#70 閉鎖性がもらたす問題
過疎化が進む学校では、当然子どもの数が減ってきている。
どの学年も1クラスしかなく、幼少期からずっと同じ人間関係の中で過ごすことになる。
もちろんこのような地域の学校では、クラス替えはないので、人間関係が固定していく。
「合う」「合わない」という視点でしか相手を見ることができず、いわゆる「仲良しグループ」ができあがる。
当然その固定されたグループを解体させることは難しく、新しい人間関係の構築は困難となる。
多様性がなく、決まりきった人間関係の中で、レッテルが貼られていく。
「あの子はおとなしい」
「あの子は頭がいい」
「あの子はリーダーだから言うことを聞こう」
「あの子って、なんか変」
など、本人の意思に関係なく、レッテルが貼られてしまう。
そのレッテルはなかなか剥がすことが難しい。
幼少期からずっと同じ環境で育ってきており、人間性が熟知されているからだ。
その中で「新しい自分」「意外な一面」を出すことは、かなり難しいと言える。
そんな固定された環境の中でも、「幸せ」にくらすことができる子どもがいる一方、「苦悩」の日々を過ごす子どもも少なからず存在する。
周りから「負のレッテル」を貼られ、グループに入ることのできない孤立する子どもである。
クラス替えがあれば、そのような子を受け入れてくれる周りの子が、少しでも増える可能性はある。
しかしクラス替えがない学校では、その機会が失われ、人間関係に変化をもたらすことはできない。
負のレッテルを貼られた子どもは、その学校でずっと苦悩の日々を過ごすことになるのである。
これは極めて深刻な問題であると私は考える。
多様性が尊重される現代において、子どもをこんな惨めなものにしてはいけない。
やはり教師が彼ら、彼女らを救わなければならない。
ではどうすればいいのだろうか?
子どもがたくさんいる学校に転校させればいいのだろうか?
実は、この答えをまだ私はもち合わせていない。
考えが整理できたら、書いていきたいと思う。
しかし解決の糸口は「アクティブラーニング」にあると考える。
やはりここに行き着く。
このへんは、深く考えていきたい。では。