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#1908 大学方式の学級経営

小学校現場では、まるで「軍隊」のような光景を見る。

教室を移動する際に、2列にしっかり並んで無言で歩かなければならない。

授業開始と終了に号令をしなければならない。

体育では、全員で一斉に準備体操をしなければならない。

このような「軍隊方式」からはすぐに脱却する必要がある。

なぜなら、学校教育を受けて育った後は、軍隊に入隊するわけではないからだ。

大学などの高等教育機関に進んだり、社会に出たりする。

そのような場では、上記のような「軍隊方式」は皆無なのである。

だとすれば、一体何のために子どもたちに「軍隊方式」を身体化させているのか?

それは完全に「教師たち」のためである。

教師たちが、子どもたちをコントロールしやすくするためである。

自分たちの管理下に置くためである。

そのためだけに「軍隊方式」を採用しているのである。

しかし、そんな古い時代はもう終焉を迎える。

VUCAの時代は、多様性の時代である。

学校教育はいつまで「軍隊方式」を貫いているのだろうか?

そろそろ立ち止まって冷静に考え直すべきである。


そこで導入したいのが「大学方式」である。

大学では、教室間を移動する際は、2列で並んだりはしない。

間の時間を使って、自分たちで移動するはずである。

このように、休憩時間や休み時間のうちに、自分たちで教室移動を済ませるべきである。

並ぶ必要はない。

無言で移動する必要もない。

だって、休み時間なのだから、どの学年・学級にも迷惑をかけていないはずである。

なので、おしゃべりしながら、準備物をもって、自分たちで次の教室に移動すればよいのだ。

また、授業開始と終了の号令をなくす。

そんなもので気持ちを切り替える必要はない。

「授業の開始時刻になったら切り替える」ことが肝要である。

そもそも、「授業が始まる」という発想が間違っている。

これは完全に受け身の姿勢である。

教師が前に立って、「授業を始めてくれる」と思い込んでいるのだ。

しかし、この受け身の構図から脱却する必要がある。

「授業を始める」という発想にならなければいけない。

自分たちで主体的に「授業を始めていく」のである。

そのためには、単元の進度表をもとに、「今日は何を学習すべきか」を子どもたちが個々に把握していなければならない。

また、教科別の「学習ルーティーン」を確立しておき、教師がいなくても、当該教科の帯活動を始められるシステムを構築していなければならない。

このような授業スタイルにしておくことで、「号令」は自然となくなっていく。

授業の中身自体も、子どもが主体的に学びをコントロールするものとなる。

さらに、体育の授業では、準備体操をグループごとに行ってもらう。

「全員で」「一斉に」「軍隊のように」準備体操をする必然性はどこにもない。

ケガをしないためにするのであれば、グループごとにしたって構わないはずである。

準備体操のメニューを可視化しておけば、グループごとでも可能なのだ。

そして、一番改革したいのは、「朝の会」「帰りの会」である。

メニューが決まっていて、日直が前に立って行う毎日のルーティーンである。

正直言って、この「朝の会」「帰りの会」は意味がない。

「先生の話」で先生が気持ちよく話すための「場づくり」でしかない。

この活動に、子どもたちの主体性が発揮される余地は皆無である。

そこで、「日直」ではなく「ファシリテーター」という呼び方に変えてみる。

さらに、ファシリテーターをグループ制にして、1週間単位の輪番で回すようにする。

担当する週のファシリテーターたちが、朝の会と帰りの会のプログラムを、自分たちで話し合って決めるのである。

そのプログラムは、プレゼンテーションソフトを使って、子どもたちに作成させ、電子黒板に表示する。

「朝の会」「帰りの会」はダサいので、「朝会」「終会」という呼び名に変えよう。

歌を歌ってもいい。

「今日は何の日」を伝えてもいい。

簡単なアイスブレイクゲームをしてもいい。

クイズやなぞなぞを出してもいい。

月曜日の朝会では、「オープンクエスチョン」を使ったペアコミュニケーションをしてもいい。

何か行事やイベントがあった際の終会では、「ホワイトボードミーティング®」をしてもいいだろう。

極め付きは、週のはじめに行う「くじ引きによる席替え」である。

これをファシリテーターが主催し、自分たちで行う。

子どもたちは毎週席替えがあるので、学校が楽しみになるだろう。

そして、プログラムの最後には「先生の話」も入れてもらう。

ここが特に重要だ。

自分たちでプログラムを考えたとしても、最後にはやはり「先生の話」が必要だ。

ここで「語り」をしたり、子どもたちに「フィードバック」をしたりする。

最後はやはり「おち」「しめ」が必要なのである。

次の週を担当するファシリテーターたちは、金曜日の下校までに自分たちで話し合って、翌週のプログラムを準備しておく。

まさに「大学のゼミ」のようなスタイルだ。

このような形で、従来の「朝の会」「帰りの会」を改革していく。


ここまで「大学方式」の学級経営を妄想してみた。

このスタイルを確立させるためには、子どもたちに以下のような約束を守ってもらう必要がある。

・前に立った人の話は、真剣に最後まで聞くこと。
・やるべきときと遊ぶときの切り替えをすること。
・他人の嫌がる言動、迷惑になる言動をしないこと。

このような土台があるからこそ、上記のような「大学方式」が可能になる。

裏を返せば、このような土台が確立されていない「低学年・中学年」では実践が難しいだろう。

高学年で、かつ秩序が保たれていれば、実践できる可能性がある。

ぜひ、いつか「大学方式」の学級経営に挑戦してみたい。

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