お寺と子供たち
私たちの商店街の中に 三つのお寺があります。
北から本能寺、天性寺、矢田寺・・・とそれぞれに由緒のある歴史と町衆との関わりを持つお寺です。昭和30年代の子供たちにとっては、お寺の境内は格好の遊び場でもあり年長、年少の子供が一緒の遊びをする大切な縦社会のコミュニケーションが持てる場でもありました。町内会の催しも、子供達が喜ぶようにと町内の役員さんたちは春のお千度夏のレクリェーション、そして子供たちの夏休みいちばんの楽しみの地蔵盆・・・ゲームあり、おやつあり、盆おどりあり、福引き・・・といったワクワクするような催しを汗をながして楽しませてくれているのを覚えているものです。
平成の子供たちは、少子化と豊かな物資にめぐまれ特に欲しいものも無いし、特に食べたいものも無いという子供が多く塾や習い事に忙しくおたがいに遊ぶ時間が合わせないというのか、ひとりで遊んだりゲームをすることに慣れきっているように聞いています。
昭和の子供たちはわんぱくで、お寺の大木に登っては怒られお墓の石塔を倒してはこっぴどく叱られていました。あまり勉強もせず、学校から帰ればそのまま暗くなるまでお寺でソフトボールに興じていました。メンコ、ビー玉、ゴム跳び、あやとり、紙芝居・・・など懐かしい遊びの全盛期でした。
現代の子供たちは勉強はできるし、お行儀も良いし、人様に迷惑をかけるようなことはしません。服装もこざっぱりとし、大人とも渡り合える話術もそなえていますが、街角でお寺の境内であまり子供をみかけません。今の子供たちは私たちが知らないくらい忙しいのでしょう。
ただ、夏休みの最後の地蔵盆のときは違いました。どの子もどの子も生き生きと輝いてゲームをしておやつ、福引きの景品をもらって『一喜一憂』喚声をあげていました。
こうして親から子へ、子から孫へと受け継がれて町内会も商店会の行事も連綿と継続されて行くと思うと、そう心配したものではないと安堵したものです。
執筆者:副理事長 村上
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