#1965 水平的多様化を目指す
国際学力調査の結果を見ても、日本人の若者の学力は国際的に高い傾向にある。
しかし、日本財団による「18歳意識調査」のうち、「社会や国に対する意識調査」という調査結果のデータによると、「自分は責任がある社会の一員だと思う」「自分で国や社会を変えられると思う」などの項目で、高い結果を残している他国と比べ、日本は過半数にも届いていないことが示唆された。
つまり日本の学校教育を受けた若者は、極端に受け身の思考回路ができやすく、当事者意識をもてなくなり、自己否定に陥りやすいと言うことができる。
これらの原因は一体何なのだろうか?
社会教育学者の本田由紀氏は、日本に見られる極端な「能力主義」をそれらの原因の1つに挙げている。(※参考文献『教育は何を評価してきたのか』)
日本の教育界では、これまで「垂直的序列化」と「水平的画一化」が押し進められている。
そのうち、「垂直的序列化」は2つの方向性が存在する。
一つは、ペーパーテストで測れるような「学力」をもとに、子供たちを序列化するもので「日本型メリトクラシー」と呼ばれる
もう一つは、より広範で評価が難しい「生きる力」や「人間力」のような「非認知能力」をもとに、子供たちを序列化するもので「ハイパーメリトクラシー」と呼ばれる。
このような「垂直的序列化」は「能力主義」そのものであり、子供たちを個人の能力によってレベル・ランク付けして序列化する。
「水平的画一化」においては、道徳心の強要、望ましい資質・態度の形成の義務化などを押し進められ、「ハイパー教化」とも呼ばれる。
ブラック校則などによる「厳格化」や、道徳の教科化をはじめ、清掃・行事を通した心の教育などによる「感情化」がその典型である。
このような「水平的画一化」も「能力主義」の一部であり、「望ましい振る舞いができるかできないか」という「0か1か」の思想となる。
「垂直的序列化」では「下位者」が、「水平的画一化」では「望ましい態度を見せない者」がそれぞれ排除されるのだ。
このような「垂直的序列化」と「水平的画一化」による「能力主義」によって、日本の教育を受けた若者は、冒頭で述べたような「自己否定をする大人」と化してしまうのだ。
このような大人が集まる社会に、明るい未来が来ることはないだろう。
では、何が必要なのだろうか?
必要なのは、「ルールの順守」「上位者への服従」ではない。
「垂直的序列化」や「水平的画一化」によって「いい子」になったとしても、閉塞感・絶望感・無力感に包まれるだけである。
重要なことは、異質な他者や発想を受け入れ、それを尊重する「柔軟性」なのである。
それがあれば、自己否定などせず、創造的な態度で新しい挑戦を続けていけるようになるはずだ。
それを生み出すカギは、日本の学校教育には見られない「水平的多様化」であると、本田由紀氏は主張する。
子供たちの個性を、「能力」「態度」「資質」という言葉で規定してはいけない。
子供たち個々がもつ「個性的な機能」を伸ばしていくことが重要なのである。
それを進めていくのが「水平的多様化」なのだ。
そのためには、「望ましい態度の強制」を緩めたり、「同学年による固定的集団」を「異学年による流動的集団」に変えたり、学校のルールや活動を決めるために「子供主体の議論・合意」を尊重したり、学習内容を子供個々によって分けたりする取組が必要となる。
理想は「イエナプラン教育」である。
現状の学校のシステムでは、上記のような取組は難しいかもしれない。
しかし、学級経営において、教師による子供たちのコントロールを緩めたり、自治的な話し合い活動を尊重したり、授業において、学習内容や学習方法を個別に分けたりする工夫はできるはずだ。
そのような地に足のついた取組を地道に続けていくことが肝要なのである。