【本当に「公害問題は一丁目一番地」なのか】
「時間内に話せるよう練習したが、話していると涙が出てくるので先に進まなかった」
症状に苦しみながらも水俣病と認定されないまま一年前に亡くなった妻のことを語った82歳の松崎重光さんの言葉です。
環境大臣が今月、熊本県水俣市で行われた患者らとの懇談の場で、各団体に割り当てられた3分という発言時間を超過した際にマイクの音量を絞った件で、大臣が再び現地を訪れ謝罪する事態となりました。
今回のことで思い出したのは、環境委員会に所属していた2年前のこと。
この日は、共産党の市田忠義氏(2022年7月に引退)が、水俣病のことを問うていました。夏に引退を控えていた市田氏は、政治家人生最後の質問だとして、せめて特措法で義務付けられた健康調査を実施すべきと大臣に決断を迫りました。残念なことに、大臣の答弁は、「(調査)手法の精度をあげていく」という従来と全く同じ環境省の見解を繰り返すだけのものに終始しました。市田氏は救済を求めたのではありません。法律に定められた調査の実施という当たり前のことを求めただけです。
水俣病が公式確認されたのが1956年、遅れて国による公害認定(1968年)がなされてから56年経ちました。報道によると、患者と認定された人のうち、およそ90%にあたる2055人がすでに亡くなり、患者の平均年齢は80.4歳とのこと。今さら調査の手法を検討するなどというのは、あまりにも誠意のない回答で、しかも24年間に渡り国会議員を務めた方が最後の願いとしたことに対して、あまりにも血の通わない答弁であり、悲しく憤りを覚えました。一部の方から、「患者がいなくなるのを待っているのか」との厳しい指摘も本当にその通りだと思わざるを得ません。
環境省は、震災後の原発事故後の対応なども含め、近年は気候変動など、時代の変化とともに多くの課題を背負い、少ない資源の中で尽力されていることには心から感謝しています。時には大変意欲的な答弁をいただくこともあり、やりがいを感じることも多くありました。ところが公害問題に関しては「環境省の一丁目一番地」と言いながら、いつも頑なな態度になるのはどうしてなのか。大臣が変わっても、その言葉は毎回所信表明演説に含まれてきました。それなのに一体どうして?と、素朴に疑問に思います。このような状態ではいずれまた公害問題が発生した際にどのように対処されるのか、政治家としても一国民としても非常に不安を覚えます。
環境省の公害問題への向き合い方が厳しく問われています。