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「restaurant origami」過酷な14年を経て得たもの。


「ラ・ベットラ・ダ・オチアイ」での修行から、イタリアの名店『da caino』や『Duomo』、そして帰国後の「イル・プロフーモ」でのシェフ経験を経て、2022年に独立し「restaurant origami」を開店した天野智詞シェフ。彼の料理人としての道のりには、苦しみや葛藤の中で得た多くの教訓が詰まっています。今回は、その中でも特に印象深いエピソードを語っていただきました。

料理の世界に飛び込んだきっかけ

天野シェフは岐阜県飛騨高山の出身。母親の影響で幼少期から料理に親しみ、特にお菓子作りを楽しんでいたと言います。しかし、大学に進学したものの、将来が見えず迷いが生じ、最終的には一年で中退。大阪の専門学校に入学し、本格的に料理の道を歩み始めます。専門学校時代、洋食に進みたかったものの、「ラ・ベットラ・ダ・オチアイ」の本に触れ、その衝撃からイタリアンに進むことを決意しました。

修行時代の厳しい日々

天野シェフが「ラ・ベットラ・ダ・オチアイ」に入ったのは卒業後すぐのことでした。しかし、そこでは予想以上の過酷さが待っていました。「新入生が10人いたのに、半年後には3人、1年後には2人、最終的には僕一人だけになりました。」と振り返る天野シェフ。厳しい環境に耐え、他の同期が辞める中で、なぜ自分は続けられたのか。その理由は、過去の経験や器用さによるものだといいます。最初は順調に思えたものの、徐々にできないことが増えていき、次第に厳しくなったと語ります。

「最初は褒められることが多かったんですが、だんだん仕事が増えていく中で、自分の未熟さが露呈しました。怒られることも増え、つらい時期が続きました。でも、ある日、落合シェフに『匙を投げた』と言われたことが、すごく心に残りました。」その言葉が、彼を奮い立たせたのです。

挫折を乗り越えた先に

14年間という長い修行期間を経て、ついに落合シェフから「新店を大阪に出すから、頭でやらないか?」という話をもらった天野シェフ。その瞬間、「やっと認められた」と感じたそうです。しかし、独立の夢を持っていた彼は、そのチャンスを断り、新たな道を選びました。

その後、イタリアのトスカーナとシチリアに渡り、現地のレストランでさらなる経験を積みます。「イタリアでは、言葉が通じなくて最初は本当に大変でした。でも、現地の空気を吸いながら、今までやってきたことを確認し、深く学ぶことができました。」

独立へと導かれた道

イタリアから帰国後、天野シェフは人形町の「イル・プロフーモ」でシェフとして活躍。その後、満を持して2022年6月に「restaurant origami」をオープンしました。店名の由来について、天野シェフは「イタリアに行ったとき、スーツケースに折り紙を忍ばせていたんです。言葉が通じなかったので、折り紙を折ってプレゼントしたら、そのことで急激に仲良くなったんです。料理も、形を作ることで想いを伝えることができる点が共通していると思い、店名を『origami』にしました。」と話してくれました。

料理人としての「天国」

店を開けてから順調にお客さんが訪れ、今や3年目に突入した「restaurant origami」。天野シェフは、店が軌道に乗ることを最優先に考えつつも、将来的には故郷である飛騨高山に店を出す夢を持っています。

「今が一番楽しいですね。料理が好きで、自由に自分の思うように表現できることが一番の幸せです。」と、現在の充実した心境を語ってくれた天野シェフ。その言葉からは、料理人としての深い愛情と、これからの未来に向けての力強い決意が感じられました。

まとめ

天野智詞シェフの料理人としての道のりは決して平坦ではありませんでした。多くの試練を乗り越え、ようやく自分のスタイルを確立した今、彼は「天国」のような充実感を感じています。その根底には、失敗や挫折を糧にし、常に自分を向上させてきた姿勢があります。今後の「restaurant origami」のさらなる成長と、故郷への思いを込めた新たな挑戦に注目が集まります。

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