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年に1度のパロ・ツェチュ祭で見た地域コミュニティーの土台|ブータン編-2

ブータン王国編 (2019年冬)-2

2019年の春分の頃。ブータンに着いて早速パロ・ツェチュ祭へ向かうことになった。年に1度のパロ・ツェチュ祭は17世紀から毎年行われているという。

ツェチュ祭は、ブータンにチベット仏教を伝えた聖者グル・リンポチェの偉業を称える祭りであり、各地で行われるツェチュ祭の中で西部パロで行われるパロ・ツェチュ祭はブータン最大規模となる。またパロ・ゾン要塞やブータン創始者に対しての祈りや敬意と共にひらかれている祭事でもあり、当時2019年は3月17日〜21日にかけてひらかれていた。

大人も子どもも皆、民族衣装のゴやキラをまとい、思い思いに出店や披露される舞踊を楽しんでいて、その空気感はまるで日本の田舎の光景に似ていた。沢山の子ども達がいるのに、泣いたり騒いだりしている子が殆どいなくて、落ち着いた安心感のある雰囲気で祭りを見ているのが印象的だった。

男性の民族衣装「ゴ」女性用は「キラ」
チャムと呼ばれる、仮面舞踊。
密教の儀式・法要を舞踊化しているとのこと。

他のメンバーとも「家族みんなで地域のコミュニティーにしっかり根づきながら生きているから、子ども達はあの落ち着いた雰囲気になるのだろう」と話していた。

ブータン人ガイドのTさんは云う。
『自分が年老いても、家族や周りの人が"必ず"助けてくれる。だから安心していられるんです。』

日本でも家族や親戚同士で助け合う意識で生きている人は存在している。けれどTさんの「必ず助けてくれる」というほど確信強く信頼している様子と比べると、

日本のほうは核家族化していることもあって身内への信頼感というものは「助け合うことは大切だけど、あまり依存しないで頼りすぎないようにしましょう」といった、ちょっと違う角度になってきている傾向にあるように思う。

そんなTさんは生まれたとき、占術でお坊さんになることを勧められたらしい。

占術で前世も僧侶であったことが分かると、今世でも僧侶の道に進めばさらに徳を積み成長しやすいからだという。(ブータンでは男の子が3人生まれたら、基本的に僧侶、教師、警察官の3種の道にそれぞれが進むことが多いのだという。)

しかしTさんは、僧院の道を選ばず今は子育てをしながら旅行ガイドをしているとのこと。そして子育てが落ち着いたら、僧院に入ろうかと考えているという。

『その方が自分にとっても良いし、子ども達にも負担をかけないでいいかと思って。』ごく自然に出家の道の選択肢がある様子で、よくある話とな。

まるで言ってはなんだけど、日本の老人ホーム的なタイミングで人生後半での出家があるんだなと思ったが、そうやってナチュラルに「老後は出家しようかな…ありかも。」という選択があることは、ある種の安心感に繋がるような気がする。

ブータンは幸せの国、と云われているがそういった家族を大切にする、といった日々の当たり前のようにみえるがそうではない、大切な日々の営みを尊ぶ気持ちがあるからこそ、そう言われるのだなと思った。

ヒマラヤのインド、ネパール、チベット…といった中で、近代まで鎖国をしていたブータン。チベット仏教の美術も、チベット現地では破壊されているようなものがブータンでは美しく保存されていたりする。

タシチョ・ゾンの仏教画。タシチョ・ゾンは中央政庁-国王の執務室-国会議事堂があり、国教のチベット仏教ドゥルック派の総本山。ゾンは政治を執り行う庁舎兼寺院で、各地方にある。

ブータンの後にチベットを訪ねたのだけど、チベット現地の仏教芸術は歴史上の戦いを経て老朽化していたり、惨禍から生き残った苦しい空気感が滲み出ているものもあるのに対し、ブータンに残る仏教作品からはまるで温室栽培かのように守られてきた穏やかなエネルギーを感じた。

仏教美術だけでなく、人の心の営みも昔からの在りようが今も残り続けている様子を「幸せの国」と他国は表現するのかもしれない。でもその幸せは、特別なものというよりはどこの国の人々も元々は持ち合わせている可能性があるもので、それらを物質的な経済発展と共に自ら忘れ失くしていってしまいつつあるものなのだろう。

ブータンで感じたのは、家族を大切にし地域と共に生きる…といった当たり前のようでいて当たり前ではない、幸せな暮らしと人生、というものだった。小さな国家で、全員が民族衣装を着ている様子は国全体がまるでひとつの家族のように見えた。

パドマ・サンドヴァの仏画ご開帳

と同時に、パロ・ツェチュ祭で感じた祭りの一体感というものは、現代にある各々の夢や目標を叶えることが幸せというような風潮よりも、個人より家族や一族・国家全体に対して感謝し敬い祈ること、それそのものに幸せが宿っているという、自分や自我を越えた全体性の幸せに繋がっているのではないかということだった。

ブータンのように民族性や信仰心の深い部族の人達の「セルフ」「私」とは、信仰なり祈りと繋がっていることによる幸せの割合が高いように感じられた。国家の土台に国教であるチベット仏教への信仰心やブータン王室への敬愛精神が根付いているので、ワタシというものに注目しすぎなくても幸せを感じられているのではないだろうか。その様子はまるで日本の過去の姿を垣間見ているようだった。

祭りの出店あれこれ

……まーた長くなってしまったけれど、信仰や文化にせよ何にせよ、それらに沿う苦しみも幸せも、人から生まれ人の心に還っていくとするならば、何が大切なのかを見極めながら、大切なものを大切にし続けるしかないのだろう。

そのシンプルなことを大切に守り続けるには、この世界では審美眼が必要かもしれない。祭りを見ている沢山のブータンの人々の手にはスマホが握られている。人の心の揺らぎと共に変わり続ける世界の流れは、ブータンを含めどこの国も無関係ではいられない。

それでも、パロ・ツェチュ祭のような和やかな場所と幸せがこれからもずっと続いて欲しい。そう思わざるをえないような盛大で、笑顔と祈りに満ちた祝祭だった。

ブータン編-3へつづく。

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