#655 教科内容×見方・考え方=コンピテンシーの育成
日本には「学習指導要領」が存在する。
そうである限り、授業で教科学習を行うのはマストである。
しかし、教科学習の内容をただ暗記させたり、テストで答えさせたりしても、何の意味もない。
受験には役に立つが、その後の人生にとっては無意味である。
そして何より「暗記中心」「定着中心」の教科学習は、子どもの学習意欲を低下させる。
それが一番ではないだろうか。
このような教科学習は、「コンテンツベース」の教育と言うことができよう。
これからの教育において、教科学習は「コンテンツベース」であってはならない。
暗記中心では、何の学びもない。
そもそも、暗記しなくたって、今ならICTを使えばいい。
検索すれば、どんな情報だって、手に入れられるのである。
そんな世の中で、「コンテンツベース」の教育を進めるのは、ナンセンスである。
そこで、教科学習を「コンテンツベース」から脱却させる必要がある。
そのキーとなるのが、「教科特有の見方・考え方」である。
※上の2つの記事でも、「見方・考え方」の重要性を述べている。
「見方・考え方」とは、「物事を捉える視点」「思考の仕方」のことである。
そして、各教科・領域ごとに明確に分けられている。
「見方・考え方」とは、いわば、その分野・領域の専門家と同じように物事を捉え、思考するということである。
国語科なら、文学者。
算数科なら、数学者。
理科なら、科学者。
外国語なら、ネイティブスピーカー。
など、その分野・領域の専門家がもつ「見方・考え方」は反映されている。
そのような「見方・考え方」を働かせることで、教科学習が「コンテンツベース」ではなく、「コンピテンシーベース」となるのだ。
「何を知っているか」ではない。
「何ができるようになるか」である。
「コンテンツ」ではない。
「コンピテンシー」なのである。
その分野・領域の専門家と同じように物事を捉え、思考することができれば、「概念的理解」を深めることができる。
「知識の構造」「基本的概念」を理解することができる、とも言える。
「発見学習」を提唱したブルーナーは、「知識の構造」「基本的概念」の重要性を以下のように述べている。
つまり、専門家と同様に、その教科・領域の「知識の構造」を理解することで、別の場面や文脈でも問題解決ができるようになる。
これを「学習の転移」と言う。
だから「何ができるようになるか」なのである。
「何を知っているか」だけだと、特定の場面・文脈でしか使えない。
応用・活用・転移ができないのである。
しかし、専門家と同じような「見方・考え方」で学び、「概念的理解」を深め、「知識の構造」を理解できれば、応用・活用・転移ができるようになる。
問題解決の範囲が、大幅に広がるのである。
だから「何ができるようになるか」なのである。
やはり、教科・領域の「深い学び」のためには、その教科・領域特有の「見方・考え方」が欠かせない。
そして「見方・考え方」は、その教科・領域を「学ぶ意味」であり、「教える意味」でもある。
本質なのである。
そのような教科・領域の本質、つまり「学ぶ意味」を大切にしなければならない。
それを伝えられるのは、「見方・考え方」を知り、本質・意味を知っている教師だけなのである。
なので、教師がその教科・領域の「見方・考え方」を自覚していなければならない。
教師が自覚できていれば、その本質・意味を子どもに伝えることができる。
子どもはそれを働かせることができる。
そして、深い学びが実現し、コンピテンシーを獲得できる。
汎用的能力を獲得できる。
別の場面・文脈に転移させることができる。
教師の仕事は、このような意味で本質的なのである。
ぜひ、本質的な授業を構想し、実践していきたい。
では。