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#1630 世界からの押し返し

近年、子どもを「叱らない」「褒めて伸ばす」教育が主流になりつつある。

教育書でも、「子どもを叱らない」関連の本が多数出版されるようになっている。

社会の風潮として、子どもの人権を尊重し、叱らずに個性を伸ばすことが強調されているからであろう。

しかし、子どもの「ネガティブな面」を受け入れず、叱らずに、なんでもかんでも受容する風潮はいかがなものだろうか?

そんな思いを抱いていると、以下の書籍に出会った。

藪下遊氏の著書『「叱らない」が子どもを苦しめる』である。

そこで、今回はこの書籍から学んだことを整理していきたい。


・「登校刺激を与えず、ゆっくり休ませる」という方針は、子どもの内面に「学校に行くべき」という価値観が存在するときに有効である。
なぜなら、「学校に行くべき」という価値観と、湧き出る「登校と反する気持ち」の間で葛藤が生じ、それが子どもの「心理的成長」を促すことで、再登校につながるからだ。
また、子どもの中に「改善を志向する力」があるからこそ、それを信じ、登校への刺激を「小さく・浅く・控えめに」することができる。

・子どもに必要なことは、外の世界に対する「思い通りにならない」という経験である。
大人は子どもに対して、「ダメなものはダメ」と「世界からの押し返し」をする必要がある。
そのような経験をすると、子どもは不快感を示す。
その不快感を「環境を変えて排除する」のではなく、「大人との関係性の中で納める」ことが重要となる。
つまり大人が、子どもの不快感を受け止めてあげる必要がある。
「そんなあなたも受け入れますよ」というメッセージを送る。
しかし、大人との関係性の中で不快感を納めることができない場合、子どもは大人から離れてしまう。
以上のような「世界からの押し返し」が不足した子どもは、不適応になりやすい。

・「世界からの押し返し」になっていないパターン
➀「世界からの押し返し」を外注する
②子どもの現実を加工する
③子どもの環境を操作する
④「仲良し」状態を振る舞う
※②~④はいずれも、子どもの「不快感」を排除するために、わざと回避しているパターンである。

・「学び」の前提は「未熟であることへの不全感」である。
「自分は未熟だ」と認識しているからこそ、人は学びを必要とする。
しかし、「世界からの押し返し」の経験がなく、「ネガティブな自分を認められない」状態だと、「自身の未熟性」から目を逸らすようになり、不登校につながってしまう。
また、このような子どもは「万能的な自己イメージ」をもつようになる。
そして、「万能的な自己イメージ」に見合わない「現実の自分」に出会うことで、「心の奥底に自信の無さ」を有するようになる。

・子ども自身が苦しい状況を「回避」するために、目の前の状況を「操作」するようになるパターン
➀身体症状とそれに伴うわざとらしさを示す
②弱々しい姿を見せる
③不機嫌・怒り・脅し・暴力を用いる
④偏食する

・子どもの問題を抱えられない親の反応パターン
➀子どもの不穏感情と向き合うのが苦手
 ※優しすぎるor高圧的すぎる
②人のせいにする、問題から目を逸らす
③相手に罪悪感や無力感を与える
④罪悪感を帳消しにする

・子どもを「不快」にできない社会構造の原因
➀子どもにとって「要らない不快」と「成長のための不快」を見極めることができていない。
「成長のための不快」を受け止め、自分の中で消化していく必要がある。
②「褒めて伸ばす」ことが「ネガティブな面を隠す」ことになっている。
「ネガティブな面」でさえも肯定できる「自己肯定感」が必要である。
③子どもの「やりたいこと」だけを尊重し、「できること」を増やそうとしていない。
「やりたいこと:願望」には他者が不要で、「できること:可能」には他者が必要である。
「できないこと」でも頑張ってやることが必要である。
→つまり、「不快に耐える力」を身に付けさせ、「できない自分」も肯定できるようにし、「可能の範囲」を増やしていくことが重要となる。

・「個性」とは「他者との関係の中」「他者と共に同じことをしている中」でも、滲み出てしまうものである。
他者との関係性を前提としない「個性」は「孤立」になってしまう。
よって、「外界と調和するつもりがない個性」は「個性」とは言えない。

・「社会的成熟」の要件は、「自分の責任の範囲を自覚し、その範囲の中で動き、そこで生じた責任を取る」ことである。
よって、大人が「自分の責任の範囲を理解し、それを守っている姿」を見せること、子どもが自分の責任の範囲を踏み越えたときに注意すること、そこで出てくる子どもの不快な感情を受け止めることが重要となる。
「子どもにも責任の範囲を自覚させる」という、大人側の意識改革が必要である。

・必要なことは「ネガティブな自分」に向き合わせることである。
➀外界との関わりを通して成長していく
 ※「外界での傷つき+支えられる」がワンセット
②子どもの不穏感情と「ごちゃごちゃする」
 ※関係性の中で、根気強く納めていく
③「思い通りにならないこともある」というメッセージを送り続ける
 ※「外の世界に合わせていく」ことが重要である
④急に対応を変えず、少しずつ試していく
 ※「落差」を感じさせないようにする

・子どもの「甘え」を受け入れることが、心理的な支えになる。
しかし、「甘え」と「甘えでないもの」の弁別が必要となる。
「自分と大人との境界線がなく、自分の一部として使ってくる」状態は「甘え」ではない。

・学校としての対応パターン
➀社会的に適切な対応を堅持する
 ※「親や子どもが望む対応」ではない
②学校の枠組みを明確に示す
 ※「できる範囲」のことを行い、それ以外は「警察」などと連携する
③周囲の子どもへのアプローチをする
 ※「問題行動をしている」のは、その子ども本人だけにする
④報連相を徹底し、情報を共有する
 ※「金太郎飴」のように同じ内容を話せるようにする

・家庭でできる予防の例
➀宿題の習慣をつけさせる
②テスト結果を持って来させ、「できないところ」も共に確認する
③「価値観を押し付ける」ことを恐れない
 ※生活しているだけでも「大人の価値観」を押し付けている

・学校でできる予防の例
➀間違った答えを消さず、正しい答えを横に書くようにさせる
②辞書を引かせ、「わからないことがある自分」に向き合わせる
③「役割にそぐわない状態」のときは、適宜話し合う

・「私はこの事例、この状況にコミットしていきます」という決意・覚悟・表明が何よりも重要である。


以上が、書籍から学んだ内容である。

近年は、「褒めて伸ばす」教育が流行しているが、「叱る」ことも時には必要であることを再確認できた。

「褒めて伸ばす」ことは、子どもの「ポジティブな面」を本人に伝えることである。

しかし、どんな子どもにも「ネガティブな面」は存在する。

それを無視し、覆い隠す教育は、子どもを「弱い存在」と見なすことになる。

そうではなく、子どもがもつ「ネガティブな面」も受け入れ、それを適切に伝えることが重要となる。

その手段が、「叱る」ということにほかならない。

または、「諭す」という言い方もできよう。

子どもが問題を起こした時、「ネガティブな面」をあらわにした時に、それを指摘し、理由と共に「ダメなものはダメ」と伝える。

そのような「世界からの押し返し」をする。

そして、そんな「ネガティブな面」をもつ「あなた」でも受け入れるという姿勢を示す。

このような大人側の意識が重要なのである。

「子どもの個性を全て受け入れる」
「子どもだから仕方ない」
「なんでもあり」
ではダメなのだ。

社会的に主流になりつつある「叱らない教育」を鵜呑みにしないようにしたい。

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