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全部、ゆるされたような気がした。「永い言い訳」

2016年公開の映画「永い言い訳」は、一貫した自分なんてどこにもいないということを、色濃く、だけど柔らかく描いた映画だった。

あらすじ

本木雅弘演じる衣笠幸夫は、妻がバス事故で亡くなった時、愛人と会っていた。その後、一滴も涙を流せないまま、同じ事故でなくなった妻の親友、竹原ピストル演じる大宮陽一と、その子どもたちと過ごすようになり、変化が訪れる。

誰もが抱える矛盾

劇中の幸夫を、ほんとうにどうしようもないやつだと片づけることは簡単にできる。冒頭から、奥さんがスキー旅行に出かけた瞬間に愛人を家に上げるし、その出先のバスで亡くなった時に警察からかかってきた電話も、愛人と会っている最中だからと一度無視したし、奥さん亡くなって1年もたたないうちに、酒で荒れて女の人とべたべたしてるし。私がワイドショーの担当者だったら1週間はこのネタで報道する。

でも、それと同じくらい子どもに向けるまなざしの優しさとか、居場所をなくしそうになったとたんに襲ってくる寂しさとか、妻を愛せなかったことからくる後悔だとかが、彼の中にあることがわかる。彼の中で渦巻く感情がとても多いのだ。

だから、見ている方はすっきりとはしない。彼がどんな人なのか、一言で判断が付かない。だけど、そのごちゃまぜになった気持ちや想いの集まりが、人なのだということが全編を通して描かれる。

これだけ複雑なものが、一つの容器に入っているのが人間なんだから、人はどうしたって矛盾を孕むものだし、そんな矛盾した生き物同士が一緒に生きていくなんて到底無理なのではないかとさえ思う。それなのに、苦しんでも、もがいても、一緒に生きていきたいと思ってしまうから、人はやっかいだし、めんどくさいし、そして愛しい。そして、幸夫に感じる愛しさは、いつしか自分の周りの人や、自分自身にも向けられる。ごちゃまぜな私でも、生きていこうと思えてしまう。

悩める子どもだった人へ

そして、この矛盾を子どもも抱えていることがしっかりと描かれているのがこの映画のいいところだ。竹原ピストルさんの息子役の真平は、頑張ってお兄ちゃんの役割を全うしようとするけどもへこたれちゃったり、お父さんについ歯向かってしまったりする。

私は、子どもだから無垢でしょとか悩みないでしょ、とかいう話が昔から苦手で、頑張りたいけどへこたれちゃうことは、子どもだってあると思ってきた。自分の人生を振りかえってみても、10歳のときは10歳なりの、15歳の時には15歳なりの悩みや辛さがずっとあった。それは、今抱える悩みや不安とは別の種類のものだけれども、当時のそれだって、人生もうだめかもしれないとか思うくらいの心を占めるものだったわけで、悩みなんてないでしょ、って無かったことにされるのがすごく悔しかった。今、小学生を相手にしたキャンプの引率に行っても、そのことは強く感じる。彼らなりの大変さや不安はあって、それを幼いからといって無かったことにしていいわけではないな、と。

だから、その年代なりに感じていた不安や、自分の中にある矛盾を丁寧に描いてくれたことで、あのときの自分まで救ってくれたような気がして、私はうれしかった。

やさしいなあ、本当にやさしい映画だと思う。真っすぐ生きることの美しさも弱さを抱えたまま生きることの苦しさも、全部ふかふかの布団でくるんでいる、そんな映画。見てよかった。


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