#1484 自己の指導の発信源を探る
教師は自分のエゴにより、子どもへの指導をする。
教室移動の際は、子どもにしっかりと並ぶように指導する。
その指導の発信源は、
「並んでいた方が見栄えがいい」
「統率されたクラスだと周りから思われたい」
かもしれない。
教師があいさつをしたら、あいさつを返すように指導する。
その指導の発信源は、
「無視されたくない」
「あいさつを返してほしい」
かもしれない。
授業中は、集中すべきときに声を出さないように指導する。
その指導の発信源は、
「過去のように学級崩壊をしたくない」
「静かなクラスが良い学級だと思う」
かもしれない。
教師の指導したことは例外を認めない。
その指導の発信源は、
「例外があると自分の気持ちが悪い」
「全員が自分に従っていてほしい」
かもしれない。
これらの指導の発信源は、全て教師側のエゴである。
全て教師本位であり、矢印が教師自身を向いているのである。
これでは、子どもたちを幸せにする指導ではなく、教師自身が幸せになるための指導になってしまう。
しかし教師というものは、自分の欲求を満たしたり、エゴを貫いたりする職業ではない。
未来社会の形成者となる子どもたちの資質・能力を育成する職業である。
そうであるならば、上記のように教師本位のエゴに満ちた指導をしてはいけない。
「この指導は子どもたちの未来のためになるか?」
「この指導について、矢印は子どもたちを向いているか?」
「将来の子どもたちのためになる本当の指導とは何か?」
このように、自己の指導の発信源を振り返る必要がある。
そして、「子どもたち本位」「矢印が子どもたちを向いた」指導を心がける必要がある。
そのような本質的な指導こそが重要となるのである。
常に自己の指導の発信源を探り、矢印を子どもたちに向けた指導をしていきたい。
では。