです。ここでコロナ危機から学べることはあるのでしょうか?科学的にも今後参考にできるようなことはありますか?

ミリアム・イェニー 私は、先程ベッチュ先生がご指摘されていた、システムの問題とインプレメンテーション問題は確かにあると思います。パブリックヘルスの研究所をとっても、そのような機関がつくられ、コミュニケーションを中心に構成されるのであれば、最適な科学コミュニケーションが可能となり、環境問題に対しても良いコミュニケーションがとれるようになるでしょう。現時点でも、基金からなる機関はありますが、公的な面からも、環境面での意識と能力を高めることが必要です。大きな環境研究機関で、どの対策に効果があるかなどを研究するコミュニケーション課を持つ組織は多くはありませんので、ここに様々な分野での不足部分があると言えるでしょう。その辺りを埋めていかなければいけません。そのためにはコミュニケーションの人材を増やす必要があります。

人材の問題なのでしょうか? 先生はロベルト・コッホ研究所でも、パンデミックの危機コミュニケーションにおいて経験を積んでいらっしゃいます。

ミリアム・イェニー そうとも言えますし、そうではない、とも言えます。適した人材の確保、という面では、です。単純に、若い人材が育たないのです。複雑な技術的な分野とは反対に、コミュニケーションというものは高い広告の裏にあるものです。つまり、それにかかる費用も、例えば、パンデミック対策がもっと効果的であればすぐに元がとれます。これは、様々な研究所や政治がどのように実行していくか、という意志の問題であって、学者がどのように発信しコミュニケーションしていくか。それは環境問題でも同じです。コミュニケーション部門だけではなくて、大学や環境研究所から出てくる学者たちのサポートも重要です。学者全員が、生まれ持ったコミュニケーション能力を持っているわけではありません。そうである必要もありませんが、科学コミュニケーションにおいて特に気候研究の分野では難があります。攻撃されたり、テレビのトークショーなどで特定の方向に追いやられたり、、そのような時にプロフェッショナルに対応できるように、防御できるようなサポートが学者にも必要です。

最後に、パンデミックのシチュエーションについてもう一度戻りたく思うのですが、これからどうなるのか、ということについても、です。多くの人が、もう終わった、と感じているのだろうとは思いますし、現時点では状況は悪くないようにもみえます。しかし、秋にどうなるか、ということは誰にもわかりません。また、ワクチン接種率が病院の状況において重要になってくるかもしれませんし、最新の COSMOデータをみると、ワクチン接種に対するモチベーションはもうとっくに冷めているようです。モチベーションがないワクチン未接種者に対して、まだ何かすることはできるのでしょうか?

コルネリア・ベッチュ 現時点では、、難しいでしょうね。かなりもう長い間安定して低いですし、アンケートにおいてもずっと「絶対に打ちたくない」という率は6%をキープしています。ここでの変動はほぼありません。つまり、未接種者のなかの80%くらいは「接種していないし、これからも接種しない」というスタンスです。もし、また新しい変異株が出てきたならば、少し変化はするかもしれません。しかし、まずはここから変化がない、と思っていた方が良いと思います。これがどのような影響を与えるのか、というところを考えていく必要があります。高いワクチン接種が必要であれば、ワクチン義務というかたちになるかもしれませんが、とりあえず、それはいまのところ保留になりましたし、今後またそのような検討がされるのかどうか。そして、勿論、制約がされる可能性もあるでしょう。もしかしたら、自己責任による行動で十分かもしれません。そうなれば秋にこの辺りをもう一度しっかりと定義していくことになりますが、初めにも言ったように、いまのところ、何が「自己責任」であるか、というところが曖昧です。権利には義務がついてきます。つまり、したいことを誰もがして良い、ということではない、ということで、自分を守るのと同時に周りも守る必要があるのですが、これが実際に何を意味するのか。そのあたりの議論が必要です。わかりやすいルールがあって、きちんと説明されて、どこでも統一されているものができることが望ましいです。源ん時点でのホットスポット規約はあまりにもお粗末です。どこの州も満足はしていないでしょうし、政党によって意見も違います。私はこれはあまり良いことではない、と感じていますし、説得力もありません。発生指数も倍で、入院率も高い地域、、例を出せば、ハンブルグに対するチュービンゲンなどですが、、そこでの規制がずっと緩いものである。その理由が、そこの与党がホットスポット規約を却下したから、などというのはおかしいと思いますし、感染防止対策が二の次になってはいけません。そのようにお粗末な規約はどんな素晴らしいコミュニケーションを持ってしても正当化できるものではありません。秋に望むことは、もう一度ワクチンのインフラを整えることです。もう一度ワクチンが必要になる、適応したワクチンが必要になることも考えられますし、秋までにまたいくつか新しい知見がでてくるでしょう。これからまた広範囲で接種しなければいけないのかどうか。適応ワクチンはどうか。どのような変異株が出てくるのか。これから明らかになっていくことはいくつかあると思いますし、ワクチンはどちらにせよ必要なものです。行き渡るべく情報は確保しておかなければいけませんし、明確な規約、これが基本です。何を目標とするのか。そのためには何をすべきなのか。何をわかっていなければいけないのか。そして、それをどう説明するべきなのか。

秋には、危機感がまた上がるかもしれません。新しい変異株が出てきたり、、それが病毒性が上がったものであると、そこでのリスクベネフィットのバランスもまた変わってきます。そうなれば、また新たなコミュニケーションが飛鳥になってきますが、この間の連邦保健相の発言「キラー変異株が来るかもしれない」というようなスタイルはどうなのでしょうか?これは科学コミュニケーションとして適しているのでしょうか?それとも、逆効果である、と思われますか?

ミリアム・イェニー これは、先程も言ったように、恐怖コミュニケーションです。多くの人々が、このような恐怖を煽るようなニュースは聞きたくない、みたくない、と思っています。ばかにされているように感じる人もいるでしょう。私なら、こうはしない、と言っておきます。たとえ、キラー変異株出てこなくても、秋には現時点のワクチン接種率からみると、入院しなければならなくなる人は大勢でると思われます。60歳以上で接種していない人は多いですし、そのような人たちが入院する確率は若い人よりも高いわけで、ワクチンにおいても、このような「ネガティブ効果」には十分気をつける必要があります。知人友人でワクチン接種の後に何か大変なことが起こった人がいたり、そこまでいかなくてもひどい経験をしたり、、そのようなこととワクチンがリンクしてしまったりもしますから、、このテーマに関しては特に注意深くやっていく必要があるのです。そうしないと、いままでワクチンに好意的だった人たちも、不安になったりしてしまうかもしれません。とはいっても、今はもう恐怖で誘導することはできません。初めのころはそのような効果があったかもしれませんが、今はそのようなことは必要ないのです。

ドイツでうまく行っているコミュニケーションというものはありますか?

コルネリア・ベッチュ パンデミックにおけるヘルスコミュニケーションでは、科学ジャーナリスト、学者によるコミュニケーションがあげられると思います。その分野ではいくつも素晴らしいものがありました。勿論、一番良い例としては、ドロステン教授のポッドキャストをあげることができると思います。莫大な数のリスナーに愛されたポッドキャストでした。多くの学者がパンデミックにおいて危機を乗り越えるために時間を費やしてきましたが、それと同じように多くの科学ジャーナリストが良い仕事をされたと思います。ここであげておくべきなのは、Science Media Centerというものが、科学とメディアの橋渡しの役割をしている、ということで、自ら発信、そしてコミュニケーションをとっています。この分野では、多くの大変有益な情報がまとめられていて、パンデミックにおいて多くの人の支えとなったのです。

今日はお時間をいただきありがとうございました。


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