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#1808 スーパーティーチャーが受け持ったクラスのその後

世の中には「スーパーティーチャー」が存在する。

授業が面白く、話術が巧みで、多くの子どもたちを魅了する。

どんなに荒れたクラスも立ち直らせ、「神」と崇められる。

私もそんな「スーパーティーチャー」に憧れる。

しかし、スーパーティーチャーが当該学級を受け持つ任期は「1年間」である。

その1年間では、スーパーティーチャーのおかけで、子どもが様変わりすることだってある。

しかし、任期が終われば、当該学級の担任は別の教師になる。

そうなると、一番大変なのは、スーパーティーチャーが受け持ったクラスを引き継ぐ「凡庸な教師」である。

当該学級の子どもたちは当然、以前のスーパーティーチャーと、目の前の凡庸な教師を比べるだろう。

そして、その「差」を感じ取り、見限ってしまう。

「今年はハズレだ…。」と悟る。

それが別の形で表面化してしまうと、「荒れ」につながってしまう。

その原因をつくったのは、誰か?

それは前の担任の「スーパーティーチャー」である。

スーパーティーチャーは「良かれ」と思って、自分の能力を遺憾なく発揮しただけだ。

しかし、それがかえって問題の元凶になってしまう。

スーパーティーチャーと、次に受け持つ凡庸な教師との「差」を可視化してしまうのである。

それが「荒れ」の原因になってしまうのだ。

教師なら、みな「スーパーティーチャー」になりたい。

講演会に呼ばれ、SNSでも有名な、あの超人気教師のようになってみたい。

しかし、そのようなスーパーティーチャー一人だけでは何も変わらないのである。

1年間は持ち直せるが、その後が続かないのである。

では、どうしたらいいのだろうか?

スーパーティーチャーは自分の能力を抑えるしかないのか?

できることは、その能力・技術・知識を職場に広めることである。

つまり、自分だけがスーパーな存在でいるのではなく、その要素を周りに分け与え、スーパーな存在を増やしていくのである。

この道しかないはずだ。

スーパーティーチャーは、自分の承認欲求を満たすことに終始してはいけない。

自分が受け持つクラスの子どもたちはもちろんのこと、その他のクラス・学年の子どもたち、その他の教師たちのために、自分の力を還元していくのである。

このような教師が「スーパーティーチャー」たる所以なのである。

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