自分語り
はじめてましての方に
こんにちは。神崎と申します。
趣味で小説を書いていて、2025年5月11日の「文学フリマ東京40」に出店を考えています。
今日はどんな本作りをするつもりか書く予定でしたが、順を追って、自分のことから書くことにしました。
私の創作・執筆歴
お話を作る、ということは小さいころから大好きでした。
父が寝かしつけのお話をしてくれたのですが、私が「そのお話はもう知ってる」「いっつもおじいさんとおばあさんばっかり!」とか言ったような……。父はついに「昔むかしあるところに……誰がいたと思う?」だの「この後、君はどうなると思う?」だのと言い出し、私は自然と自分でお話を作るようになりました。
父に確認すると、恐らく小学校一年か二年のことだろうとのことでしたが、「エルマーのぼうけん」に自分だったらこうすると思ったのか、線で消して、横に拙い字でなんか書き込んでありました。
大人になってから、実家にあった「エルマーのぼうけん」を開いてびっくりしましたわ。
「この表現より自分だったらこっちのが好き」を感じた最初の経験だったと思います。
しかし失礼な話ですね。
実家には小さな書庫があって(両親とも本が好きで)、私はそこで日がな一日本を読んでいる子どもでした。
学校でも「休み時間が元気に外で遊びましょう!」の声をかいくぐって図書室に逃げ込み、奥の方の見つかりにくい棚の間でひたすら本を読んでいました。
明らかに活字中毒でしたね。
特に子どもや動物が冒険して活躍する話が好きでした。
自分でも書きたいと思って、チラシとかノートを切ってホチキスで止めてノートを作り、そこにお話を書いていたのを思い出します。小学校中学年とかかな?
友達は作らず(作れず)、ひたすら本の世界と自分の世界で遊んでいました。
中学では部活のない日は必ず図書館に行って閉館まで読みふけり、毎日許容量マックスの三冊を借りて帰って夜読んじゃう、という生活をしていました。一年目は確か「年間最多数借りたで賞」を取りました。二年目も取ったかなあ? 三年目で取らなかったのは、図書館にあった読みたい本は全部読んじゃったからです。
高校一年の秋か冬くらいに、唐突に文芸部に入りました。
そうだよなんで最初から入らなかったんだよとセルフ突っ込みをしつつ、現代ものとかたくさん書きました。
小学校高学年くらいからゲームもやり始めたし、高校からは映画も見始めたし、漫画もめちゃくちゃ好きだったので、この時代はインプットしまくりでしたね。多感な時代、このころの経験がその後の執筆を支えていると言っても過言ではないかもしれません。
大学に入ったころは生活の変化、恋愛、勉強、部活と忙しくて、執筆はほぼしていませんでした。大学の文芸部は悩んだ末に入りませんでした。
当時は大学で「個人ホームページを作ろう」という土壌があり、htmlのタグをメモ帳に手打ちして作ることに夢中になりました。
自己紹介のページを作ったくらいで周りは「載せたい中身がない」と言い出して飽きてしまいましたが、「そういや私には小説があったわい」と思い出し、それを掲載することに。
……足りない。見栄えがしない。もっと作品が必要!
で、高校のころ、「RPGツクール」というゲームをやろうとして、まずは脚本が必要だと思って、キャラを作り、物語を書いていたことを思い出し、その続きを書こうとしました。
うーん、長い小説って書いたことなかったし、どう風呂敷を広げてどうたためばいいのか分からん。
伏線の張り方と拾い方も分からん。そもそも面白い小説ってなんだ?!
この辺で私の創作は行き詰まり、いろんなサイトをめぐって交流する方にかまけて、すっかり頓挫しました。
なんだかんだあって大学五年の春。
え、皆さんご存じないんですか? 普通大学って五年あるんですよ(嘘です)。
学内でPCセンターのインストラクターバイトをしていた私は、新人さんに軽く研修をしていました。
「あの……神崎さんですか?」
が、学内で私をハンドルで呼ぶのはどなたですか?!
狼狽して振り返った先にいたのがtanuでした。ネットを介して話したことはあったけど、同じ学内でバイト仲間になるとは知らなかったのでびっくりぽん。
tanuが「この小説とっても面白い、続きが読みたい!」と言ってくれたおかげで、私は徹夜で小説の続きを書きました。
ありがとう、tanu。
tanuと大学で過ごしたのは一年くらいだったはずなのですが、めちゃくちゃ濃厚だった。卒業後はお互い忙しくなって、気づいたら創作できないまま数年とか当たり前になっちゃって……。
あれから20年以上が過ぎましたが、私はついにまた、創作、執筆が出来る環境を取り戻したのです。
今日のところはこれまで。
思い切り自分語りをしました。笑
次回は私が読んできた本の中でも創作に影響を与えた大好きな本たちを紹介したいと思います。