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オーラが綺麗なんだって。ふーん。

エネルギーが見える人に、私のエネルギー(オーラ的なやつ)の美しさを誉めてもらいました。以下分かりやすいと思うので、オーラに統一。その人の言う「エネルギー」と「オーラ」が正確に同じかどうかは分かりません。
そんな感じで私自身は分からない人なので、全然ピンときていないのですが。ありがたいことだとは思います。

しかし。正直もやっと感が残っているのですよ。

そこをキッカケに自分語り。
自己満足記事なので、あしからず。(いつもそんなだけど)


もやっとの正体

それは、「そんなにオーラが綺麗なのに、これかい?」って感じ。
勝手なイメージだけど、オーラが綺麗なら、もっと活躍できて、もっと社会的な影響力があって、もっとみんなから好かれて…そうなるような気がしているんですね。
現実私はそうなっていないと感じます。
オーラの美しさが私の本質ならば、それを生かしていない自分がダメじゃん、って気になります。
それで、もやっとするみたい。
オーラが綺麗であることにどんな意味があるんじゃい?と思っちゃう。

さて。ツッコミどころしかないので、セルフでツッコンデいきますよ~。

それは自分の本当の望み

まず、私はそうなりたいのね~と思ったわけですよ。

勝手なイメージだが、オーラが綺麗なら、もっと活躍できて、もっと社会的な影響力があって、もっとみんなから好かれて…そうなるような気がしているんだな。

そーですか。私はもっと活躍して、影響力を持って、みんなから好かれたいわけなのね。もっと言えば、影響力を持って称賛されたい、のね。なんかゲスいけど、思っているものはしょーがねえ。

今の自分には大分満足していると思っていたのですよ。
経済的条件、時間の自由、健康、人間関係、やりがいのある活動。みんな恵まれている。自分の性格だって、まー、至らないところはゴマンとあるけれど、愛せるキャラだと思うし、しょーがねーなーつきあってやっかーくらいには思える人だと思っている。(周囲の人から見てどうかはさておき)
毎日概ねご機嫌だし、楽しいこと、幸せなこと、感動すること、美味しいこと、ゴロゴロある。
生きていることが嬉しい。
わたしゃーしあわせものだー

…と思っているのですが。それも本当なのですが。
どーやら、「オーラが綺麗」と言われてもやっとするからには、それで私の100%だとは感じていないようですよ。

「もっと影響力をもって称賛されたい」という野心(欲望?)があるようだし、わたしの真価はこんなものじゃないと思っているらしいです。

根拠なき自己肯定感が恐ろしいほど

突っ込まれた方いるかしら?「オーラが綺麗」自体は否定しないんだ?と。
そこで謙遜しないのですよ(笑)私オーラ綺麗ですけど何か?って感じなんですよ、実は。
自分じゃ見えないし、綺麗かどうかなんて自分じゃわかりもしないのに、
「そうでしょうとも。私のオーラは綺麗でしょうとも。」って感じているんですよ。
何その自分に対する自信。何その根拠なき自己肯定感。
恐ろしい子…!

でも、現実はある程度把握できるわけで。
人様に甘やかしてもらって、不自由なく自由に生かしてもらっていてそれはそれで幸せなのですが、でも、私が世の中のために意味のある存在か?誰かを幸せにしているか?世の中を良くするために何かできているか?って考えると、なんの実績も手ごたえもないわけで。自分一人の満足で完結しているわけで。その現実は分かるわけで。

そのギャップにもやっとするんですね。
可能性をたくさんもらっているのに生かし切れていない感じ。
自分という素材を生かし切れていない罪悪感、みたいな。ええ、根拠なき自身の権化寺山、私の能力はこんなもんじゃねえ!もっと大きなことができるんだ!と思っているということですよ。

もっかい言う。恐ろしい子…!

陰徳は詰めないタイプ

あとね。「賞賛」されたいんです。
ひっそりと自分だけが知っている陰徳を積む、みたいなの。それだけでは満足できないみたい。

「時間の法則」というマヤ暦と易経を組み合わせたものを勉強しています。
誕生日からその人の人生の目的や使命が分かるというものなのですが、私の誕生日から分かるのは「能ある鷹は爪を隠す」生き方をするってこと。これ、逆にこれを学び体験する人生なので、できないことでもあるのですよ。人生前半は特に逆を生きがちと言われています。
私、張りぼての爪をひけらかす鷹なんです。すみません。自覚はしています。(ここでも、自分が鷹であることは否定しないんだ…という突っ込みは受け入れます。)

だからねー。賞賛に有頂天になっている場合じゃないんだけど、でも!だからこそ!賞賛されたくなっちゃうのよ。

オーラが綺麗なら、ぴかーっと輝いて、遠くからでも見えるようでありたい。そして、それに見合った現実的な実績も積みたい。私にはきっとそれができる可能性があるんだから、100%生かしたい!
ということですね。

もやっとはチャンス

ゲスかろうが、痛かろうが、自分が実際確かに感じていることを言語化するって、パワーがあることだと思うんですよ。現実も何か動く気がします。(経験則だけど)
まず単純に気持ちがいい。
はー出した―。すっきりー。って感じ。

もやっとしたとき、カチンときたりあれ?って思ったとき、そのときは大事なチャンスだと思っています。そこを切り口にどんどん自分の声を聞いていくと、なんか大事な声が聞こえてくる気がします。
往々にして、その声はゲスいのですが(笑)

ゲスかろうと何だろうと、存在することを認めたほうが、それこそ「エネルギー」は淀みなく流れ、その人であることのパフォーマンスを発揮できるものだと、私は思っています。

というわけで、なんかスッキリ。よかったよかった。

ついでにちょっとPR

マヤ暦と易経を使って紐解く「時間の法則」のセッションも行います。
対面限定なので、ここを読んでくださる方の殆どには関係のない話で申し訳ありません。が、ちょっと表明しておくということで。
因みにこの法則で時読みもするのですが、今週が私にとって節目となる大事な週なので、ここで自分の本音を明らかにしたり、時間の法則について表明しておくことは、意味ないことではないと思うのでもあります。
「時間の法則」が気になった方は、何らかの方法でご連絡ください。(不親切)





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