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#1917 子どもを無理矢理、動かさない

教師には権力がある。

このことを自覚しなければならない。

そして、その権力を誤った方向性で使うこともある。

学級には、やんちゃな子どもがいる。

教師は、そんなやんちゃくんの不適切行動を見ると、「正したい」という衝動に駆られる。

やんちゃくんには、やんちゃくんなりの背景・論理・理由・思いがある。

そのような背景・論理・理由・思いにより、目の前の不適切行動を起こしている。

そこに思いを馳せず、共感をすることもなく、教師はただ「行動を直したい」とだけ思ってしまう。

「自分は学級のリーダーである」
「言うことを聞かせなければいけない」
「指示に従わせることが自分の役目である」
と勘違いする。

そして、叱りの感情を纏い、一方的に叱りつける。

叱られた子どもは、「闘争or逃走反応」を示す。

だから、教師の話を理解しようとはせず、学習効果が発生しない。

ここで、指示・命令に潔く従ってくれる子どもはマシである。

しかし、学級の中には、不貞腐れたり、話を無視したりする子どももいる。

それを見ると、教師の怒りにさらに火がつく。

「言うことを聞かせなければいけない」
「指示に従わせることが自分の役目である」
「ここでナメられてはいけない」と感じる。

そして、口調を荒げ、一層強い指示・命令をすることになる。

そうやって、子どもを無理矢理、動かすのである。

これで教師の心は一旦落ち着く。

しかし、時間が経てば、不適切行動が繰り返される。

教師とやんちゃくんの関係性が悪化する。

やんちゃくんに教師の話が通らず、不適切行動が減っていかない。

無限ループに陥るのである。

そして、学級の雰囲気が悪くなり、教師と他の子どもの距離も開いてしまう。

なぜこうなってしまうのか?

それは「子どもを意のままにコントロールしよう」としているからだ。

人間誰だって、他人に動かされたくはないはずだ。

人間は、自分で決めたことで動きたい生き物である。

いくら権力のある教師だからといって、自分のエゴをむき出しにして、子どもを無理に動かすことはよくないのだ。

では、どうするか?

それは「無理矢理、動かすことを諦める」ということだ。

「スルーする」「放置する」「黙認する」
ということではない。

子どもの行動を無理にコントロールすることを諦めるのである。

教師はただ
「その行動は違うよ」
「その行動は間違っているよ」
「こうするといいんだよ」
「代わりにこの行動ができるといいよ」
と伝えるだけでいいのだ。

そして、最終的な行動の判断・決定は子どもに委ねるのである。

「深追いしない」ということだ。

ただ、
「それは不適切行動だよ」
「これが適切な行動なんだよ」
ということは指導するのである。

そうすれば、その教師の話をやんちゃくんだけではなく、他の子どもたちにも聞かせることができる。

これにより、「やんちゃくんは許されるんだ」という誤解を防ぐことができる。

そのやんちゃくんは教師の話を無視するかもしれない。

そのやんちゃくんは不適切行動を続けるかもしれない。

しかし、そこを無理に行動変容させて、関係性を悪くしたり、学級の雰囲気を悪くしたりする方がよくない。

教師の話を他の子どもたちにも聞かせることで、
「あれは不適切行動なんだ」
「適切な行動は〇〇ということなんだ」
と他の子どもに学習させることができる。

これでよいのだ。

その他大勢の子どもたちがいる中では、やんちゃくんを「深追い」せず、大切なことを淡々と伝えればよいのである。

では、やんちゃくんの行動変容はずっと諦めてよいのか?

そんなことはない。

やんちゃくんだって、教師の教え子の一人である。

その子の成長を諦めてはいけない。

その子の「真の行動変容」については、一対一の面談の時間を活用するのである。

「一対一」という他の子どもがいない環境をつくる。

そして、その子の心が落ち着いている時間を狙う。

この面談の時間に、子どもの思いを聞きながら、教師の思いも伝えていくのである。

この繰り返しである。

全体の場では深追いせず、コントロールしない。

個別の場ではとことん話を聞き、こちらの思いも伝えていく。

こんな戦略で、やんちゃくんに向き合っていきたいものである。

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