2024.4.6 埋もれる覚悟
みんなのスタート時間が遅い土曜の朝。慌ただしく仕事に出かけた旦那氏を布団の中から見送り、ゆっくりと伸びをする。カーテンの隙間から差し込む光が優しくて、肩まで布団を引っ張り上げると再びウトウトと目を閉じた。
あ、埋もれていいんだ。
沈みゆく身体と意識とはうらはらに浮かび上がった言葉の輪郭をなぞるように過去を振り返る。
いつも誰かになりたかった。自分じゃない何者かになりたくて、まわりと比べて、わたしはあなたたちとは違うのだ、自分は特別なのだと思いたかった。全力で「今」から逃げたくなったのはいつからだろうと思い返す。思い出すのは妹が生まれた2.3歳あたりだろうか。母に甘えることや包み込まれるような父の膝の上も、当たり前だと思っていたものを失ってはじめて特別な場所だったのだと気がついたように思う。そこは愛されたものだけが許される場所にみえた。それからのわたしは愛された実感が欲しくて、ありとあらゆる努力をしたような気がする。わがままを言い、悪戯をし、妹を虐め、勉強をがんばり、いい子になって、道化にもなり大人の機嫌を伺うようになった。反発し、家に帰らず、1人で生きていこうと思ったこともあった。結局1人では処理できない問題が起こり両親の世話になり、心配してくれた両親の姿にやっと少し安心したのかもしれない。ずっと付き纏っていたある種の不安が少し薄まった気がした。いつしか愛されたいは、認めて欲しいに変わっていった。「認めて欲しい」は他者の賞賛を欲した。ほぼワンオペで5人産み育てながらの仕事、技術を身につけてからのwebショップを開業、占いの勉強と鑑定。PTAやたくさん本を読むこともすごいと言われたかったのだろうか。
人生が後半戦に突入してやっとわかったことがある。肩書なんていらないし、誰かになろうとしなくてもいい。賞賛なんて要らない。手に職もいらないし、人から認められなくてもいい。拗ねてるわけでも小さくまとまりたいわけでもなく、ましてや謙遜でもない。朝起きて、布団でゴロゴロしていたら、なぜか市井に埋もれる覚悟ができた。それはとても9日の日食新月っぽいなと思って、慌てて文字にしている。