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#1695 何事もはじめが肝心
「はじめが肝心」と「終わり良ければ全て良し」,どちらが大切だろうか?
私は前者を強く推したい。
「終わり良ければ全て良し」という言葉には,途中のプロセスはいい加減でもよく,最後に帳尻を合わせればよいというニュアンスが感じられる。
しかし,最後の「結果」だけを取り繕っても,最初のスタートや途中のプロセスがいい加減だったら,中身の薄いものとなってしまう。
それでは,本当に「良い結果」は生まれないだろう。
そんなわけで私は,「はじめが肝心」だと思っている。
学級開きの計画において,念には念を入れている。
授業開きの語りを万全に準備している。
この春休みでは,算数(上)の教材研究を一通り終えた。
このように,「はじめが肝心」を意識し,幸先のいいスタートが切れるようにするのである。
これにより,順調に学級経営や授業実践を進めていくことができる。
これが「プロセスの充実」につながり,自然と「良い結果」も生んでくれるはずだ。
現に私はこの春休みで,算数(上)の教材研究をすることで,子どもに働かせたり,自覚させたりすべき数学的な「見方・考え方」をある程度理解することができた。
これは大変意義深いことである。
このような「見方・考え方」のつながりを意識せず,行き当たりばったりの授業をしていると,教師も子どもたちも「学びのつながり」を意識しないまま,ぶつ切りの授業を進めることになってしまう。
「その日暮らし」の授業となり,既習や見方・考え方を生かすことができなくなる。
これでは,子どもたちの学力は向上していかないだろう。
そうではなく,はじめのうちに,単元間の学びのつながりを理解しておくことが必要なのだ。
教師がこれをしておくことで,子どもが無自覚に働かせた「見方・考え方」を明示的におさえることができ,それを活用させることができるのである。
そうでないと,子どもから大切な「見方・考え方」が出ても,教師がスルーしてしまうことになる。
これを防ぎ,学びのつながりを生起させるためにも,教科書を一通り確認し,教材研究をすることが必要なのである。
上記の例のように,やはり何事も「はじめが肝心」なのである。
学級経営においては,「目指す学級像・子ども像」を明確にする。
そのための「作戦」を洗い出しておく。
授業実践においては,入念に教材研究をし,単元間の学びのつながりを明確にしておく。
「その日暮らし」の授業とならないよう,育成すべき資質・能力を明確にし,「単元単位」で授業構成を考えておく。
これらを「はじめ」のうちにしておくのである。
これにより,プロセスが充実し,毎日の教育活動がスムーズになるのだ。
ぜひとも,「はじめが肝心」という意識を忘れないようにしたい。