モンスターと戦う勇気

 電車に乗ると多くの人がスマホを片手にスマホを弄るという姿が、コロナというウイルスが未だに世間一般に終息という風にはいっていない時期になっても人の減らない文化によってメッセージを送る様に私の中に入ってくる私が、過去にやっていた船であると。
 私は、新入社員を年半という年月を得て辞めて、新しい武器を手に入れる為、アカデミーに通っていた。しかし、私の通うアカデミーは新入社員として入った場所に近いところにあり、私は会社まで寮で一人暮らしをしながら、通っていたのであるが、会社を辞めたことにより、私は神奈川県を離れ、実家の千葉県に住むことになったのである。私は、アカデミーは多くの県で経由のものがある為、そこで移るかそのまま横浜で通い続けるか迫られ、横浜で通うことを決意したのである。その理由は、何となくという根本的な理由はなかったが、それが今となっては良い方向にも悪い方向にも転がり、しかしこの経験ができたから私は、今の状態をキープでき進歩しようという意思を持つ様な、出来事をたくさんできて要るのかもしれない。その様に思うと、私はどんだけ恵まれたものを心のどうかに宿しているのだと思うのである。
 私は、その頃から電車通いを週1でやりながら、バイトをするという生活が、スタートしたのである。アルバイトは以前にやっていた大手のチェーン店の牛丼屋で勤め最初は、短い時間で稼ぎたいという思いから深夜での労働を経験しながら始めたのである。その様なことをやっていると1週間は、あっという間に訪れる様な気がしてならなかった。しかし、私はそんなものを脱ぎ去ってしまうくらい、アカデミーの学校にいくことが、楽しみで仕方がなかった。私はアカデミーで何の勉強をしていたかというと、実践心理学である。それは、座学として学ぶという形式ではなく、人と話しながら、本当の実戦の中でのトレーニングをやっていくという形式である。それが、楽しいという風に感じていた事自体が、不思議で仕方ないのである。私は、人とコミュニケーションを取るのが、大っ嫌いでその為、私の口は仕事場で強力な接着剤とチャックでふさがれて、心は甲羅の中にある様なものであった為、私から発言をするという機会自体が極めて少なく、心では踊るが、それを見せるなんてことはなく、その頃によく選択しようとしたなあという思いしかなかったのである。私は、そこで閉ざされていたものに、口が開き、アカデミーでの仲間と先生と会いたいという気持ちとバイトでの苦労の連続で心理的には楽しい事は一つだけのものであり、仕事は楽しいものをする為の時間潰しとさえ思っていたのである。
 そんな事をしていると、心理学を卒業という形になり本来私のやるべき事が分からなくなっていたのである。私は、カウンセラーになるという目標を立てたが、その気持ちは、心理学をやっていくにつれ薄れて、楽しいこの時間がずっと続けばどのくらい気持ちいのだろうかということさえ感じるくらいである。進路というものが分からなく、私の長所を発想力という風に見つける事ができる以外の選択肢がなかった。そして、アカデミー卒業の飲み会のタイミングで先生から「WEBデザインやってみれば」という声から私は、その世界に入り込んで行ったのである。しかし、私は仕事にもある程度目処を立てて、新しい活動をスタートさせなくてはいけないという気持ちで一杯の為、心理学を活用する何かを新しいものとしてスタートさせたいというものから、放課後デイサービスの障害者支援の仕事について、新しい生活を改めてスタートさせたのである。この様に、たくさんのことを多く抱えながら、仕事と勉強をやっているとどうしても良いものと悪いものが自分の中でわかってきてしまい、やりたいことなのか、そうでないことなのかという自分と語る事ができる瞬間があった。最初の対象となったのは、飲食店とデイサービスの仕事である。私は飲食店のイライラをデイサービスで回収する事ができるという風に思うくらい、デイサービスの仕事が気に入ってしまったのである。最初は勿論初めての仕事の為、接し方に苦労はしたが、私は心理学の授業を楽しくできた様な感覚が、そこの中にも詰まっていてものすごく楽しいという気持ちで一杯になったのと同時に、飲食店のストレスを抱えながらこのままやっていくのかどうするかという選択に迫られたのである。その答えは、既に決まっていて、その頃には飲食店はやめていた。
 次の選択肢に挙げられたのが、WEBデザインとデイサービスである。私は、元々WEBデザインになる為に、その中で何か学べないかというものを考えて、デイサービスを始めた。しかし、WEBデザインの学習の意欲は、心理の時と比較するのはどうかと思うが、月と鼈くらいの差があるのである。学びたい、面白い、これからこのことを仕事にして私の中に取り入れたいという気持ちになる事が一切無かった。しかし、デイサービスは、今後も障害について学び新しい分野として取り入れたい、もっと知ってもっと触れ合って、本当の意味で今やっている仕事を世間の中の仕事の中に入れていけたらという、気持ちで一杯であったのである。そういう違いから私は、WEBデザインを辞めたのである。
 この様に考えると私達のやってきたこと、思い描いていたものは違うものなのかという風に捉える事がもしかしたらあるかもしれないが、私の視野は間違いなく、広くなり、この期間の中では、失敗をしながら探し物を見つけて、間違いに気づき、本当に楽しいという感情の溢れる物語を歩いていただけであり、その背景では様々な事があった。それは、コロナウイルスである。私は最初の自粛期間が抜けた時、ウォーキングを始めた。私は自粛期間中は、WEBデザインというものを真剣に取り組み、操作方法を覚えて、実行するという段階まで自分を操作するまでの時間を自分の中で取り入れて、そこまでには表現として追求する事ができる様になっていたが、どうも自分の中の体調のいい時と悪い時にムラがあり過ぎて、自分の中で納得するものが書けない、というものに疑問を抱かない訳にはいかなかったのである。しかし、時間は残酷なことに迫ってきてしまい、私の中の新たなステップにとして上がる為には、何とかこれをどうにかする必要があった。そんな中で、私は自粛期間中にビジネスYouTubeを見ていると、水とウォーキングをやっているということを耳にしていて、私の中では経済的な余裕がない為、体調を良くしながらやりたいことに取り組めるという状態を楽しんでやるしか選択肢がなかったのである。その結果、私は新しい体と健康と習慣の恐ろしさというものを手に入れたのである。私の中で視野が180度変わった瞬間がそこであった。
 そんな中でも、落とし穴があった。それは腰痛の再発である。私は、元々何らかの原因で腰を痛めていて、体がいいという状態はなかったのであるが、その中でも最悪な状態が11月という月から始まったのである。その時には、体調というものがどのくらい大切なのかその為には、どうすればいいのかということが分かってきた辺りであり、習慣が途切れる、瞬間が訪れてしまったという風に思うくらいしかないぐらい、精神力が削られる瞬間であった。その痛みは、表現する事が、難しいが座ったり、立ったり、何か行動をすることに対して、躊躇しない訳にはいかない程、体の変化は物凄く残念なものに他ならなかったのである。
 私は、この睡眠もままらない状態の中でも、毎日の日記を2000字書くというものを辞めなかったのである。私は仕事を休まなかったが、それ以上にる程度の字数をこの痛みと戦いながらでも処理できるということに自分の中の自信に繋がった出来事である。
 私は、この様に語ると物凄い今、自分らしく生きているという風に思う反面、残酷なものを背負いながらもその中でのものを自分のものにできている様に感じるのである。普通の人であれば、休みをもらい病院に行くという行動をする事になったかも知れない。それが、正しいか正しくないかは別として自分の中の足し算になったことを何倍にも膨らませているのが、私である。
 世間では、コロナという風に悩んで、政府を違反したりする事でコロナと立ち向かうという背景になっているだろう。しかし、一向に満員電車での現場に満足が行っていないのが、世の中の本音である。私は、世の中が焦りすぎであり、ストレスの原型である。モンスターを排除したいとは思うが、現状電車を止められたら、困るというのは分かり切っていて、私が、1番望まないのがスマホである。その様に考えた時、コロナウイルスを作り上げているのは、私達自身であると思うのである。モンスターの乗り物と戦う時、ほとんどの人は、多くの人数のいる道のりを選び、ストレスのある方向に体を預ける。その中の心の中は狭いとか臭いとか今日の会議どうしようとかである。時間が定められている日本では遅刻するという選択肢は、信頼を妨げる原型になりかねない為許されない。ならば、時間を早めて、モンスターの強敵と戦わなければいいのである。私達は、自ら強敵がいる道へ進んで行っているに過ぎないのだから。そこで、スマホを弄って時間潰しするより、本を読むとか音楽でリラックスするとか、意味のない行動以上の選択肢が約束する事が出来るはずである。この様に、モンスターというものと戦わなくてはいけない場合でも、弱くする方法はいくつでもある。私達はモンスターのレベル上げをしていて自ら強敵にエネルギーを上げて嘆いていただけなのである。奪われたエネルギーは無意識にどこで無くなったか分からない為、また同じことを繰り返す。これが私達の真実なんである。
 私達は、流れに身を任せているといけない事をいいことの様に捉えて、その区別が何なのかという思考すらも考えないまま、ゴールラインを切ってしまう場合がある。周りが思っている、実行している無意識行動が、正しいなんて事はないのである。私達には考える力がある。その為、失敗してからの判断基準と自分の今やっている事が今後どの様な変化をもたらすのかとかもたらしてきてやるべきかどうかの判断ができる。仕事が嫌で他のことの方がいいと思うのであれば、その道に進むのもありなのかもしれないが、それを決められるのは貴方自身なのである。しかし、辞めるという事は勇気がいる。それは、生活に何らかのものが舞い降りてしまうのだから当然である。私は、先生にいわれてその通りに、行動に移す他ものが面白くなかった。しかし、自分で選んだものが面白かったからこっちを選択して、片方を捨てた。しかし、もしかしたら、人に勧められたものが、ハマる事、自分に合う事だってあるかもしれないのだ。だからこそ、私達は1人では限界があるし、知らない事を知る事ができるというものを持っているのである。残酷なものにも光があり、自分の中にも闇がある。自分のことは自分しかわからないが、その中の引き出しは、自分1人では開けるのは難しい。私はたくさんの人と出会い、仕事つまらないから、楽しいに変化をもたらしたが、本来その為に学んでいるのであるのだから当然である。しかし、今の日本はストレスが多くのところから目に見えるまでの歪んだ色が見える。その為、仕事を楽しいという風に思うよりも時間稼ぎとして楽しいものをやる道具として捉える人が多くいるだろう。私はこう思う。「限られた時間を使うのだから楽しいもので人生過ごそうぜ」

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