#1742 教室環境の乱れは心の乱れに
完全に持論なのだが、「教室環境の乱れ」と、「その学級の子どもたちの心の乱れ」には相関関係があると思う。
教室環境がきれいに整っている学級では、子どもたちが落ち着いて生活できる。
逆に、教室環境が荒れ、乱れている学級では、子どもたちの心も荒れ、乱れているように思う。
なので私は、毎日の放課後に、自教室をきれいに整えるようにしている。
以下のような具合だ。
・黒板をきれいにする。
・子どもたちの机を揃える。
・教師用机の上を整理整頓する。
・掲示物がとれていないか、曲がっていないか確認する。
・ゴミが落ちていないか確認する。
・清掃がない日は、簡単に掃き掃除をする。
これらを毎日の放課後に行っている。
10分~15分くらいの時間である。
これを怠るか、怠らないかで、子どもたちへの影響が左右されると考えている。
では、なぜ教室環境が乱れていると、そこで生活する人間の心も乱れてしまうのか?
それは「乱れていても気にしないことが当たり前になってしまう」からであると推察する。
普段から教室環境をすっきりきれいに整えておけば、「きれいな環境・空間」が当たり前となる。
その当たり前の環境の中で、ゴミが落ちていたり、黒板が汚かったりしたら、誰しも違和感を抱くはずである。
そして、「きれいにしよう」という心の作用が生じるはずだ。
これが「他者貢献」「所属するコミュニティへの貢献」につながる。
自然と心も落ち着き、人間関係が乱れることもなくなる。
しかし、教室環境が乱れていることが当たり前の空間では、だれも「きれいにしたい」「整えたい」とは思わないだろう。
リーダーである担任教師が環境に気を配っていないのだから、そこに所属する子どもたちも気にならないのは当然である。
そして、乱れた環境・汚い空間はさらに乱れていくようになる。
まさに、割れ窓理論が働いてしまう。
「他者貢献」「所属するコミュニティへの貢献」の姿など見られない。
そして、子どもたちの心も乱れていき、落ち着きのない教室になってしまうのである。
これを防ぐためには、リーダーである担任教師が意識して教室環境をきれいに整えることが必要だ。
少しの気配りが、中長期的な学級経営を支えていくのである。