つぐない

 山田詠美さんの「つぐない」という小説を読んだ。小説は若い母親が幼い兄妹をマンションに置き去りにして餓死させた実際の事件を元に描かれていた。母の母(祖母)は祖父から家庭内暴力を受け、祖父の死後は家庭のある男性の内縁の妻になった。母は祖母の内縁の夫から性的虐待を受けて育ち、スポーツマンの夫と結婚したが、3人の子を出産後に失踪する。残された娘はヤングケアラーとなるが父親は娘の置かれた状況に気づかない。娘は居場所を求めてふらふらと男友達と身体を重ねながら、初恋を知りふたりの子どもを出産後に離婚、生活のために風俗店で働きはじめる。そして娘が産んだ息子は幼いのに聞き分けがよく、常に母や妹を気遣った。それぞれの立場から語られる世界は重なり合い、濃いグラデーションを帯びたまま、事件へ向かう。小説の中でふたりの子どもを餓死させた娘は世間から「鬼母」と呼ばれていた。

 幼少期、わたしは母から厳しい折檻を受けていた。母には見えないスイッチがあって、スイッチに触れると気が狂ったように髪を振り乱し、箒を片手に襲いかかってきた。わたしはいつも「ごめんなさい、ごめんなさい」と泣きながら母の足元にしがみついた。思春期になっても続いた折檻で、わたしの態度は「ごめんなさい」から母に対する軽蔑へと変わっていった。そして大人になり、虐待を受けた子どもは我が子に同じことを繰り返すことを知った。
 結婚して3年目、夫とすれ違いを感じはじめた頃に長女を授かり、妊娠を理由に仕事をクビになった。何もすることのない時間は底の無い沼のようで、ひとりでに大きくなるお腹に恐怖を覚えた。出産後は産後うつなのかメンタルのアップダウンが激しく、幸せそうな夫を憎らしく感じつつも、彼の前では涙が流れた。初孫の誕生を喜ぶ母のテンションは耳障りで不快だったが、友だちもおらず子どもが苦手なわたしが頼れるのは母だけで、そんな母の言いなりになる自分も大嫌いだった。わたしの中には奥歯を噛み締めながら唸る大きな獣が住んでいた。獣は常に世界を見張っていて、わたしはコイツが暴れなければ大丈夫だと、獣を宥めながらコントロールできているつもりでいた。
 長女を保育所に預けて働き出したころ、冷ややかだった夫との仲は話し合いの結果、やり直すことになった。夫は張り切ってますます仕事にのめり込んだ。自分のしんどさを伝えたつもりのわたしはなにも伝わっていないことにため息をついた。話し合いの後、すぐに長男を妊娠し出産ギリギリまで働き産休をもらった。産休中も自閉気味な長女に手を焼いていたが、暴れん坊で手がかかる長男を保育所に預けながらワンオペでの社会復帰は想像以上に大変だった。電車の時間に間に合わず3つ先の駅まで毎日自転車で通った。帰りにスーパーに寄り、朝の茶碗が散らかったままの家に帰った。夕飯時、ご飯を食べず、味噌汁の入ったお椀に手を入れて遊び、汚れた服も着替えないまま笑う長女に、わたしはいつしか我を忘れて罵声を浴びせるようになった。ワンオペの限界を感じていたものの、休みなく働き、子どもが寝てから帰宅し、朝起きてすぐに仕事に向かう夫には申し送りのような会話以外に話す言葉はなかった。
 ある日の夕方、罵声の末に振り上げたわたしの手は長女の頬に振り下ろされた。長女はリビングの壁まで吹っ飛び、ふぅふぅと
荒い息だけが耳の内側で聞こえた。目の前は真っ白で、長女を叩いた手はピリピリと痺れているようだった。長女がきゃーと大声で叫んだ。続いて長男が泣きはじめる。はっとして長女に近づくと、長女は一瞬泣き止んでびくっと体をこわばらせるといっそう大きな声で泣いた。その夜、寝静まった長女の頬に手を伸ばすと涙が止まらなくなった。「ごめんなさい、ごめんなさい」子どもたちを起こさないように声を殺して泣いた。
 あんなに母のようにはなりたくないと思っていたのに、一度手を上げてしまうと、簡単に手が出るようになった。長女だけではなく幼い長男も胸ぐらを掴んで平手で殴った。子どもを殴りながらわたしなんて死ねばいいのにと心の中で呟いた。そんなわたしの話に夫は「大丈夫、大丈夫。君はお義母さん(母)とは違うから」と言った。

 冒頭のネグレストから子どもを餓死させた事件はそんなときに起こった。本の感想を素直に書くと「この人(山田詠美さん)、子どもおらんやろな」と思った。餓死した子どもがあまりにも賢すぎた。ただ祖母、母、娘の間にある悲しい連鎖は妙なリアリティがあった。生きづらい現実から逃れるため、自分や子どもを犠牲にした母親は鬼母なのだろうか。あれからも公衆トイレや自宅で子どもを産み、遺棄した若い母親のニュースを見かける。彼女たちをそこまで追い込んだ世間や相手の男に罪はないのか。女というだけで背負わねばならないのか。鬼はどっちだ。


いいなと思ったら応援しよう!