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【告白】私のロールモデルは葛飾北斎

辰年になりましたね。辰=龍と言えば思い出す北斎の絵があります。


監査法人で30年強、うち17年をパートナーとして勤めた「てりたま」です。
このnoteを開いていただき、ありがとうございます。

「葛飾北斎!? 間違えてクリックしたかな」と思わなくていいですよ。正真正銘、てりたまnoteです。

私は美術についてど素人で、特に日本画についてはあまり興味もないのですが、葛飾北斎だけは好きなんです。
両国駅の近くにある「すみだ北斎美術館」はもちろん、長野県小布施町にある「信州小布施北斎館」にも行ったことがあります。

ほかの浮世絵画家の作品と並べて展示されているのを見ても、素人目にもダイナミックで、全然違うなと思います。

おそらく一番有名なのが『神奈川沖浪裏』。

冨嶽三十六景・神奈川沖浪裏
出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム
(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-10569-685?locale=ja#&gid=null&pid=1)

激しい波に船が右へ左へと翻弄され、そこに巨大な波が今にも追いかぶさるように迫っている。
遠景には、どっしりと動かない富士山。
「動」と「静」が同居するすごい絵です。(語彙力の限界💦)

北斎のことが好きなのは、絵がすごいというだけではありません。
よりよい絵を画くことへの執念が尋常ではないのです。


北斎の絵を画くことへの執念

これは北斎が75歳のときに書いた文章の現代語訳です。

私は六歳の頃から物の形を写生する癖があって、50歳の頃から数々の画図を発表してきたが、70歳より前に描いたものは、取るに足らないものであった。73歳になって、鳥獣虫魚の骨格や草木の成り立ちを理解できた。したがって、80歳でますます成長し、90歳でさらにその奥義を極め、100歳で神の域に達するのではないだろうか。100何十歳ともなれば、点や骨組みだけで、生きているような感じとなるだろう。願わくば長寿の君子よ、私の言葉が偽りでないことを見ていてください。

太田記念美術館ブログ「90歳の北斎が、死の間際に望んだこと。」より
https://otakinen-museum.note.jp/n/n7071a49ba076

「70歳より前に描いたものは、取るに足らないものであった」(原文は「七十年前画く所は実に取に足ものなし」)なんて書いてますが、滝沢馬琴(曲亭馬琴)の『椿説弓張月』にさし絵を画いて人気を博したのは50歳くらいです。
のちにヨーロッパの印象派の画家たちにも影響を与えた『北斎漫画』の初編が発行されたのも50代のとき。

75歳は今でも後期高齢者のはじまる年ですが、北斎の生きた当時としてはすでに相当な長寿。それなのに、そこから20年以上も画家としての技術の向上が止まらないとおっしゃっている。

まだ驚くのは早い。北斎は90歳まで生きますが、今わの際にこんなことを言ったそうです。

あと10年、いや5年の命を与えてくれれば、本物の絵描きになることができるのに

太田記念美術館ブログ「90歳の北斎が、死の間際に望んだこと。」より
https://otakinen-museum.note.jp/n/n7071a49ba076

「本物の絵描き」(原文では「真正の画工」)って…… いったいこれまでに生きた全人類のうち誰がその域に達したと言うのですか。


北斎の絶筆に描かれた龍

そして、亡くなった年に最後に書いたと言われる絵が『富士越龍図』(または『富士越龍』)です。
画像を貼り付けてよいか分からなかったので(たぶんダメ)、次のリンクをクリックして必ず見てください。

https://hokusai-kan.com/wp-content/uploads/2018/08/c75ba1b6b41061d0415e1d261e0c4df9.jpg

いいですか? 見ました?

これは版画ではなく、肉筆画です。
娘であり弟子でもある葛飾応為が手伝ったのではとも言われていますが、応為にしても北斎が手ほどきをした作品と言えます。

富士山のうしろから天に向かって黒い雲がたなびいて、そこを龍が昇っていますね?
ここからは私の戯言なのですが、この龍に北斎自身の姿が投影されているように思えます。
まだまだ現世で画家としての腕を磨きたいのにと、抗いながら天に召されていく姿です。


北斎がロールモデル!?

「死ぬときに後悔したくない」と言う人が多いと思います。
やりたいことはそれまでにすべて終えておきたい、と言うことですね。

これに対して北斎は、あと5年は生きさせてくれと未練たらたらで逝きました。
死生観なんて人それぞれでまったくよくて、後悔したくないという気持ちもよく分かるのですが、北斎の生き方はとてもカッコいいと私には思えます。

どれだけ絵の技術が向上しても人気を博しても意に介さず、もっとうまくなりたいと亡くなる間際まで努力を続けた北斎。
「北斎」と言っていますが、画家としての名前(画号)にすらこだわりなく、節操なしに変えていました。「北斎」の名も弟子に譲ってしまって、『富士越龍図』に記された画号は「画狂老人卍」です。

北斎のような人類の宝を「ロールモデル」と呼ぶなんておそれ多いのですが、いつまでも前のめりに変化を求める、とてもあこがれる生き方です。
私は現在56歳。周りの同年代ではそろそろ引退の話が出ていますが、北斎ですら「取るに足らない」と言っていた期間がまだ10年以上あります。これからどうしてやろうかと思っています。


おわりに

実は、元旦用には別の記事を用意していたんです。
ところが、新年を迎えてテレビでも辰年になったことをさかんに言っていているのを見て、『富士越龍図』のことが頭に浮かび、「書かねば」と思い立って書きはじめました。

今は元旦の午前4時半。初日からこれでは先が思いやられますが、前のめりでいいかなとも思います。

こんなわたしですが、本年もなにとぞよろしくお願いいたします。
また、(自分のことばかり書いてすみません、)皆さまが大きく飛躍される一年になるよう、心から願っています。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。
この投稿へのご意見を下のコメント欄またはX/Twitter(@teritamadozo)でいただけると幸いです。
これからもおつきあいのほど、よろしくお願いいたします。

てりたま


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