首を斬られたドラゴンと月の裏側の話


自分を消したいという話を書いたら思いの外好評で、みんな同じようなことを考えてるんだと、改めて自分の凡庸さと人間の思考の単純さを感じた。
この共通の思考回路はユングの集合的無意識と繋がるのだろうか。

集合的無意識かどうかはわからないが、わたしの消えたい欲求はしっかりとホロスコープに現れている。月とドラゴンテイル(サウスノード)のコンジャンクションだ。

これはわたしのホロスコープだが、下の赤丸がドラゴンヘッド(ノースノード)、上の月と重なっている赤丸がドラゴンテイル(サウスノード)となる。太陽の通り道である黄道と月の通り道である白道の交わるところがドラゴンでありノードと呼ばれる。

はじめて占星術を教えていただいた先生にはドラゴンヘッドは今世の課題、ドラゴンテイルは過去世のクセと教わった。過去世なんて覚えてないし見えないので使いにくいと思っていたが、今生を太陽を生きるもの、月を過去の記憶とした場合、その結び目であるドラゴンやノードはとても重要なポイントに見えてくる。
インド占星術にもドラゴンは出てくる。ドラゴンヘッドをラーフ、ドラゴンテイルをケートゥという。インド神話ではドラゴンは首を斬られ頭だけ、尻尾だけの生き物になる。頭だけのラーフは思考と欲の塊でどんなに食べてもお腹がいっぱいにならない、満たされない欲求だ。一方、尻尾だけのケートゥはなにも食べることができないので欲がない。純粋性や精神主義、頭がない喪失感、目的意識の欠如を意味する。わたしにはこのインド占星術の解釈が馴染みやすかった。

わたしのホロスコープに戻るが、心である月はドラゴンテイル(ケートゥ)と重なる。平たく読むとわたしの心は精神性や哲学を好み喪失感を抱えている。日食で新月生まれのわたしのホロスコープには月の隣に自我である太陽が並ぶ。日食は月(心)が太陽(自我)を隠すため、わたしの自我は月とケートゥに隠されるか食べられているとも読める。
自分で書きながら「だからなんなのだ」と思わずにはいられないが、その人の人となりはホロスコープに表れているんだよと言いたいのだ。

そして今日は上野大照さんの心理学講座でペルソナシャドウの話を聞いてきた。太陽をペルソナ、シャドウを月として読むこともできるなと思いつつ、わたしの場合はどちらも牡羊座で度数も近いため、検証するにはあまりいい例ではないなと思った。どちらかというと、地球には同じ顔しか見せない月の裏側にシャドウはあるのかもしれない。月は居心地のいい場所から出ようとしない。だからこそ自分のテリトリーの外に出て、カッコ悪い自分を体験することで月の裏側にあるシャドウを少しずつ覗くのもいいかもしれない。

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