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2024.10.10 1年で一番晴れる日

10月10日は1年で一番晴れる確率の高い日なのだと、Oさんは言った。

高校生のわたしは幼馴染の親戚が経営する居酒屋兼食堂のような店でアルバイトをしていた。カウンターが7席と小さな4人掛けのテーブルが2つしかない狭い店だった。料理はオーナーであるママが作り、わたしはカウンターの奥で洗い物をしたり、常連さんの芋焼酎のお湯割りにキュウリを入れたりしていた。コップに注いだ芋焼酎にポットのお湯をいれると独特の香りが立ち上がる。そこへ斜めに切ったキュウリを入れると香りが変わるのが不思議だった。お店のお客さんはみんな父親くらいの歳の現場の人で、バイトのわたしたちを娘のように可愛がってくれた。帰り際には持ち帰り用の唐揚げを注文し終わってから食べろと持たせてくれた。出張に行けばみんなで分けろと温泉饅頭を買ってくれた。

そんな作業着のお客さんの中でひとり、ポロシャツの襟を立てジーンズにスニーカーを履いていたのがOさんだった。
「10月10日がなんで体育の日か知ってるか?1年で一番晴れの多い日やからや。俺の誕生日やねん。せやから俺は晴れ男や」
Oさんはカウンターのいつもの席でいつもの話をしていた。雨予報の日にゴルフに行ってもプレー中には降らないらしい。Oさんとゴルフに行った人は口を揃えて「ほんまに晴れ男やった」と言い、Oさんは満足そうにうなづいた。
お店近くに住む主婦がOさんに食べさせようと洋風料理を持ってくることがあった。居酒屋に料理を持ち込む違和感があったが、ママは笑顔で受け入れていた。噂では酔ったOさんがブチューっと濃いのをやってしまい、そこから主婦の目はハートになったらしい。みんながそれを知っていて、主婦を邪険に扱えないOさんを常連さんたちはお酒を片手にニコニコしながら眺めていた。
Oさんはたまに彼女を連れてきた。まつげが長くすれ違うとふわっと香水の匂いがする彼女に下町のおじさんが集まる居酒屋は似合わなかった。でも彼女を連れてきた日のOさんはご機嫌だった。
彼女が来た日に主婦が料理を持ってきたことがあった。彼女を睨みつける主婦の激しいまなざしにわたしは思わず目を逸らした。その日は洗い物をしていても主婦が彼女を睨んでいるを感じで肝が冷えた。

わたしが居酒屋をやめてしばらくすると主婦が病気で亡くなったと聞いた。Oさんが手を合わせてあげれば主婦の魂が浮かばれるような気がした。
子どもが生まれ居酒屋での日々が遠くなったころ、幼馴染から主婦が亡くなって6年後の命日にOさんが自動車事故で亡くなったと聞いた。Oさんより先に主婦の顔が脳裏に浮かんだ。

体育の日ではなくなったが、10月10日が晴れるとキュウリの入った芋焼酎のお湯割りの匂いと共にOさんのことを思い出す。10月10日は本当に雨が少ない。

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