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2025.2.2 深淵
その日は日曜で、わたしは体調を崩して布団で丸まっていた。めまいと吐き気でどんな体制をとっても気持ちが悪く、前日に食べたフライドポテトが24時間経っても胃の中に留まり、体制に合わせて右に左に動くのがわかる気がした。冷えと空腹で食べたフライドポテト以外に不調の原因を思いつかないまま、朦朧とする意識の中で日が昇って沈み、日曜が終わろうとしていた。薄暗い寝室のベッドの上で両手でお腹を抱え込むように前かがみの姿勢で寝ていると、部屋のドアが静かに開いた気がして一瞬目が覚めた。じっとしたまま様子をうかがったが人の気配はなく、胃のあたりの不快感に意識を奪われ、皺をよせた眉間はより深い闇を目指して沈んでいった。ギシッ。ベッドの端に重みを感じて身体がびくっと反応する。なにかがゆっくりとこちらに向かってくる気配がした。「ごめんなさいごめんなさい」と反射的に言葉が出てくる。瞼が重くて目を開けることができず、よろけながら沈んだベッドのへりに背中を向けて横になると、身体は勝手に身構えたように固くなった。胃の内容物が移動する感覚に吐き気を覚えた。身構えたものの髪を引っ張られることも蹴られることもなく、温かい手が頭を撫ではじめた。わたしは大きく息を吐きながら浅い眠りに落ちた。黒い影は静かに立ち上がり、ゴソゴソと布団に入ってきて横になった。影がわたしの頭を抱えようとしたとき、またびくっと身体が反応した。「いやだ、やめて、嫌だ」と幼いわたしが泣きそうになる。温かな手はそっと背中を撫でている。ああ、大丈夫だ、この手は旦那氏の手だと思ったところで意識が途切れた。
過去を手放せないでいる、と思う。過去の経験を、そこにあったはずの感情や揺らぎを、人と比べることなどできる訳もないのに、より大変なことを乗り越えた人を見ると、自分にあったことなど大したことはないと感じる。だからといって、よくあることだから、当時はみんなこんな感じだったからと、人には話してみるものの、他者から同じような扱いを受けると大きな拒絶反応を示す。取り扱いの難しい記憶が今も胸の奥で息を潜めている。時間が解決してくれるのなら、すでに風化していてもおかしくないその記憶は、40年近く経ったはずの今も深淵となってこちらの様子を窺っている、そんな気がした。