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写欲がなくなってきたら

 カメラをやっている人間がぶち当たるであろう壁は色々あるが「飽きる」「写欲が失せる」この二つはなかなかに大きいと思う。かくいう僕にも飽きて機材一式売り飛ばそうかと思うときは割とあった。
 撮っている最初は楽しい。単焦点を使ってボケを楽しんでみたり、上手い人の写真を真似て構図やレタッチを工夫してみたり、身の回りの美しい景色や陰影を写してみたり。でも一通り出来るようになるとやっぱり飽きる。
 「飽きる」というのももちろんあるが、基本的にカメラは大きい。僕が使っているD500や以前使っていたD3400はもちろんのこと、小型・軽量化が進んでいるミラーレスだってレンズと一緒に持ち運ぶにはちょっと億劫だ。飽きるのと一緒にこの持ち運びが面倒くさいというのも写欲が失せる一因だと思う。
 さらに加えて、スマホのカメラの高性能・高画素化は凄まじい勢いで進化し今や充分すぎるほどに美しい1枚を誰でも簡単に撮ることが出来るから、「スマホでよくないか?」と思ってしまうし、そう結論付けるのは至極当然のことだ。それがレフorミラーレスで撮らなくなるという理由に拍車をかけている原因でもあろう。

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 カメラをやっていてやってみたいのは「絶景を撮る」ということ。ある特定の場所に特定の時刻、特定の気候条件でなければ撮れないものがあるし、そしてそういった場所には往々にして車でしか行けなかったりする。
 僕は発達障害故に車の運転が恐ろしく下手で(一応免許は取得している)車での移動は諦めており、列挙はしないが諦めている絶景も数えきれないほどある。
 さてここでもまた面倒なことが起きる。そう移動だ。写真を撮るというのは趣味にしてはなかなかにハードだと思う。
 機材を用意し運ぶ面倒臭さ、移動の面倒臭さ、一眼を使いこなすにはある一定以上の技術・知識などが必要になるし、そうした持てる全てを駆使した渾身の1枚をSNSに挙げても想像したよりも反応が薄いもどかしさ……

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 しかし待ってほしい。確かにいいねは欲しいし、絶景だって、何か面白いものだって撮りたい。僕だって「いや俺はいいねだとか皆が同じ構図・設定で撮ってる"絶景"なんて下らないしそんなもののために撮ってるんじゃない」なんて格好つけたこと言ったら全くもって嘘になる。人間誰しも――特に創作・表現活動をしているなら――人に見てもらいたいし、褒めてもらいたいし、何かの高みに行ってみたいものだ。
 だからこそ初心に帰るではないけど、写真に飽きてきた人、写欲がなくなってきた人は自分の近所、生まれ育った町を一眼やスマホを片手にぶらぶら歩いてみてほしい。
 思っていたより素敵なものがあるし、素敵な瞬間に巡り遇えたりする。そういった何気ない日常を映えや、いいねや、作品的な作りだったりそんな一切合切のしがらみを捨てて思ったままに撮ってみると、それが案外に素朴で少し心に触れるような良さがあったりする。最初にカメラに触れた頃のワクワク感面白さそういったものを想起させたりもする。
 前述したように僕は発達障害故に車の運転が本当に下手過ぎていい歳しているのにもはや運転を諦めている。だからこそ僕はときおり近所や電車やバスでちょっと行ったところを何の気なしにぶらつてみる。そうすると想像していたより自分が住んでいる町の広さ、良さ、そういった色々なものに気づくしそれを写しとるのは何だか良いものだ。
 そんなようなことを休日のたびにやっていたらいつしかカメラやスマホを手にぶらつくというのが楽しいのはもちろんのこと習慣になった。
 習慣になったとき面倒臭さだったりとかは不思議となくなる。風呂入ったり、飯食ったりするのと同じだ。

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 頭を空っぽにしてぶらぶら歩き。気の向くままに写す。
 もしかしたらそれが失いかけた写欲に火を灯す一つの方法かもしれない。

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